第五章 アマダの研究室(2)

文字数 1,805文字

 十年前のことである。ずっと東の山奥で金脈が発見された、と町中が大騒ぎになったのだ。
 発端は、カドマク・ニルセンなる探検家が、魔物に襲われて谷へと転落した際、川底に大量の砂金を見つけたことだ。

 一躍、時の人となったニルセンは、手に入れた資金をもとに、鉱脈探索や製錬(せいれん)などの専門家と魔術師や傭兵からなる部隊を編成し、三度にわたり川を遡上(そじょう)する探索を行なって、いくつかの鉱脈を探し当てることに成功した。
 四度目の探索に向けて貴族や事業家からの援助を取りつけると、周到な準備のうえ、観衆に見送られて町をあとにする。

 ところが彼らは、さらに奥地へ足を踏み入れたまま消息を絶つ事となった。拠点とした集落から出発する姿を最後に、その姿を見た者はいない。彼らはめざすものを発見したのだ、と言う者もいたが、戻ってきたのは、狂人(きょうじん)と化した雇われの案内人だけだった。

 一行の謎めいた最後とも相まって、その後も人々の狂乱はやむことを知らず、一攫千金(いっかくせんきん)を夢見た者が山奥の集落に押し寄せた。
 山師(やまし)や冒険者にとどまらず、上は貴族や聖職者から、下は商人や放浪の者に至るまで、欲を刺激された者たちが集まり、探索の拠点として、ニルセンの名を冠した小都市を山奥に築き上げる。

 人々を妄信的(もうしんてき)に駆り立てたのは、古くから伝わる黄金都市の伝説だった。それによれば、英雄ポロイが新天地と称したこの大地に、人間が移り住む(はる)か前に栄えていた文明とされる。
 ポロイに仕える側近のひとりが、啓示(けいじ)を受けた探求の旅から生還し、こがね色に輝く都市の存在を伝えたのだといわれているが、この手の伝説には、そんな逸話(いつわ)がつきものだ。

 熱狂も、しかし数年とはつづかなかった。砂金や鉱脈が期待に反し、ほとんど見つからないことに加え、山の奥地には、よこしまな魔獣が徘徊(はいかい)して危険きわまりないからである。
 小都市ニルセンは、無人となって放棄されたいまでも、その姿をとどめたままだ。


 エルトランの所持品にあった〈金脈を当てる 勝ち組が教えるその方法〉は、当時に多く出回っていたものだ。
 筆者である、投機事業でひと山を当てた山師(やまし)が、黄金の普遍的な価値をとくとくと語る序文に始まり、植生や土の味から露頭(ろとう)した鉱脈を探し当てる、といった技術の解説がつづく。
 さらには採掘方法についても触れられており、鉱石の製錬や精製技術までを、詳細な図とともに指南する内容となっていた。

 どの本もよく読み込まれているようだが、肝心の、魔術に関するものが見つからず、室内には書棚すらない。リラは望みを託すように長持(ながもち)の蓋をあける。
 鼻が、ある記憶と結びつく何かを捉えるが、それはすぐさま空気に溶け込んでしまった。底には数着の衣服と細かな雑具が置かれていた。

 寝台に広げたうちの一着は、貴族が好んで使う紫紺色(しこんいろ)に染められている。貧民街を生まれとするエルトランにはそぐわないが、これまでを思うに、彼が貴族や権威への憧れを抱いているとすれば納得がいく。また、別の長衣は新しいものなのに、いくつもの、破れを(つくろ)った跡が見られた。

 万能ナイフに水差し、筆記具も、これといって目を引くものではない。手に取って確かめたのは、粗雑(そざつ)なつくりの、小さな陶器の人形だった。
 頭頂の(くぼ)んだ小人が膝を抱え、細い目と口でにんまりと笑った意匠(いしょう)だ。表面には軽く焼き締められた跡が見え、手のひらに伝わる軽さからは、中が空洞であることを感じた。

 これらがエルトランの所持品のすべてだった。ひとりの男が暮らしていたにしては少なく、魔術書の一冊すらないのは不自然だ。
「本は事件の時に持ち出したのかな? でも、彼は逃げるのに必死なのだから重たいものを持っていく余裕なんてなかったはず」
 事前に隠した可能性だって捨てきれない。だとしても、広大な学院のいったいどこへ。リラは貴重な時間を無駄にしないよう、早々に考えを打ち切った。

 家財の少なさを研究に打ち込む人物だからと見ることもできるが、ぽかんと穴があいたような引っかかりを残したまま、部屋をあとにするしかなかった。
「もうすぐ正午だし、何か食べないと。それと研究室にも寄っていこう。みんなにも会わずに出発なんてできない」
 空を見なくても腹具合でわかる。リラは自慢ではないけれど、生まれてこちら、食事が喉を通らなくなるほど思い悩み、落ち込んだためしなんて、ほとんどない。
 彼女は、〈よい仕事は、よい食事から〉を信条としていた。
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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