第四章 奔走(1)

文字数 3,745文字

「この野良犬め! 先ほどから何をこそこそ嗅ぎまわっておるのだ!」
 扉を押しあけたとたん、けたたましい声がリラの鼓膜(こまく)をつんざいた。
 待ち伏せていたのは痩せた長衣姿の男だ。流木のような腕で杖を突き出すが、(くぼ)んだ目は奮い立ち、なぜか愉悦(ゆえつ)を浮かべている。

 リラは思わず肩をすぼめたけれど、取り乱しては訪れた目的を果たせない。耳にやろうとした手を下ろし、何食わぬ顔で用件を切り出そうとしたところ、出し抜けに男の手が伸びてきて首根っこをつかまれてしまう。
「ふん、なにやつかと思えば薄汚い〈山の娘〉ではないか!」
「痛い! いきなり何するの、離してよ!」
 払いのけようとするが、(えり)を取られてはどうすることもできず、引きずられる格好のまま扉をくぐることになった。

 男が突き飛ばすように手を放す。よろめきながらも踏みとどまれたのは、険しい山道を走り回って身についた敏捷性あってのことだ。
 そこは、天井が高く設けられた広大な研究室の中央だった。幾重(いくえ)にも列をなす作業机からは並みいる研究員が騒ぎを眺めている。奥には豪奢(ごうしゃ)な大机が見えるものの、責任者らしき姿はない。壁に沿って渡された架け床の上からも大勢の人影が見下ろしていた。空間が、活気ではなく息苦しさで満たされていた。

「ここは、きさまごとき下賎(げせん)が近づいてよい場所ではない。何をたくらんでおるのか洗いざらい白状せよ!」
 退路を断つように杖を構える男は、「お見通しだ」とでも言いたげだが、察するに、侵入者を感知する魔術を用いたのだ。取り囲む者たちの視線にはあきらかな敵意が混じっている。業務を邪魔されたから、ではなさそうだ。

 リラは無言で襟を整え、わざとらしく(すそ)を払うと、(にら)み返し声を低くした。
「あなたのような下っ端じゃ、てんで話にならない」
 男が目を見開き、それまでのしたり顔を小刻みに震わせ始めた。声を張り上げようとした瞬間、出鼻をくじくようにリラは言い放つ。
「逃亡者エルトランはここにいたのね! あの事件についてお尋ねしたいのだけれど、よろしい?」
 今度は、遠巻きに様子をうかがう者たちの耳にも届いた。

   * * *

 フルミドが去ったあと、リラはエルトランの所属していた研究室と、彼の居室を訪れるため、西の区画へと向かった。
 明日からの任務において首尾よくエルトランを探し当てた先には、魔術の応酬による戦いが待ち構えている。訓練や、作法に従った決闘ではなく、真剣勝負による命のやりとりだ。

 リラは定められたことのように受け止めていたが、根っからの研究者である彼女は、運命なんて不確かなものに未来をゆだねる気など、さらさらなかった。無事に生きて帰る方法を模索するためだった。

「彼の性格や(くせ)、それからどんな魔術を扱うのか、なんだっていい。でも、できることなら盗まれた書物の中身を知りたい」
 新しい研究対象――と呼ぶにはいささか深刻ではあるが――を思い、ぶつぶつと呟きながら回廊を急ぐ。慎重派を自称するリラは、出発までにエルトランの人となりを捉えておくつもりだった。
 また、会いたい人がいるし、閲覧室(えつらんしつ)で文献にも当たりたい。旅の剣士としての立ち居振る舞いを身につけることも忘れてはいなかった。
 彼女は残された時間を「忙しい、忙しい……」とこぼしながら学院中を走り回る事となる。

 右手は回廊の内側にあたり、植え込みや水路からなる庭園が広がっていた。その向こうにある北の区画には、本部中央棟をはじめとして学生寮や学舎が立ち並ぶ。対する南側には従事者の居住区や研究施設群があった。

 振り返ると日はすでに高い。学生たちは講義の最中だ。ふと、廃屋だなんだと揶揄(やゆ)されがちな、自らの研究室に思いをはせた。
「いまごろきっと朝の休憩中で、みんなして香草茶でも飲んでいるんだろう」
 昨夕、憔悴(しょうすい)しきったリラを気遣って、部屋まで送り届けてくれた同僚に元気な姿を見せたい。

 それはそうと、彼女には思い違いがある。「風味よし、体によし」と同僚たちに勧める香草茶だが、あとを引く苦味のため、出されるたびに誰もが辟易(へきえき)していたのだ。リラは旅にも持参するほどだが、育った環境による味覚の違いは、どうにもならないようだった。

 幾人かの研究員や年老いた庭師たち、運搬作業を補助する、魔法仕掛けの土人形(つちにんぎょう)とすれ違う。庭師のなかには大きな傷跡をもつ者が多い。彼らは国の保護制度によって雇われた元兵士たちだ。

