第九章 月夜の廃墟にて人の縁に感謝する(4)

文字数 2,666文字

 リラは、両手で杖を持ち上げるように背を伸ばす。ふたりは顔を見合わせると、ふたたび、月明かりに青く染まる芝生を歩き始めた。

 最初に口を開いたのはリラだ。
「ウルイさんは、どうやってアトワーズ先生と知り合ったの?」
 照れ隠しもあったが、気持ちが落ち着くと今度は好奇心が頭をもたげてきたのだった。
「わたしは幼い頃に、魔術師だった両親を亡くしてね」
「小さな頃っていうと……もしかして、ご両親は戦死されたの?」
 ウルイは「何も覚えてはいないけどね」と寂しそうに笑い、話をつづける。

「意志を継ごうと魔術師になったところまではよかったんだけど、頼る当てもなく国中をさまよっていたんだ。もしも師匠に助けられていなければ本当に野垂(のた)れ死んでいただろう」
 ふたりは月を浮かべる水路を見下ろしながら、斜面に沿って歩いている。
「じつは、師匠は両親のことをよく知っていてね。行方知れずのわたしを、手を尽くして探してくれていたんだ。だから頭が上がらないのさ。でも、遺言通りにそっと君を見守るはずが、いきなり向きを変えて旧敷地に入っていくもんだから慌てたよ」
「ウルイさんが後ろをついてきているなんて、わたし、ちっとも気づかなかった。けれど、見つかったりしたらどうするのよ」
「大丈夫さ……

ね。しかし君は勘が鋭いから、ばれてしまわないか、ひやひやだよ」

 よい足場を見つけたので、リラが先に斜面を下ってウルイを待った。
 彼の言葉を思い返すと、どうも含みのある言い方だ。たしかに、その尾行には気づかなかったが、閲覧室(えつらんしつ)や旧敷地で感じた気配だけでなく、記憶をたどればいくつもの不審な点があった。探索業務においても不思議と彼の姿を見ないことがある。

 たいへんなことに思い当たり、両腕で頭を抱えて声を張りあげた。
「まさか、姿消し!?」
 頼りない足つきで斜面を下り終えたウルイは、ひと息つくとゆっくり(うなず)いた。リラが興奮を隠せない様子で詰め寄る。
「さっき、あなたは『()められたものじゃない』って言っていたわ。それに、いつも独学だって。まさか、ひとりで覚えたっていうの? どうして姿消しを使えるって教えてくれないのよ」
「わたしは人に教わるのが苦手で、なんでもひとりで身につけてきたんだ。探索には必要だと思って必死に覚えたものの、許しがなくては習得できない呪文だから、人に知られてはまずいと思ってねえ」

 先ほどから驚き通しのリラだが、いっぽうでは急激に気持ちの熱量が失われていくのを感じ、冷めた目でウルイを見やった。
「そういえば……、城館跡で戦士の像に追いつめられて、もうだめだと思った時も、遺跡で馬頭鬼族(ばとうきぞく)と出くわして、死ぬかと思った時も、ウルイさんだけ姿が見当たらなかったような……」
「うーん……だからこの話はあまりしたくなかったんだ」
 申しわけなさそうにウルイはうなだれる。

「もう! せっかくのいい話が台無しよ」
 リラが、ふいっと背中を向けて足を速めたため、ウルイは慌てて追いかけ、あきれた横顔を(のぞ)き込んだ。
「ところで、明日の出発に備えて早めに休まなくてもいいのかい? まあ、調べたい気持ちもわかるけど、相変わらず、こうと決めたらまっしぐらだねえ」

 ウルイも人をとやかく言えない。極端な()り性でもなければ、ひとりで魔術を習得するなど不可能だからだ。ただ、彼がある部分においては達観(たっかん)するのに比べ、リラは己の力で状況を変えられると強く信じている。
「いくら頑張ったところで、なるようにしかならないって頭では理解しているわ。でも、自分じゃどうにもならなくて、納得がいくまでやりきりたいの。で……見つけたかも、ほら、あそこ」

 指さした先には真っ黒な隧道(ずいどう)が口を開けており、水路は月明かりごと奥のほうへ吸い込まれるように伸びている。片側には管理用の細い通路が、流れに沿って設けられていた。
 この暗渠こそ黒猫の言う暗い川だと確信する。ふたりは視線を交わして頷き、短い詠唱(えいしょう)で杖に明かりを灯した。

 まぶしさを避けるため、長衣の袖を被せて隧道の中を照らすと、古い蜘蛛(くも)の巣に虫の死骸(しがい)が絡まり、奥からの風を受けてはくるくると回っている。緩やかに流れる水は、堆積(たいせき)した落ち葉がはっきりと見えるほどに澄んでいた。
「なんだか気味が悪いけれど、怖くない?」
 意地悪く(ささや)きかけたのはリラだ。
「ああ、平気だよ……わずかだけど興味が上回っているかな。まあ、後ろは任せたまえ」
 ウルイはそう言うと、リラの背後に隠れてしまった。

 隧道には苔の匂いが満ちていた。レンガを積み上げた壁は濡れており、魔術の明かりをてらてらと反射する。しかし、百歩も進んだ所で通路は途切れていた。
 闇の奥へと明かりをかざしても何ひとつ見えないが、リラは気落ちすることなく、つぎなる一手を模索した。

「さっきの黒猫が教えてくれたのだけれど。暗い川にある冷たい壁で人間の匂いが途絶えるって――」
 隧道にウルイの声がこだまする。
「――結界魔術だよ、リラ君! 我々は認識を(ゆが)められているんだ。おそらく、探しているものは目の前にあるのさ」
 リラが、はっとしてエルトランを思い浮かべると、ウルイは一歩進み出て真剣な表情で壁に手をかざしていた。
「解呪はわたしの専門とするところだ。君は疲れもあるだろう」
 言いながら、前もって魔力の感知を試みようとする。本当に結界が存在し、それを解くことができれば、隠されているものが姿を現すだろう。

「まってウルイさん、わたしは大丈夫。それと、今日は人に助けられてばかりだから、ここは自分の力で乗り越えたいの。もしも手に負えないような結界だったら、その時はお願い」
 これは謙遜(けんそん)に過ぎる、というものだ。こと解呪に関しては名人ともいえるウルイだが、この時にリラが見せた芸当を真似することはできない。静止状態にあって見つけにくい魔術の感知、識別と、それを無力化する解呪の詠唱を、彼女は同時にやってのけたのだから。

 二重詠唱という特異な技術は、故郷での修行において、苦労して身につけた螺旋式(らせんしき)の詠唱法が下地となっていた。
 もつれた糸をほぐすような作業の果て、錆びついた鉄の扉が目の前にあった。結界の幻惑(げんわく)により知覚が鈍っていただけで、どうも最初から見えていたようだ。
「ありがとうウルイさん、大当たりよ! ついに見つけた!」
 不可解な扉のことよりも、読みが的中した嬉しさを抑えきれず、リラはウルイの手をとって、何度も小さく飛び跳ねた。

「なるほど、確かに冷たい壁だ。きっと猫には見えていたんだろう。だけどもリラ君、これは……いかにも怪しげだねえ」
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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