第五章 アマダの研究室(3)

文字数 4,305文字

   * * *

 東地区の研究施設群において、ひときわ古ぼけた第十五研究棟は、この数十年のあいだ、絶えず傾きを増していた。(こけ)むす屋根は抜け落ちそうで、支える柱も頼りない。
 学院が命運を賭けて敷地を広げ始めたその昔、事業のついでに旧敷地より移築されたものにすぎなかった。いまにも倒壊しそうなたたずまいは、おもな施設の建築に人手を取られたあげく、大工が仕事を投げ出した

の果てだ。

 あばら家はそれでも、集う者たちの探求心で、いまにも膨れ上がりそうだった。
 他の部門が逃げるように移転していったあと、ただひとつ残された〈第三・古代史研究室〉は、手狭なうえに散らかっていてほこりっぽい。空き部屋を物置きに使える点と、大きく切られた窓が十分な光をとり込む点に限っては、誰ひとり文句を言わなかった。

 アマダは、ぼさぼさ頭を掻きまわしていた。生来(せいらい)の下がり眉が葛藤(かっとう)を物語るようだが、ぶ厚い唇には笑みを浮かべている。直面する案件は学者としての好奇心をくすぐる(たぐい)のものらしい。
 彼の大机を研究員たちが取り囲んでいた。広げられた図面を前に、腕を組んで首をかしげ、興奮と(うれ)いを隠せないでいる。

 書物に風を通すため、空き部屋に山積みとなっている資料を運び出していた時のこと。アマダは、ふと広げた図面が頭の片隅に引っかかり、そわそわと落ち着かないでいた。休息を挟んで見返したところ、ひとつの可能性に気がついて、集まった者たちと議論を交わしていたのだ。

「ところで、あれからリラの様子はどうなんだ? こんな時に不在だなんて……困るよなあ、まったく」
 すこしばかり太った体を椅子に沈め、アマダは不満を口にした。ひざを打つような結論が出ないために話の目先を変えたのだ。言いつつ、卓上に伸ばした手が空をつかむ。
「さっき、あの子の部屋に行ったのだけれど留守だったわ。よほど出発の準備で忙しいのよ、鍵もかけずに出ていくなんて」
 ひとりの研究員が答えた。昨夕、リラを寮の部屋まで送り届けたのが彼女だ。アマダと同じく、リラがカンタベルに来るより前から歴史研究に従事している。
「そうか……まあ元気そうで何よりだ。とはいえ、休憩中にあの苦茶(にがちゃ)が出ないのも、なんと言うか、寂しいもんだな」
 笑い声につづき、噂をすればなんとやら。扉を勢いよく開け放ち、息を切らせて飛び込んできたのはリラだ。数日後にアマダは建具職人(たてぐしょくにん)を手配する。

「ごめんなさい! 今日は書物の陰干しだっていうのに、まるで忘れていたわ」
 自分の心配ばかりで、大事な仕事がすっぽり抜けていた。アマダが身を乗り出す。
「そんな事はどうでもいいから、早くこっちへ来てこれを見てみろ! たいへんなことになるぞ」
「ええっ!?」
 待ち兼ねていたような室長の出迎えに驚いた。大きな眼鏡から(のぞ)人懐(ひとなつ)っこい目が、リラも見覚えのある図面にそそがれていた。

「いやいや、ちょっと待つんだアマダ君。彼女は大事な役目があると言っていただろう。いまはそれどころじゃないし、旅の準備だってあるはず。――たしか、出発は明日だったね」
 長衣に身を包んだ年配の男が釘を刺す。リラに向けた口調は至って穏やかだ。そこへ女の研究員が割って入る。
「もう休んでいなくても大丈夫なのね! なんだか顔色もいいし安心したわ。昨日のあなたといったら、それは、見ていられないほどの弱りようだったのよ」
 駆け寄ると、リラの両肩を揺さぶり、顔を覗き込んだ。
「ええ……、ええ、もう平気! 心配かけてごめんなさいベルカさん。それから、昨日は部屋まで送ってくれてありがとう。――そう、出発は明日の朝。町の東門から出る隊商(たいしょう)巡礼者(じゅんれいしゃ)についていくつもり」
 それぞれに忙しく応じながら、アマダを囲む輪に入るが、棚に忘れ去られた香草茶器の一式を、ちらりと横目に捉えると、あからさまに顔をむくれさせた。

 広げられたものは、遺跡群チャタンにある遺構の調査をもとに作成した見取り図だ。
「いまさらだが、これがどうも気になってな。なぜだかわかるか、リラ」
 こういうときのアマダは、決まって答えを導き出している。課題を与えられたほうは、図面の前に立って真剣な表情を作った。

 昨年のこと。研究室の面々は、活動費を工面するためにチャタンでの作業を請け負った。入り組んだ通路が地下深くに伸びる以外はたいした発見もなく、調査が打ち切られていた区画の再検証だ。
 測量という地味な役目は、危険な生物との遭遇があった割に得たものはなく、手短に終わらせて学院へと引き上げたのだった。作成した図面には、石室や通路の寸法が詳細に記されている。

 視線が集中するなか、リラは頭に描いた地下構造物の、ある階層と階層のあいだに妙な開きを見つけた。苦労して測ったのだから図面に狂いはない。
「わかった! 隠し部屋ね。いいえ、もっと大きなものだと思う」
 言い当てて見せると、アマダは誰よりも喜んで手を打ち鳴らした。
「さすがは魔術師! そう、そうなんだ。おれたちの地道な活動が、いよいよ(むく)われる時が来たんだ」
 リラは一本指で、得意気に鼻をこするが、きっかけを与えられていなければ疑問にも感じなかった。魔術の思考法を習得していないアマダが答えにたどり着けたのは驚きだ。けれども、その口調は芝居じみており「何かへんだな……」と不審な顔で、(そば)に立つ年配の魔術師を見た。
 男はあきれたように首を振り、おっとりと話した。
「明日から君が不在だというのに、アマダ君がすぐにでもチャタンに下りるなんて言いだしてねえ。いくらなんでも無謀すぎる。だからさ、我々で説得していたところなんだよ」

