ここだけの話 ⑬~⑯

文字数 3,762文字

ここだけの話⑬【第九章 月夜の廃墟にて人の縁に感謝する 前編】
 この章を書き始めてすぐの頃、コロナウイルス第一波による自粛生活が始まりました。
 仕事と買い物以外は家にこもり、気持ちを穏やかに保たせながら執筆していたため、読み返すと、月明かりの中を探索する場面などに当時の心理が反映されているように思います。
 ちょうど休校だった子供たちに協力してもらい、立ち回りを検証した戦闘シーンも、いまとなっては懐かしいです(遠い目)。

 さて、リラは悩んだあげく、手がかりを得るために、夜陰に乗じて旧敷地への侵入を果たします。この廃墟が九章の舞台となります。
 ちなみに、サイトに投稿した時の紹介文がつぎのような、こっぱずかしいものでした。

 ――月の光に青く染まる廃墟を、彼女と一緒に冒険しているような、そんな感覚をぜひ味わってみませんか。

 警備の土人形が巡回する廃墟や、以前から存在がほのめかされている、苦い記憶が詰まった高屋根の礼拝堂は、のちの章において重要な場所です。
 リラは人慣れした廃墟猫を不審に思い、何やら怪しげな魔術を施しますが、これは戦乱の時代、猫を操って暗殺などに用いるため開発が進められたという、いわくつきの呪文。
 ようやくファンタジーらしい展開になってきたところに、堅苦しい魔術師ロスローが、本人的には不本意であろう再登場を果たします。リラにとっては、どこまでも偉そうにするだけの石頭という印象なのが微笑ましいかぎり。

 彼女は、未完成な魔法構文に著しく体力を削られるなか、このロスロー猫とのやり取りを試みますが、この際に猫がつぎのようなセリフを残します。
「人間は蛇に噛まれただけで死に至るほどの貧弱さにもかかわらず、野蛮な生物ときている」
 じつはこれ、畑仕事のおじさんから聞いた「うちの猫が草むらでマムシに噛まれたけれどピンピンしとるわ」という話がもとになっています。

 猫はマムシの毒もなんのそのというくらい、天性の蛇ハンターらしいのです。それにしても猫ってつくづく、生き物として完成されているなあ……と感心。でも、ネギを食べただけで死んじゃうのですが。

 この話のように、人から聞いた話が、ときとして実体験に勝るほど想像をかき立ててくれることがあって、創作するうえでのモチベーションになっています。
 また、猫のくだりは、小説を書き始めた二〇一六年に先行して書いていた分ということもあって、四年をかけてようやくたどり着けたか、と感慨深いものがありました。


ここだけの話⑭【第九章 月夜の廃墟にて人の縁に感謝する 中編】
 八章の終盤にて、夕闇の中でリラのあとをつけていたのが、同じ研究室に所属するウルイという学者です。彼も棘だらけの蔦に阻まれて、一張羅を台無しにしながら旧敷地にやってきました。

 頼りなげなおじさんですが、探索に秀でた技術や知識は一級品で、独学により魔術を覚えたという相当な変わり者。許可がないと習得できない呪文〈姿消し〉まで使えるというからかなりのものです。
 ここでも、その変人ぶりをいかんなく発揮するだけでなく、リラと息ぴったりなところまで見せてくれます。

 ウルイも、侵入を阻んだ蔦の茂みについては「湿原のチズイカズラのほうが紳士的だよ」とうんざりな様子。このチズイカズラという魔物、リラがぼやいた〈沼地の吸血蔦〉と同じものです。

 筆者が家の植え込みを剪定すると、決まってグサッと刺さるバラの棘。まるで魔物じゃないかと腹が立ったので、大好きなノウゼンカズラの名前をもじって命名し、物語に登場させてやりました。
 「血を吸うからスイカズラで決まりだな」と思っていたら本家がいたため、しかたなくチズイカズラになった、といういきさつです。カズラ(葛)は蔓性植物の総称ですね。

 リラの慎重な行動を願うウルイは、故アトワーズの遺言により、陰ながらリラを見守っていたことを打ち明けました。それを聞かされたリラが感極まって涙を流します。
 初めて描く感情だったので描写に悩みましたが、筆者自身の、卒業で離ればなれになる友人との別れや、退職時に感極まって泣きまくったことを思い出しながら書きました。

 ここでせっかく上がったウルイの株が、このあと転げ落ちていく様子が書いていて楽しかったです。それでも信頼している仲ということもあり、ふたりの距離感は近めに表現しました。
 立ち止まった拍子にぶつかりそうになったかと思えば、戦闘では敵の奇襲をかわしたリラの後頭部がウルイの顔面を強打します。リラが気兼ねすることなく皮肉や文句を言うこともあれば、ウルイの配慮に欠けた態度にムッとすることもあるなど、普段から親しくしている感じも出せたかなと思います。

