第四章 奔走(2)
文字数 3,412文字
ふとどき者には
「きさま、よくも
痩せた魔術師が、リラの鼻先に杖を突き出し吐き捨てた。伝わるのは、エルトランに向けられた、ただならぬ怒りだ。
手荒い出迎えだったとはいえ、大人げない態度をあらため、リラは深々と頭を下げて見せた。事を荒立てては元も子もない。
「失礼なことを言ってごめんなさい。とても気を悪くさせてしまったわ。でも……、どうしても彼について調べないといけないの」
男は
「し、調べるとはなんだ!? 山の民ごときが何を偉そうに。いちいち気に
すると、横合いから別の魔術師が加わった。
いまは乞うてでもエルトランの情報を引き出したいところだが、友好的な表情を作るのも楽ではない。
「もちろん逃亡者のことを調べているのよ。学院としても、同じ研究員としても、彼の行いを許すなんてできないでしょう?」
用心して言葉を選ぶが、どうも思わしくない。痩せた男のほうは、すぐ顔に出るようで、「気安く学院を語るな!」と言いたげだ。大柄な幼児のような男に至っては、薄気味悪く笑うだけだった。
――だめだ。たぶん、まともに話す気なんてないんだ。ここには、もうすこし話のわかる人はいないのかしら!
男は、短く刈り込んだ銀色の巻き毛と、ほり深く整った顔立ちが相まって、まるで大理石の彫像を思わせる。全身からは、自信の
――今度は貴族だ……。
リラは警戒した。血筋や名声、実績すべてに非の打ちどころがない魔術師だ。
男は口を開く。物腰が優雅なのはうわべだけだろう。
「我々は、エルトラン君の愚かな振る舞いによって、いわれのない中傷を受けたのだ。君は、それを知ったうえで尋ねているのかな?」
煮え湯を飲まされ、名誉が傷つけられたのに、蒸し返さんとする配慮のなさに表情を険しくする。
「だとすると、あまりにも失敬ではないか、あわれな〈山の娘〉よ」
周囲では、リラと、いまやすっかり縮んでしまったふたりのどちらに向けたものなのか、研究員たちが
武人を思わせる魔術師は、名をロスローという。近年では珍しくなった、いくさによる
どうあがこうとも、この
ペンダントを探す手に心臓の早打ちが伝わり、意識の流れが
気にも留めず、ロスローはつづける。
「それと、先ほど彼が話したように、ここへは君みたいな卑しい者が来るべきではないよ。手荒なことはわたしの主義に反する。即刻この場より立ち去るよう勧めるが、違うかね?」
響きは穏やかでも内容はすこしも変わらない。むしろ、当然のようにリラを低く見ている。それは、忘れたい過去を否応なく刺激した。
――そうだ、この人は貴族というだけじゃない。自身が爵位どころか称号までもっている。
貴族とは、国王より所領や地位を下賜された、政治的、軍事的に国家の運営を担う家系である。彼らには務めを果たす代わりとして世襲の特権が与えられていた。
ロスローは称号を有する
「ロスロー卿、許可を得ずに伺った無礼を、どうかお許しください」
またとない機会なので、リラは従順をよそおい振る舞うが、うっかりと出まかせ気味にこう言った。
「本部役員の方々より指示を受け、逃亡者が引き起こした事件に関する新たな調書を作成しているのです。そこで、教えを請うべく参りました」
エルトランについて自由に調べても構わないと言ったのは〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉ことネイドルだ。「なぜいまごろ? 怪しいやつめ」痩せた男の目が、ぎょろりと訴えてくるが気に留めてなどいられない。
「ご面倒はおかけいたしません。役目が終わりしだい、すぐに立ち去ることを杖にかけて誓います」
うやうやしい態度にくすぐられたのか、ロスローは
「ありがとうございます。かの逃亡者はいまだに行方が知れず、解決に向けた糸口も見つかっておりません。書物の奪還、さらには学院の名誉を守るため、なにとぞ事件についてお聞かせくださいませ」
しばらく考えたあと、ロスローは端正な口を開く。
「学院の指示といっても、おいそれとは信じかねるな……。気を悪くしないでくれたまえ。君を疑うつもりはないのだが、人の世には道義が、物事には道理というものが存在するのだ」
対等に言葉を交わすのさえ理に反するというわけだ。ここは、思い浮かべることすら避けたい役員たちの名を出すべきか、リラが葛藤していると、痩せた魔術師が、ここぞとばかり鼻息荒く
「ふふん! ようするに、きさまとあの裏切り者、身分卑しき者同士で釣り合いがとれるということだ」
「え? どういう意味なの」
リラは眉をひそめた。ロスローの両脇に控える彼らは、うすら笑いを浮かべていたが、口元を歪めるだけだった男がたまらずに気を吐いた。
「頭の鈍いやつめ! どうやら理解できんようだから教えてやろう。やつの生まれだ。つまり――」
「――つまり?」
「貧民街! おまえと同類ってわけだァ!」
きょとんとしていたリラは、すぐさま表情を険しくする。
――わたしは、貧民街の生まれなんかではないっ!
山での暮らしは貧しくて、それはたいへんだったけれども、卑しいと嘆いたことなんていちどもない。大切な故郷を
もちろん、そうしたところで得るものはなく、息をついて思いとどまると彼女は尋ねた。
「木橋の向こう側にある、あの貧民街。エル……じゃなかった、彼はあそこの生まれなのね?」
二本の川が出合う三角地帯にある貧民街。今でこそ市壁の内側に取り込まれているが、その区画には、かろうじて都市に住まうことを許された人々が暮らす。土地は低く、湿気がたまりやすくて地盤もゆるいため、大雨のたび水に浸かっては人々を悩ませていた。
今度は、痩せた魔術師が嬉々として答えた。
「そういうことだ! やつも、きさまも、
語尾には高笑いがつづいた。リラは思わずエルトランをかばいたくなったが、気づいたことがひとつある。
――間違いない。彼もわたしと同じく奨学金での就学だ……。
さらに、負の感情を敏感に嗅ぎ分けてしまうリラは、息まく男たちの
なんと言うか、このふたりは弱そうだ。
「さあ、きさまなどもう用済みだ。とっとと失せるがよい。それともなにか? いちど痛い目をせねばわからぬか」
男は骨ばった手で杖を床から浮かして見せた。
「待って! まだ聞きたいことがあるわ。彼が取り組んでいた研究ってなんなの? 禁じられた異端研究をしていたっていう噂を聞くわ」
それには、どういうわけかロスローが応じた。目を細め不快な気持ちを隠そうともしない。語られたのは恐るべきことだった。