第六章 マレッタの重すぎる課題(3)

文字数 1,603文字

「そういや、あたしがまだ新米だった、ずいぶん昔の話だけど、ある魔術師にしつこく言い寄られて困ったことがあってさ。その男がどことなく似ているんだよ」
「初めて聞く話だわ。でも、似ているってエルトランに?」
 意気消沈ばかりもしていられない。マレッタが働き始めた頃といえば二十年以上も昔、エルトランの就学よりも以前の話だ。

「顔かたちを言っているんじゃないよ。周りを見下して自信過剰なところさ。切れ者だって話だから、まあ、それなりに優秀だったみたいだね。『おれはいまに成功をおさめて歴史に名を残すだろう。だから、いっしょに来い』だってさ。こちらには小さな息子もいたのに、おかしな話だよ。そいつかい? たしか、そのあとすぐに問題を起こして学院を出ていっちまったけどねえ」
「まあ! あなたに言い寄るだなんて、どれだけ怖いもの知らずなの。でも、出ていったって、もしかして異端研究の罪による追放ではないのかしら。魔術師の名前は?」
 すこしの反撃を挟んでから、事件へと伸びる細い糸のような可能性に飛びついた。それは確信に近かった。

「わはは! 本当だ、違いない。けどよくわかったね、まさにそれ、異端なんちゃらさ。男の名前は……悪いけど、いちいち覚えてないから記録を調べてみたらどうだい」
 その価値は、おおいにあるだろう。もとより、図書閲覧室(としょえつらんしつ)の文献にも当たるつもりで学舎が集まる北の区画にやってきたのだ。
 リラは(うなず)き、ふと周囲に目をやる。夢中で話すあいだにも、ぞくぞくと人は集まりつつあった。これ以上の長居はできない。

「ありがとう。厨房がたいへんな時なのに、たくさん話をしてくれて。わたしもそろそろ行かなくちゃ」
「悪いねえ、せかしちまって。ちょっとは役に立てたかい? それにしてもあんた、いつも仕事ばっかりしてないで、たまには顔くらい出しなよ」
 リラは面目なげに頭を()いて、決まりの悪さをごまかした。半年ものあいだ、友人そっちのけで研究に無我夢中だったのだ。
「ごめんなさい、どっぷり()かり込んじゃって。これは悪い病気みたいなもので、自分じゃどうしようもないのよ。今度は……できるだけ早く遊びにくるわ。そしたら市場を回ろう!」

 ふたりは、もういちど抱擁(ほうよう)し合い、今度はリラも力いっぱいに応じた。すこしむせながら、マレッタは言う。
「体に気をつけなリラ、ウトロに行くんだろ?」
「行かない」
「いつ出発するんだい?」
「明日の朝……じゃない」
「そうかい、だったら川を船で下るのはおやめ、海賊が出るからね。いいかい、何をさしおいてでも無事に帰ってくるんだよ。それから、たいへんな役目だし、さんざんひどく言っといて何だけど……。あの子を救っておやり」
「…………」
 とっさに反論できないのは、何も言葉に驚いたからではない。マレッタと似たような思いをおぼろげに感じていたからだ。

「だってさ、気の毒じゃないか。犯人だなんだっていっても、きっと言い分ってものがあるはず。これは他人の痛みをわかってやれる、あんたにしかできない役目だよ」
 たとえ、エルトランが苦しい立場にあるとしても、わかったような顔で手を差し伸べるなんて、おこがましい限りだ。救うといっても逃亡の手助けではないし、ましてや犯した罪を許すことでもない。それは、彼の心を救うことにほかならなかった。
「今日は、アマダさんもマレッタも、わたしに重すぎる課題を与えるのね……」

 どんな手を使おうとも無事に帰ってこよう、という気持ちに揺るぎはないが、危険な異端魔術師を相手に、境遇(きょうぐう)気遣(きづか)う余裕なんてあるのだろうか。
 ――わたしには、もったいないくらいの友人や仲間がいるけれど、エルトランには、大切な家族や、心の休まる場所はあるのかな? 彼はずっと、そしていまも孤独なのでは……。だとすると、とても悲しいことではないの?

 おそらく自分には、まだ十分な覚悟ができていないのだ、とリラは思った。


第七章につづく
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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