133. 親指姫

文字数 607文字


 幸福な日々は続きました。
 夫も隣人も子ども達も優しく、世界は晴れ晴れとして、花の香りに溢れています。

 王位は継がれ、孫が生まれ、夫は旅立ちました。
 緩やかに年月が過ぎ去ります。

 老境に差し掛かったいま、頭に(よぎ)るのは、過去の後悔。

「かあさまに、会いたいな」

 マーヤは旅に出ました。
 北へ、北へ。

 野鼠に出会います。
 生き残るのに精いっぱいで、日々に楽しみはなく、死の恐怖にただ震えていました。

 マーヤは野鼠に、ひとひらの薔薇の花弁(はなびら)を贈りました。

 土竜(もぐら)に出会います。
 彼はいつも空を見上げていました。何か大きくて明るいものに、憧れていました。

 マーヤは土竜に、たくさんの太陽の物語を語り聞かせました。

 蝶に出会います。
 足と木の枝が糸で結ばれています。食べ物を探しにいけません。

 マーヤは糸を(ほど)きました。懸命に手を振って、蝶を見送りました。

 生家は(つた)に覆われていました。
 草が伸び放題の庭に、一つ二つ石を置いただけの、惨めな墓がありました。
 居間のテーブルには、胡桃(くるみ)の殻を重しに、手紙が置かれていました。

 年月に湿って、文字は読めません。

 マーヤは居間を掃除し、庭を整え、墓石を作り直します。
 手を合わせます。

「帰ろう。わたしの家に」

 マーヤは歩き出しました。
 南へ、南へ。

 (つばめ)のように。

 生きるという事が、きっと、失い続けることだとしても。
 その悲しみに打ちひしがれたとしても。

 それでも。
 わたし達は生きていく。
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