第八章 うごめく者たち(1)

文字数 2,364文字

 聖地ポロイヤートをめざす巡礼者がキャンタベリーの町を視界に(とら)えようというとき、空の紺碧(こんぺき)を映す水面(みなも)のような大屋根と、象牙色(ぞうげいろ)の外壁をもつカンタベル学院中央棟を遠目に認めるだろう。
 日が暮れると魔術の灯りによって照らし出され、闇に浮かび上がる絹織物にも似た姿は、近年よく見られる、夜間に街道を急ぐ者の道標ともなっていた。また、遥かミュルヌーイ峠の高台で夜を明かした旅人は、朝日に輝く瑠璃色(るりいろ)を眼下に見るという。

 中央棟の壮麗な外観は、しばしば乙女の肌にたとえられる。建築に使われた大理石は、チャタン近くの石切り場で切り出される黒味を帯びた石や、東の岩場から運ばれる朝焼け色をした石のどちらとも違うため、町の景観の中において、よりいっそう際立つのだった。

 数十年前に行われた学院の拡大工事では、旧敷地にあった中央棟を数年がかりで解体し、そっくりそのままで移築する、国をあげての一大事業となった。軍用魔術の研究から転用する形で、土人形(つちにんぎょう)を使役しての運搬作業が実用化されたこともはずみとなった。
 大きな戦乱が終結した矢先で、どこへ行っても人手が足りないのに、国中から技術者が消えた、と不平不満の声が噴出したことからも、当時の活気や事業の規模が(しの)ばれよう。

 回廊からは、学舎に挟まれた噴水広場を通り抜ける道が早い。中央棟の(すそ)をもったいぶるように隠すアーチをくぐると、前庭から大扉まで石段が伸びている。これだけ近づくと、さしもの大屋根も見えない。

 成すべきことを決めたあとは早かった。リラは石段を駆け上がる。刑場へと引き出されるように錯覚したのも、いまとなっては過去のこと。くよくよ悩むよりも体を動かすほうが性に合っているし、これまでだって思い切った行動で、よい未来をつかんできた。
 立ちはだかる壁を、もはや恐れるほど高くは感じない。問題解決型の考えを好む彼女にとって、それなりに充実した一日だ。
 ついでに、お堅いロスローの、鼻をあかすことができれば上々だろう。

 大扉をくぐり中央棟のロビーへ。外光が(たく)みに取り込まれているので、すぐに目が慣れる。行き交う研究員たち、博物展示室と図書閲覧室へ伸びる通路、正面奥に見える緩やかな階段。勝手知ったるいつもの光景――
「わわっ!」
 声をうわずらせて柱の陰に飛び込んだ。息を殺し、杖を小さく抱え込む。遺跡の坑道で、残忍なことで知られる馬頭鬼族(ばとうきぞく)の戦士とばったり鉢合わせした時も、これほど情けない声は出さなかった。
「さ、最悪の日だ……あの丸眼鏡がいる」
 よく知った人物を先頭とする一行が正面の階段を下りてくるところに出くわした。わざわざ(のぞ)き見なくても、金物に爪を立てたような声がその接近を知らせている。

 勢いのままロビーに踏み込んだことを、いまさら悔やんでもしかたがない。事ここに至っては、柱を背にして注意深く、つま先を小刻みに動かすほかなかった。

 首をひねるように伸ばして安全を確かめる。猫背の小男が魔術師をぞろぞろと引き連れていく様子が滑稽(こっけい)だ。リラとしては、なるべく関わりたくないが、学院での地位を築くには実績を重ねていく以外の方法もある。付き従う魔術師たちには彼らのやり方があるのだろう。

 最後尾をついて歩く男が振り返る。誰かと思えばフルミドだった。影の薄さは相変わらずだが、勘のよい用務係だけはリラを見つけていたようだ。ふうっ、とひと息ついてから、抱えた杖が柱の陰よりはみ出ているのに気がついた。
 行き交う者たちの、いぶかしむ視線を感じたため、柱にもたれつつ人を待つのをよそおって風景の一部であろうとした。

 徒党のような魔術師たちを見て、エルトランに共謀者がいる可能性を考えた。マレッタと話すなかでは感傷からその孤独を心配もしたが、リラに助っ人が手配されたのと同じく、彼に協力する者がいたとしても不思議ではない。
 貧しい育ちのエルトランに人を雇うほどの余裕があるとは思えないが、それは、ただのならず者の用心棒とは限らない。魔術師のなかにも道を外れる者はいるし、仕事を選ばず悪事を働く冒険者だっている。
 もしそれが盗掘村出身の暗殺者だとすれば、毒まで用いる危険な相手だが、リラには研究者としての意地と、盗掘師たちに遺跡の探索を邪魔されつづけた恨みがある。仮に対峙した場合は、たとえ亡き恩師の遠縁(とおえん)といえど手心(てごころ)を加えるつもりはない。

 閲覧室へつづく廊下を進むと、等間隔の柱に掛けられた灯りが、人の背丈の倍ほどもある立像を浮かび上がらせている。片手に書物を乗せた偉丈夫は二百年も昔の国王で、在位中にカンタベルの設立と復興に尽力したため、この地では名君として名を残す。
「それにしても……」
 リラがため息混じりに呟くものだから、奥からやってきた司書が怪訝(けげん)な顔で通り過ぎていく。
 仮に役目を果たせた場合は、役員たちとの面会が控えており、想像だけでめげそうだ。フルミドを介して報告を済ませてしまおうか、などと思案するけれど、奨学金(しょうがくきん)の免除や帰郷の件がある以上、避けては通れないだろう。あるいは、それすらも待ち遠く思えるほどの旅になるのかもしれない。

 閲覧室へは、書物の盗難を防ぐために狭まった入口が二か所あるだけだが、湿気を逃がすための通風孔が設けられている。空気の流れは、古い書物と淀んだ酒の匂いを運んできた。

 入口には年老いた守衛がひとり、昼間だというのに酒瓶を抱えたまま椅子にもたれかかっている。赤味がかった顔を二分するように、ひどい刀傷が左まぶたから右頬へと走っていた。
 男はくたびれた前髪の隙間から、出入りする者をぎろりと(にら)んでは、つまらなそうに顔をしかめていたが、リラに気づくと右目を見開き、脇に立てかけていた短い杖を乱暴につかんだ。
「まだこんな所にいやがったのか、この……、ろくすっぽ字も読めん田舎者めが!」
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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