 キャンタベリーの町から南西に半日、奇妙な真円を描く巨大な窪地(くぼち)は、断崖によって周囲と(へだ)てられている。流れ落ちる川も霧となり、地面に達することがない。
 そこには無数の遺跡がひしめいており、競い合うようにして立つ塔の高さもさることながら、地下に向けても木の根っこのように、深く複雑に伸びていた。
 古代史を知るうえで不可欠な資料だけでなく財宝が眠っている可能性も高い。ただし、濃霧と密林に覆われた中心部へ行くほど、恐ろしい魔獣と出くわす危険が増すため、いまだ全貌はあきらかにされていなかった。

「でも、ちょうどよかった。君からも何か言ってやっておくれよ。わたしだって本当は、行きたい気持ちがやまやまなんだけどねえ」
 問題の遺跡はチャタンの円環近くにあり、調査のあとは人の手で管理されている。それでも安全と言い切れないのは、隠し部屋が、侵入者を排除する罠や強力な番人に守られている可能性が高いからだ。足を踏み入れるには魔術に長けた者、それも実戦経験の豊富な者が欠かせない。

 研究は、一攫千金(いっかくせんきん)を狙う宝探しとは違い、地道な作業の積み上げにこそ意味がある。そんなことは百も承知だが、大きな発見を前にして誰もが色めいた。それは、いちどでも味わった者を(とりこ)にする中毒じみた魅力を持っていた。

 突然、リラが図面に両手を突く。目を伏せるが、すぐさま戸惑(とまど)いを振り払った。
「ちょっと待って、わたしも行く! いつ戻ってこられるか分からないけれど……こんな機会めったとないのだから。それに――」
 アマダを睨むと、たくらみ顔で声を低くした。
「――今回もどんなに怖い魔物がいるかわからないわよ。魔術師がひとりでも多いほうが安心でしょ?」

 つい先月の探索では、あわや大惨事。安全と認定されたはずの城館(じょうかん)跡を調べていたところ、魔法仕掛けで侵入者に襲いかかる石像群を目覚めさせてしまい――室長の軽率(けいそつ)さが原因だということはリラだけが知っている――執拗(しつよう)に追い回されたばかりだ。間一髪で事無きを得たのも彼女の働きあってのことだった。

 魔術に(ひい)でたリラが配属されてからこちら、彼らの活動の幅がずいぶんと広がった。危ないところを救われた者もいる。望まず魔物の命を奪う場合があったとしても、彼女は必要とされることを何よりも喜んだ。

「やはり、そうくると思ったよ。よし、わかった。リラが役目から戻るのを待つとしよう。また、君の力を頼ることになりそうだ」
「やった! ありがとうアマダさん」
 両手を合わせて跳びはねそうになるリラの横では、はしゃぐ子を見守る親のような顔で、年配の魔術師がため息を漏らした。
「やれやれ……、命拾いしたよ。またあんなのが襲ってきたら、わたしなんかの魔術じゃあ、どうしようもないからねえ」
 アマダが思いとどまったことで胸を()で下ろしたようだ。研究室において最古参である彼は、学院を出身とせず、独学で魔術を習得している。専門とする分野は感知や探索、解呪(かいじゅ)など、調査に向いたものばかりだ。また、長年にわたる学問への従事で古代語の解読や発掘品の鑑定にも長けている。
 ただし、温和な人柄とも相まって、戦いにはとんと向いていない。

 リラの帰りを待ってチャタンに出発する。当面の方針が決まると、他の者が口々に話し始めた。
「この遺跡はもともと王族の墳墓(ふんぼ)だと期待されていたものだろう。隠し部屋には財宝が山積みかもしれん」
「もしもだ……、黄金都市の手がかりを見つけることができたら大発見じゃないか!」
「いやいや、あんなもの、根も葉もない噂だろう。いまとなっては誰も信じちゃいないさ。それでも、財宝を探し当てたとしたら、おれたちは大金持ちだな」
 見つかったものはすべて研究資料となるため、盗み取ることは禁じられている。若い彼らは冗談で言うが、チャタン周辺には、遺跡からの盗掘(とうくつ)で生計を営む集落もある。
 卓越した盗掘技能をもつ住人たちは、盗品を古物商に売りさばいてしまい、貴金属の細工に至ってはすべて溶かしてしまうため、研究者たちとのいさかいが絶えない。

 リラは両手を腰に、真面目くさって口を挟んだ。
「黄金は尊いものだから、独り占めしたり身に着けたりすること、それから、奪い合うことだって山の神はお望みにならない、っていうのが故郷での教えよ」
 永遠に色あせない、こがね色の輝きは、人間の血肉(けつにく)に深く刻み込まれている。古来(こらい)、人々は欲をかき立てられてきたが、その輝きは魔物をも魅了するようで、老いたドラゴンが黄金をため込むという逸話(いつわ)もあるほどだ。
「そらきた、またリラの小言が始まったぞ」
 若い研究員たちが肩をすぼめ、くつくつと笑い合った。言動には細心の注意を払っている、とリラは主張するけれど、周囲の見解が一致するとは限らない。
「もう、茶化(ちゃか)さないで。研究そっちのけで財宝に目がくらんだあげく、大怪我(おおけが)したって知らないから。それにあなたたち――」
 足を開いて指を突き出す。
「――わたしがいないのをいいことに、香草茶だって飲んでいない!」
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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