第八章 うごめく者たち(4)
文字数 2,083文字
積み上がった書物を片づけるために、開かれたままの卒業者名簿を閉じようとして、ふと手を止めた。
引っかかりを感じたためだが、その正体はわからない。本来なら存在するはずのものが見当たらないように思えた。卒業生のすべてを覚えてはいないが、少なくともリラの知る事実とは一致しない。
脳裏に立ち込めた霧の、すぐ向こう側に誰かがいる。
じっと見つめる視線に気がついたのはその時だ。リラはあたりを見回すが、増えつつある学生たちのなかに何者か混じっているように錯覚したのは、朝から学院中を
居心地の悪さを感じたため、残る時間をウトロへの旅に向けた調べ物に当てようと席を立った。
猫を踏みつけないよう柱の
火の気を嫌うここでは、天井より吊るされた照明器具から、柱に掛けられた
丸い天井に描かれたポロイの叙事詩を照らす光は、時間とともに位置を変える。かげりつつある太陽が浮かび上がらせているのは、新天地に巣くう魔物との戦いで傷つき倒れたポロイが、後継者たちに見守られるなか、その目を閉じようとしている場面だ。
リラは、地質学や産業学などの書籍をかき集め、椅子にどかっと腰を下ろすと、急いで目につく記述を拾っていく。表紙を開くと
村は、ポロイ
地質学の研究記録には、千年以上の昔にウトロで起きた気候変動について記されていた。火山活動による地形の変化で川がせき止められたために、水量の豊富なポウトリ湖が生まれ、森の形成が
一帯は、年間を通じて雨が多いことで有名だ。以前、リラが滞在した時も雨だった。雨と霧の印象が強かった。〈薄暮の森〉は昼間でも薄暗く、樹木の育ちが
考古学書から得た情報は、なかなかに興味深いものだった。〈薄暮の森〉の深くには、木々が生い茂るにつれて放棄された、多くの古代遺跡が眠っているという。
ポウトリ湖の周辺では、大小四十もの村落が共同体を築いている。中心を担うのが、リラも宿泊を予定するクイルツッカという漁村。宿場としての役割以外にも、産物の集積、加工地として栄え、小都市ともいえるにぎわいを見せている。
クイルツッカは、ウトロから、いかだを組んで運ばれてきた木材が加工されるのをはじめ、ヌルイカ酒やパクナス
ポウトリ湖よりあふれる水はシューリール川となって海へそそがれ、加工品も船でフランパーナの港へと運ばれる。
また、毎夜のごとく発生する霧は、その幻想的な美しさから多くの歌に
明日からの旅で、リラは初めて東の山脈を越えることになる。これまでにもクイルツッカやウトロを訪れた経験はあるが、船で川を行くことで、難所として名高い峠を回避していた。
フルミドやマレッタが言うように、近頃、川では海賊行為が横行しているため、峠越えを選ぶ者が少なくないと予想される。
リラは明日からの任務に思いをはせた。いまだ気持ちは晴れないが、もともと旅は好きだった。
小さな頃は、旅人や老師から聞かされる、未知の世界を夢見ていたし、山を、川をひとつ越えるたびに、見知らぬ人々や風景に出会えるからだ。クイルツッカでは魚料理が待ち受けているが、そのための対策もぬかりない。