第七章 荒れ地の老人と天幕の記憶(3)
文字数 2,299文字
「そうだ。優れた学者だし、なかなかに気のいいやつでな。ほかに紹介したい男もおるのだが、それはいずれ話すとして、今日は、おまえの考えを聞きたいのだ」
おずおずと表情をうかがうアトワーズの姿は、娘に縁談をもってきた
問題さえ起こさなければ、あと二年もしないうちにリラは学業を終える。その後は、学費を返済し終えるまでのあいだ、研究への従事が義務付けられていた。
「歴史研究は大好きですわ! ロウマン先生からたくさん教わりましたもの」
「どうだ。おまえさえよければ卒業後の配属先として推薦してやってもよいと思っとる。とはいえ、噂にたがわぬ見事な
あばら
家でなあ……。はたして本当に、おまえをあそこへやってよいものか、いささか迷うておるのだ」気がかりなのは
「崩れそうな壁や抜けた床板なんて、わたしちっとも気にしません。腐った柱はちょっとだけ怖いけれど……。
いくら厳しい訓練によって魔術の思考法を
「よしよし。おまえの気が変わらんうちに、明日にでも書状をしたためんとな」
「ありがとうございます。受けた御恩は、いつか必ずお返しいたしますので、その日まで、その……、ずっとお体を大事になさってくださいね――」
急ぐようなアトワーズを見るにつけ、不安でならない。
「――けれども、配属のお話は、いくらなんでも早すぎるのではないでしょうか」
「そんなことはない。せっかくの才能を研究機関同士の競争や、ろくでもない戦場魔術の開発なんぞに使われとうはないからな――」
学院への
「――などと、我が学院の心配ばかりもしておれん。ときにリラよ、ロシュフォード校をどう見る」
「えっと……ロシュフォードは、ですね、学術研究をおろそかにして人材の質を下げている、と聞きます。でも、町の中であちらの子たちとすれ違うと、みんなとても明るい顔をしていますわ。なので、わたしには何が正しいのか、よくわかりません」
リラは、ぎょろりと向けられた両の
かげり
を見た。「そうか、おまえには彼らの笑顔がうらやましく見えるだろうな。だが、もし、ふたたび大きないくさが始まったら、と考えたりはしないか?」
「大きないくさ……ですか? そんな恐ろしい想像なんてしたことがありません。五年前、ロウマン先生はおっしゃいました。当分のあいだ、いくさは起きないから安心してキャンタベリーに行ってきなさい、って」
数十年前に最後の大きないくさが終結したことは、歴史に
「競うように魔術師の養成機関が建ち始めたのは、まだわしが若い頃だ。魔術が大きな戦果をあげた事と無関係ではなかろう。もちろん、学業がそのままいくさの準備になりはせんが、現在は静かな世の中も、この先どう転んでいくかわかったものではない」
「だから、わたしたちには、歴史の研究や過去の教訓から学ぶ使命が与えられているのですね。ロウマン先生の
アトワーズが歴史学者アマダのもとへの配属を持ちかけたのは、リラを取り巻く環境に配慮するためだけでなく、生死を共にした友人の意志を
まるで大仕事を終えたあとのように深く椅子へもたれかかると、アトワーズは
ふたたび
娘は靴を脱ぎ捨てて、行儀悪くも素足のままで椅子に両膝を抱え、すぐにも冬がやってきそうだから、チャタンへは厚手の毛布を持っていこうかな、などと、早くも明日からの実習に思いをはせていた。
そんな様子を眺めながら、老人は冷めた香草茶に手を伸ばす。配属の話に興味を示し、何より、自分の将来に希望を抱く教え子の姿が彼を
一年前のこと。豊かな黒髪を、娘は突然ばっさりと切ってしまったのだ。修行には邪魔だからと話すものの、嘘であることぐらいアトワーズにもわかった。いまは、すこしだけ伸びた髪を後ろへ追いやり、
学院にやってきた頃と比べると体も大きくなり、老人からすると直視できないほどにまぶしい生命力の