 数十年前の戦乱では、重傷を負ったことにより仕事を失った兵士たちや、家族を亡くした者たちが、生活の基盤を失ったり、野盗と化したりする問題が起きたため、国は対策として彼らを保護的に雇用する制度を設けた。ここでも大勢が庭師をはじめ、守衛や用務係として従事している。

 木立の広がる左手には、杉の木ほどの高さをもつ円塔がまばらに立っていた。有力な魔術師が、ひとり、研究と向き合うために建てたものだが、人との交わりを拒む偏屈(へんくつ)な所有者が多い。まれに成果を手にすることはあっても、とかく柔軟性を欠いた思考に(おちい)りがちだ。
 一介の魔術師のなかにも閉鎖的気質の者がいて、ときに、机を並べる者同士が互いの研究内容を知らない、といった滑稽(こっけい)話が生まれることもある。交流があるとすれば、学院内における世俗にまみれた争いだ。

 リラの思い描くエルトランもこのような人物だが、わずかな知識での憶測はやめるべきだろう。ついさっきフルミドに諭されたばかりだ。
 故郷の老師も口癖のように言っていた。
「リラよ、決して結論を急がず、山道を行くように人生を歩みなさい」
 いつも意気込んでは気持ちばかりはやる少女に、温かい手のひらを振って見せ、ひげを優しく揺らしたものだ。

 前方に目をやると、古い寮舎(りょうしゃ)の並ぶ先に、管理の行き届かない(つた)の茂みが見えた。現在のカンタベル学院では、もっとも南西に位置する区画。茂みの奥には行く手を阻む鉄柵があることを、学院で長く暮らす者なら誰もが知っている。
 その向こう側は旧学院敷地と呼ばれる廃墟で、いくつもの建造物が(わび)しげな後ろ姿を見せていた。

 学院を中心に興ったキャンタベリーの町が、経済都市へと成長するために拡大をつづけた結果であった。都市計画から取り残されて数十年、西の端にて、ひっそりと往時の姿をとどめているのだ。
 攻撃魔術によって倒壊した壁や引きはがされた敷石、そして、決闘の舞台となった高屋根の礼拝堂(れいはいどう)など、リラにとって苦い記憶が詰まった場所だった。

 エルトランが失踪の直前まで夜な夜な出入りしていた、と用務係のフルミドは言う。おそらく、鉄柵をくぐり侵入したのだろう。ただ、旧敷地は広大で、時間もなく、条例を破っての侵入は許されないため、調査はあきらめるしかなかった。

 とはいえ、手がかりのなかった話も、フルミドのおかげでエルトランの長衣の裾ぐらいはつかめそうだ。気がかりなのは彼らの関係だった。
「ひどい目にあったのに『あの方を恨んではいないですよ』って言っていたなあ……。確かに、あそこへ侵入していたエルトランを訴えてもおかしくないのに、そうはしなかった」
 何か複雑な事情を感じるが、これでよかったのだと自分に言い聞かせた。

 石畳の道は起伏をともない北へ弧を描く。上りきった木陰で足を止めると、リラは(ひたい)に手をかざして前方を見やった。周囲を威圧するように立つ研究棟が姿を現したのだ。
 学院が命運を賭けて敷地を広げたその昔、中央棟の移築をあとに回してまで工事が進められたという。随所の装飾が貴族建築のような優雅さではなく、重々しい凄味を漂わせていた。目的地は目の前だ。

 開かれた鉄門の向こうに人影はないようだが、門番代わりの土人形が数体、ぎこちない歩みで前庭を行き来しているのが見える。単純な運搬作業に使役される魔法仕掛けの偶人だが、自律した能力を与える魔法構文は失われたままで、ここでは案山子(かかし)のように雀を追い払うのがせいぜいだ。

 頭上では一羽の(とび)が翼を広げ、ゆっくりと孤を描いている。リラは木立に身を隠しながら外観を調べてまわるが、敵城を偵察する斥候(せっこう)のように不審な動きだった。
 チャタンで切り出される黒い石を積み上げた外壁は、まるで難攻不落の城塞で、窓には多数の弓が侵入者に矢を浴びせかけようと構えられている気がしてならない。
 ありもしない錯覚を振り払うと鉄門を突っきった。まとわりつくような気配はその前から感じていた。

 足を踏み入れた所は天井を高く設けたロビーだ。奥の暗がりにいた魔術師たちが、ぼそぼそした談話を中断すると、訪問者に無関心な目を向ける。リラがつくり笑顔で通り過ぎたところ、背後でふたたび声がした。背中に視線を感じるため、うろうろと怪しい行動もとれなくなった。

 息が詰まりそうな通路を進み、数ある研究部門のなかから〈高位魔術研究室〉と銅板のかかった入口を見つける。リラは扉を打つ手を止めた。門前払いを食らうことも考えられるからだ。
「ここの人たちもエルトランのせいで迷惑を受けているのだから、調査にだって協力的なはず。きっと話のわかる人たちだ」

 覚悟を決めて扉を押しあけたとたん、待ち伏せていた魔術師に手荒い出迎えを受けたため、はずみで裏切り者エルトランの名を叩きつけてしまった、というしだいである。
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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