第三章 ジュナンとヴィルジット(1)
文字数 2,827文字
部屋を出たリラは、大袋を提げて炊事場までやってきた。カンタベル学院に勤める者の多くは寮での暮らしを送っており、彼女もいくつかの設備をほかの住人たちと共同で使用している。
空がいくぶん白んできたといっても、窓から差し込む光は頼りない。リラは頭上の
音も立てず、はかなく光る泡のようなものが次々に浮かび上がり、はじけて霧散しながら降りそそぐと、たちまち光が満たしていく。
手早く支度を整え、備え付けのテーブルへ。どかっと椅子に座るとリラは、きめの細かなパンに切り落した塩漬け肉をのせ、勢いよく口に運んだ。すぐさま顔を真っ赤にすると、胸元を叩きながら水で流し込む。昨日は思いもよらぬ邪魔が入ったため、丸一日ぶりの食事となった。
つぎに、貯蔵庫から干し肉や日持ちする黒パンをかき集めて大袋に詰め込んだ。外はいっそう白さを増し、空気の震えが活気を運ぶ。
リラは、ぽんっと手を打った。
「よし決めた。こうなったからには、エルトランという人をとことん調べてやる。そうだな……まずは彼が勤めていた研究室を当たろう。何か手がかりになる話を聞けるはずだ」
相手を探り先手を取る。盗まれた魔術書についても同様だ。空腹が満たされたとたん意気が高まってきた。
「得意な魔術はなんだろう。やっぱり異端研究が怪しい。あと、好みや癖も知りたいし、考え方だって私とはきっと違う」
日頃より、
「それにあの日、吹雪の中でエルトランを追いかけた人がいる、と噂されているけれど、いったい誰なのかな……。でも、よくよく考えてみれば、その人がしっかりしていないから、わたしがこんな目にあうんじゃないか。もし見つけたら絶対にとっちめてやる」
無性に腹が立ってきた。リラは、ぶつぶつ
丈夫さが売りの革の
ウトロに至る道のひとつは、聖地ポロイヤートへの
扉をあけると青白い顔がぬうっと覗くので、リラはあやうく跳び上がりそうになる。半年ほど前から雇われている初老の用務係で、生気の乏しい目には恨めしげな光をたたえていた。昨日の昼下がりに本部役員の遣いでやってきたのもこの男だったため、面識はなくても、そもそもの印象がよくない。
「リラさん、ネイドルさんからのお届け物ですよ」
枯れ木のうろを抜ける風のような声だった。ネイドルとは、リラに指示を下した役員のうち、
おそらく
はうろ覚えなのは魔術の思考法を乱用し、わざと記憶を遮っているためで、〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と、脇にいた〈金切り声の丸眼鏡、くせ者〉ぐらいの認識しかない。昨日の執務室での件については、ひとつの整理もついていなかった。そういえば、追って詳細を伝える、と言われた気がしないでもない。
「あら、たしか……フルミドさん、でよかったかしら?」
ふふふ、と男は笑う。手渡されたのは、まず、封書と明るい色調の衣服。つづいてリラは、布にくるまれた棒状のものを受け取るが、ずっしりと手首に加わる重さに驚いた。包みを解くと、鞘におさまった剣が姿をあらわにする。
「これは、なに……」
「……剣ですねえ、剣」
リラは片頬が引きつるのを感じた。フルミドを見ると、油の切れたからくり人形のように首をかしげるばかり。
――大道芸をやれって言われた覚えなんてない。
答えを探すように柄を握って引き出すと、磨き抜かれた剣身が
いっぽうの衣服だが――こちらは剣士風のものだ。それを両手で広げたまま、リラは言葉を失った。しげしげと眺めていたフルミドは、そのうちに、どうしてか満足げな顔で帰っていった。
封書には、ネイドルよりの指示書と、
機密の保護を最優先とせよ。任務のあいだは、身分を隠すために旅の剣士として振る舞うように。
「何よこれ! ふざけるのもいい加減にして!」
震える手で指示書を破り捨てる衝動に駆られた。極秘調査に向けた変装なのに、わざわざ目立つ格好をする意味がわからない。リラは寝床に放り出された衣服をじっとりと睨みつけた。
「あの人たちは正気なの? もしかして本当のところ、わたしをここから追い出したいだけじゃないの」
けれども、貴重な時間を無駄にはできない。彼らにしても、学院の一大事である以上は何か考えがあるのだ、と思いたかった。
気を取り直すと、もういちど剣を手にして引き抜いた。細身に作られているため、片手でも十分に扱えそうだ。幼い頃、里を訪れた旅人にねだり、柄を握らせてもらったことが懐かしい。
ただ、旅の荷物に加えて、これほど邪魔なものを所持していると、身振り手振りをともなう呪文の詠唱にとって妨げとなりかねない。
つぎに、
「――これは……悪くない」
肌に伝わる感覚に目を見張った。
ともすれば愛用の黒衣よりも身軽に動けるかもしれない。それのみか剣士の出で立ちであれば、証書や偽名とも相まって事件に関わりやすくなる。
送りつけてきた相手のことなど頭からとうに消えていた。
ふと、姿見にちらりと目をやった。鏡面に映るのは、開いて立つ癖が抜けない行儀の悪い足、肩にも届かない黒髪に縁どられた、
その姿に、四年前の旅で知り合った、勇敢な女剣士の記憶を重ね合わせていた。