第四章 奔走(2)

文字数 3,412文字

 空気が張り詰め、つぎに室内がどよめいた。騒ぎを眺める者たちが顔を見合わせたあと、いっせいに、殺気のこもった視線をリラに突き立てる。
 ふとどき者には(むく)いをくれてやろう。のこのこと現れた愚か者を打ち負かして腹いせとすることを、彼らは考え始めていた。

「きさま、よくも忌々(いまいま)しい名を……。いまいる場所を知って抜かしておるのか!」
 痩せた魔術師が、リラの鼻先に杖を突き出し吐き捨てた。伝わるのは、エルトランに向けられた、ただならぬ怒りだ。
 手荒い出迎えだったとはいえ、大人げない態度をあらため、リラは深々と頭を下げて見せた。事を荒立てては元も子もない。

「失礼なことを言ってごめんなさい。とても気を悪くさせてしまったわ。でも……、どうしても彼について調べないといけないの」
 男は釈然(しゃくぜん)としない様子で構えを解くが、すぐさま眉間にしわを寄せる。
「し、調べるとはなんだ!? 山の民ごときが何を偉そうに。いちいち気に(さわ)るやつめ」

 すると、横合いから別の魔術師が加わった。背丈恰幅(せたけ かっぷく)ともに最初の男を上まわり、肉付きなどまるで健康な幼児を思わせる。歪んだ笑みは、リラを嫌悪させるのに十分すぎた。
 いまは乞うてでもエルトランの情報を引き出したいところだが、友好的な表情を作るのも楽ではない。

「もちろん逃亡者のことを調べているのよ。学院としても、同じ研究員としても、彼の行いを許すなんてできないでしょう?」
 用心して言葉を選ぶが、どうも思わしくない。痩せた男のほうは、すぐ顔に出るようで、「気安く学院を語るな!」と言いたげだ。大柄な幼児のような男に至っては、薄気味悪く笑うだけだった。
 ――だめだ。たぶん、まともに話す気なんてないんだ。ここには、もうすこし話のわかる人はいないのかしら!

 (なげ)きそうになるリラの目に飛び込んできたものは、()(ゆか)通路へ伸びる階段を、立派な体格の男が下りてくる光景だ。リラと対峙するふたりが慌てて道をあけた。城門の警備兵じみた所作を滑稽(こっけい)に思ったが、それまでのざわめきが消え去ると彼女は身を硬くした。

 男は、短く刈り込んだ銀色の巻き毛と、ほり深く整った顔立ちが相まって、まるで大理石の彫像を思わせる。全身からは、自信の奔流(ほんりゅう)があふれ出していた。身分を示す紫紺色の衣服を着ていなくてもわかる。
 ――今度は貴族だ……。
 リラは警戒した。血筋や名声、実績すべてに非の打ちどころがない魔術師だ。

 男は口を開く。物腰が優雅なのはうわべだけだろう。
「我々は、エルトラン君の愚かな振る舞いによって、いわれのない中傷を受けたのだ。君は、それを知ったうえで尋ねているのかな?」
 煮え湯を飲まされ、名誉が傷つけられたのに、蒸し返さんとする配慮のなさに表情を険しくする。
「だとすると、あまりにも失敬ではないか、あわれな〈山の娘〉よ」
 周囲では、リラと、いまやすっかり縮んでしまったふたりのどちらに向けたものなのか、研究員たちが下卑(げび)た笑いを浮かべていた。

 武人を思わせる魔術師は、名をロスローという。近年では珍しくなった、いくさによる手柄(てがら)もあり、攻撃魔術の達人として名をはせていた。有力な魔術師だけで構成された学院評議会の一員でもある。

 どうあがこうとも、この手練(てだ)れにはかなわないのに、つい力量を推し測ってしまうのは、決闘つづきだった学生時代からの悪癖(あくへき)だ。
 ペンダントを探す手に心臓の早打ちが伝わり、意識の流れが螺旋(らせん)を描く。リラは、足を開いて構えようとする、喧嘩(けんか)っ早い自分を押しとどめた。曲がりなりにも研究者同士、彼が実力に訴えるとは思えない。

 気にも留めず、ロスローはつづける。
「それと、先ほど彼が話したように、ここへは君みたいな卑しい者が来るべきではないよ。手荒なことはわたしの主義に反する。即刻この場より立ち去るよう勧めるが、違うかね?」
 響きは穏やかでも内容はすこしも変わらない。むしろ、当然のようにリラを低く見ている。それは、忘れたい過去を否応なく刺激した。
 ――そうだ、この人は貴族というだけじゃない。自身が爵位どころか称号までもっている。

