213. 綿羽① ヒマラヤ山脈、柳、洗濯機

文字数 769文字

 綿羽は絶望していた。
 好き好んで空気を蓄えているわけじゃない。独りになりたい。

 インドガンに抱かれて、高度一万メートル、ヒマラヤ山脈を越えて南下する。
 体感温度は、-60℃に及んだ。

 羽枝(うし)から小羽枝が無数に生え、微細構造が空気を閉じ込める。空気が障壁となり、放射、対流、伝導、すべてを防ぐ。
 インドガンは体温を維持したまま、ヒマラヤ越えを平然と成し遂げた。

 ハヤブサがインドガンの隙をつき、急降下で仕留める。
 邪魔な綿羽は瞬く間に(むし)り取られた。

 綿羽は風に乗り、暫し孤独を味わう。
 視界が巡って酔いそうだ。

 キズタアメリカムシクイが綿羽を(くわ)え、柳の木に運んでいく。
 木枝を建材に、綿羽を内装に用いて、巣が完成する。

 生まれたばかりの雛が、暖かく幸福に眠っていた。

「数年も経たず死にゆく命のひと時を護ったところで、なんの意味があるわけ?」

 綿羽は自らの役割を嘆いたが、その発言には、どこか満ち足りた感じがあった。

 雛が巣立ち、喰われ、また別の雛が生まれ、命が繋がる中。
 都合の良い風が吹き、綿羽は再び旅に出る。

 ガチョウの綿羽に紛れ込み、グワグワと暮らす。
 強制給餌の激痛の末に惨殺され、剥ぎ取られた羽は工場に移送された。

 グースダウンに詰め込まれ、ふわふわとホモ・サピエンスの健康を護る。

「まあ暖かい!」

 子どもか長生きか男か女かそれ以外でもいいけれど、笑みを浮かべる。
 綿羽は答えた。

「ぜんぜん嬉しくない」

 柳の木が懐かしい。

 グースダウンがその辺のTシャツと一緒に洗濯機に放り込まれた。
 水を吸った綿羽は、最後まで乾かなかった。

「暖かくない……」

 ゴミ袋に詰め込まれ、焼却炉行き。
 グースダウンは再び購入され、資本家は消費者の非エコロジー精神に感謝する。

 綿羽が燃えながら言うには、
「やっと独りになれる。ふわふわは、もううんざりさ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み