第六章 マレッタの重すぎる課題(1)
文字数 2,507文字
食堂に居座って談笑していた学生の一団が、午後の講義へ引き上げていく姿を見送ると、ふうっと息をつく。彼女の一日は今日も順調に過ぎていこうとしていた。
近頃の若い者は魚が苦手だの、豆のスープやキノコを残すだの、好き嫌いが多くていけない。そんな学生の偏食をしかりつつも、食べやすく味付けを変えた品を特別に出してやる。
また、多感な年頃である彼らは大人が思うより複雑な悩みを抱えているものだ。マレッタは多忙な
そうしながら新しい献立を考え、食材を発注するための指示を行う。かれこれ二十年以上を、こうして学院に勤めてきた。
厨房の裏口から差し込む光を何者かが遮った。食料庫の管理を任されるチャドリが、のっそりと大きな体を入れてきたのだ。常ならば、つまみ食いに訪れてマレッタたちに追い返されるのだが、厨房はいま、あと片づけでごった返している。おこぼれなど、ありつけるはずもない。
調理人たちはつっけんどんに追いやろうとしたけれど、なにやらマレッタに用事らしい。チャドリから何事かを告げられた彼女は、すこしのあいだ腕を組んでいたが、あとを若い者に任せると小走りに裏口を出た。
食料庫まで来て
「見ての通りでさァ……、どう考えても足りねえ」
追いついたチャドリは、説明するのも
「こりゃあたいへんだよ、いったい何があったんだい? 見ればフランパーナからの船荷がひとつもないね」
マレッタも
見当たらない荷物は、港町フランパーナから川を経由して届くはずの塩や香辛料、魚の塩漬けだ。悪天候で船が出ないときには陸路を使い、遅れて到着する場合もあるが、このところは至って晴天つづきだった。
「船着き場のやつらが言うには、出たらしいですぜ、海賊が……」
「海賊? 今日び珍しくないかい。でも、なんだって海賊なんかが、うちらの仕入れと関係あんのさ。どうも納得いかないねえ」
マレッタは片方の眉を吊り上げ、いぶかしむ。いくら海賊が出たといっても海路を運ばれてくるほどの食材はなく、仕入れにはなんら影響がないはずだ。
木箱をしまい終えたチャドリは、ホダ芋を一つひとつ手に取って吟味しながら答えた。
「それが、どうやら海賊はシューリール川――」
「――なるほど、それでこちら側の船乗りたちも、こぞって
「……そのようでさァ」
海賊行為による被害が出ているのは、ずっと東の山中からポウトリ湖を経て、フランパーナへとそそぐシューリール川だが、噂が広まったために、キャンタベリーとフランパーナ間の輸送にまで支障を及ぼしているのだった。
「チャドリ、ちょいと学生寮をまわって厨房の倉庫を調べておくれ。この調子じゃ夕食だってどうなることやら」
「へェ」
数日もすれば陸路での輸送が活発になり、物資の供給も元通りになるだろうが、それまで手をこまねいてはいられない。
「それと、いますぐ人を
「へェ」
厨房に戻ったマレッタは、よく響く声で調理人たちに状況を伝え、市場へ買いつけに出るための指示を与えた。大急ぎで食堂の長机を拭いていると、廊下から騒がしい声が聞こえてきたので、ふと顔を上げる。屋外での訓練に向け、学生たちが慌ただしく出かけていくところだった。
その
「あんれ!? リラじゃないかい、今日は珍しいことばっかりだ」
前掛けで手を拭きながら駆け寄った。互いに
「あんた、大きくなったねえ」
「会うたびにそればっかり……、マレッタ。半年ぶりよ」
「わはは、よく来てくれたね。ちょいとバタバタしてるけど、まあ、その辺にでもかけとくれ」
マレッタは来客の背中を押して食堂内にまねき入れた。リラは厨房に目をやると申しわけなさそうにする。
「ごめんなさい、たいへんな時に来てしまって……。やっぱりわたし、帰ったほうがいいみたい」
学舎の大食堂まで、二十も歳の離れた友人を訪ねて来たのだけれど、いつになく慌ただしい空気に、声をかけてよいものか迷っていたのだ。
「なんてことはないよ。わけあって仕入れがうまくいかなくてねえ。このあと、みんなして市場へ買い出しさ!」
自慢げに腕を見せ、ぽんと叩く。
「やっぱり忙しいのね、仕事の邪魔をするといけないから……」
リラは断ろうとして手のひらを向けた。赤くなった手を見たマレッタは、「ふうん」と肩をすぼめて苦笑い。
「あんたが来たってことは、また悩み事か問題を抱えているんだろ? どうしてわかったのって顔してるねえ、まったく。ふだんは顔も出しやしないくせに」
おとなしく
「その手だって、どうしたのさ、マメなんかこさえちゃって。ひさしぶりに
「あはは、いろいろとありすぎて……」
慌てて袖に手を引っ込めた。研究室を出たあとのこと、
「そりゃあ、いろいろあるさ。あんた若いんだもの、なおさらだ」
「えっと、何から話そうかな」
ゆっくりでいいから話してごらん、とマレッタは言うが、すでに人が集まり始めている。