 彼の協力もあり、隠された部屋へとつづく扉を見つけますが、リラはその不可解さよりも読みが的中した嬉しさで、ウルイの手をとって飛び跳ねます。

 慎重派を自称するものの、彼女の中では常に知的好奇心がほかの感情を上回り、二章においては魔物に悩まされる住人そっちのけで「これじゃ研究が台無しだ……」と愚痴ったかと思えば、衝動的に魔物の討伐隊に加わったりもします。三章で、小さな頃には好奇心が仇となり、ひどい風邪で死にかけた(しきたりを破って神域に立ち入ったからバチが当たった)とあるからよっぽどです。

 猫を操る魔術(所在不明で未完成)を、いくさの産物だとわかっていながら解読したのも興味からですし、土人形との戦いにおいても好奇心が恐怖を凌駕します。
 無事だからよかったものの、ついには見かねたウルイに危なっかしさを諭されて、しゅんとへこむリラでした。


ここだけの話⑮【第九章 月夜の廃墟にて人の縁に感謝する 後編 ①】
 この章では月を意図的に使ってみました。前後のエピソードとのつながりを持たせたかったのと、月明かりに照らし出される、静かな廃墟や水路などの描写をしたかったからです。

 筆者には、身近にある灌漑用水路や暗渠化された水路敷を探し歩く変な趣味があります。九章後半の舞台のモチーフとなったのが、わが家の近所に実在する隧道です。
 そこは母がよく話していた場所で、明治時代から令和にかけて、道を通すために盛り土で暗渠化されたうえ、度重なる道路の拡幅で時代ごとの工事跡が残されているという興味深いもの。
「あのトンネルなあ、ホタルがようけおってん。朝まで盆踊りしたあと、足あろうて帰ったんやで~」

 それは、新旧まぜこぜになった田舎町の商業施設が立ち並ぶあいだに今もあって、知る人ぞ知る歴史スポットとなっています。何にせよ、そういうものを探して歩いた経験や小さな頃に聞かされた話を創作に役立てるというのは、なかなかに贅沢な娯楽だと思いました。
 なんと言うか、興味のままに積み上げてきた知識や経験、人から聞いた話、ふとした出会いやきっかけがある時に突然つながり、自分の中で特別なものになる感覚ってありませんか?


ここだけの話⑯【第九章 月夜の廃墟にて人の縁に感謝する 後編 ②】
 「暗渠」や「隧道」、ほかのエピソードや短編で使われている「険阻」や「夕刻」、「痩せ尾根」は筆者の好きな言葉です。
 漢字だけで成り立つ単語、なかでも強い意味のものは使用を控えるようにしているのですが、いっぽうではその響きや便利さに頼ることも多々あります。

 さて、隠し部屋においてリラたちは、予期せぬ激しい戦いを演じる事となります。
 ここでの登場人物たちの動きは、コロナウイルス第一波で休校中だった娘たちにも協力してもらいながら検証を重ねました。
 その方法とは、用意した台本の通りに立ち回りをするという、平たく言うところのチャンバラです。わが家の一室を隠し部屋に見立てて実際に演技しつつ、おかしな部分を修正していきました。
 甲斐あって、流れるようなアクションシーンになったのではないかと自己満足。

 ずいぶんと大胆な行動を見せるリラですが、現在の彼女の技量を、二章や十章あたりの若い頃と比べてみても面白いかもしれません。間合いの取り方や落ち着きに違いを感じていただけるでしょうか。
 戦いの直後でも、ウルイに皮肉をぶつける余裕があるなど、めっきりと胆力がついたようにも見えます。

 またここでは、過去にベイケット・クランという異端魔術師による騒動があったことや、それ以前にも似通った事件が起きていたことが明かされ、これらとエルトランのつながりも気になるところです。
 それにしても、またもや極秘の任務がばれてしまうリラでした。

 最後は、ウルイが謎めいたセリフを残しつつ幕が下ります。
 リラの学院における恩師であり、ウルイの師匠でもあった故アトワーズには、ずっと昔に亡くしたナージャという愛娘がいたようです。
 リラの数年前に卒業した人物と同名ですが、時間的につじつまが合いません。そういえば彼女が閲覧室で感じたひっかかりは、卒業者名簿に対してのものでした。いったい、これはどういうことなのでしょうか……。

 つづく十章は、リラがクルルの里で修行を始めた頃の、おとぎ話のような情景に始まり、学生時代の彼女が派手にやらかした、カンタベル騎士団と称する連中を相手取ってのいざこざや、ジョナス・フィンケットとの衝突、親友との別れなどが描かれます。
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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