 貴族とは、国王より所領や地位を下賜された、政治的、軍事的に国家の運営を担う家系である。彼らには務めを果たす代わりとして世襲の特権が与えられていた。
 ロスローは称号を有する生粋(きっすい)の貴族だが、身分を表す紫紺色(しこんいろ)の衣服は着ていない。揺るがぬ実力と矜持(きょうじ)を、引き締まった体躯(たいく)が雄弁に語っていた。

「ロスロー卿、許可を得ずに伺った無礼を、どうかお許しください」
 またとない機会なので、リラは従順をよそおい振る舞うが、うっかりと出まかせ気味にこう言った。
「本部役員の方々より指示を受け、逃亡者が引き起こした事件に関する新たな調書を作成しているのです。そこで、教えを請うべく参りました」
 エルトランについて自由に調べても構わないと言ったのは〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉ことネイドルだ。「なぜいまごろ? 怪しいやつめ」痩せた男の目が、ぎょろりと訴えてくるが気に留めてなどいられない。
「ご面倒はおかけいたしません。役目が終わりしだい、すぐに立ち去ることを杖にかけて誓います」
 うやうやしい態度にくすぐられたのか、ロスローは(あご)をかすかに動かした。
「ありがとうございます。かの逃亡者はいまだに行方が知れず、解決に向けた糸口も見つかっておりません。書物の奪還、さらには学院の名誉を守るため、なにとぞ事件についてお聞かせくださいませ」
 しばらく考えたあと、ロスローは端正な口を開く。
「学院の指示といっても、おいそれとは信じかねるな……。気を悪くしないでくれたまえ。君を疑うつもりはないのだが、人の世には道義が、物事には道理というものが存在するのだ」
 対等に言葉を交わすのさえ理に反するというわけだ。ここは、思い浮かべることすら避けたい役員たちの名を出すべきか、リラが葛藤していると、痩せた魔術師が、ここぞとばかり鼻息荒く(ののし)った。
「ふふん! ようするに、きさまとあの裏切り者、身分卑しき者同士で釣り合いがとれるということだ」
「え? どういう意味なの」
 リラは眉をひそめた。ロスローの両脇に控える彼らは、うすら笑いを浮かべていたが、口元を歪めるだけだった男がたまらずに気を吐いた。
「頭の鈍いやつめ! どうやら理解できんようだから教えてやろう。やつの生まれだ。つまり――」
「――つまり?」
「貧民街! おまえと同類ってわけだァ!」
 きょとんとしていたリラは、すぐさま表情を険しくする。
 ――わたしは、貧民街の生まれなんかではないっ!

 山での暮らしは貧しくて、それはたいへんだったけれども、卑しいと嘆いたことなんていちどもない。大切な故郷を(あざけ)って、人を見下す傲慢さを目の当たりにし、怒りに身を任せてしまいそうだった。
 もちろん、そうしたところで得るものはなく、息をついて思いとどまると彼女は尋ねた。
「木橋の向こう側にある、あの貧民街。エル……じゃなかった、彼はあそこの生まれなのね?」

 二本の川が出合う三角地帯にある貧民街。今でこそ市壁の内側に取り込まれているが、その区画には、かろうじて都市に住まうことを許された人々が暮らす。土地は低く、湿気がたまりやすくて地盤もゆるいため、大雨のたび水に浸かっては人々を悩ませていた。
 今度は、痩せた魔術師が嬉々として答えた。
「そういうことだ! やつも、きさまも、賤民(せんみん)の分際で我がカンタベルをへどろの足で汚しておるのだ!」
 語尾には高笑いがつづいた。リラは思わずエルトランをかばいたくなったが、気づいたことがひとつある。
 ――間違いない。彼もわたしと同じく奨学金での就学だ……。
 さらに、負の感情を敏感に嗅ぎ分けてしまうリラは、息まく男たちの(ねた)みや(そね)みから、エルトランの力量と、この研究室における序列のようなものが両名を上回っていることを感じ取る。ただし、これは参考にもならない。
 なんと言うか、このふたりは弱そうだ。

「さあ、きさまなどもう用済みだ。とっとと失せるがよい。それともなにか? いちど痛い目をせねばわからぬか」
 男は骨ばった手で杖を床から浮かして見せた。
「待って! まだ聞きたいことがあるわ。彼が取り組んでいた研究ってなんなの? 禁じられた異端研究をしていたっていう噂を聞くわ」
 それには、どういうわけかロスローが応じた。目を細め不快な気持ちを隠そうともしない。語られたのは恐るべきことだった。
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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