第五章 アマダの研究室(4)

文字数 1,804文字

 リラの不満が降りかかる前に、慌ててアマダが話しだす。

「リラの言う、山の神様の教えって一理あるんじゃないかな。おれが小さな頃、商売人だったおやじが口癖(くちぐせ)のように言っていたんだ。金や富は、体を流れる血と同じで、ひとところに集まったままだと、(よど)んで病気を引き起こしてしまう。健全な金が世の中を駆けめぐることで国は元気に生きていけるんだ、とな。すこし似ていると思わないか?」

 アマダは一流の学者である。しかし魔術師ではない。すこし太ってはいるが、子供の頃は、ひ弱なほうだった。港町にある裕福な商家(しょうか)の別館で産声(うぶごえ)を上げた時、親子ほど離れた長男とのあいだには壮健(そうけん)な五人の兄がいた。
 家業は代々、長男と次男が継ぐ習わしとなっており、大疫病でも襲ってこない限り、か細い彼は自分の力で人生を切り開いていくしかなかった。「どうせなら興味のままに生きてやろう」と思い立ち、金回りがいい時を狙って学者の道へ。
 うだつの上がらない、あばら家の亭主という揶揄(やゆ)も、彼が第一線の研究者として評価されているからこそだ。

「さすがアマダさん、いいこと言うわね。死んだらきっと真っ白の、きれいな骨になれるわ!」
 リラの目はまっすぐで、冗談のつもりではなさそうだ。
「ほ、骨? またおかしなことを言う、なんだいそりゃ……。そういや十年も前かな、山奥で金脈が見つかって、ついに伝説の都市を発見か、と大騒ぎになったことがあったな。消えた冒険家、カドマク……ニルセン」
 アマダも、若い者たちの話にそれなりの興味があった。ベルカが思いだしたようにつづく。
「あれは、たしかウトロのずっと山奥だったわね。いまでも砂金を探すために山へ入る人がいるというのを聞いたことがあるわ」
 リラは、その言葉にはっとする。
 ――そうか、わたしはウトロ村に行くのだった。

 先ほど、金脈探しの手引き書を開いた時は、うさん臭さに気を取られて役目との関連性を見落としていた。
「大発見だ大金持ちだと目をきらきらさせていたら墓穴を掘りかねないな。忙しいところ、みんなの手を止めて悪かった。おれもすこし頭を冷やしたほうがいいみたいだ」
 アマダはそう言うと、ふたたび椅子に沈み込み、横着して首だけを真横で立つリラに向けた。
「まあ、そういうわけだ。秘密の任務とやらをさっさと片づけて帰ってくるんだな。どうせお偉いさんの尻拭いってところだろう。やれる自信はあるのか」
 彼なりに気遣ったつもりだ。ベルカがあきれ顔で天井を(あお)ぐと室長に詰め寄った。
「ちょっと、なんて言い方をするの、この無神経! この子はあれほど悩んでいたでしょう。きっと、たいへんなものを背負わされて、つらい役目なのよ……」

 全員から心配そうな顔を向けられたリラは苦笑い。昨夕、生きている実感を失っていた自分は、いったいどんな表情をしていたのだろう。言葉を選ぶように決意を語った。
「ちょっと一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないかな。いまは言えないけれど、簡単な任務じゃないの……。でも心配しないで。アマダさんの課題をやり遂げるために、どんなことをしてでも元気に帰ってくるから!」

 ベルカは湿っぽい空気を嫌うため、無事を祈っている、などとは返さずにこう言った。
「リラ、お腹すいているわね。すぐに昼食を用意するから食べていきなさい。旅支度で忙しいでしょう」
「うん、ありがとうベルカさん。そうなの、まだまだ準備しなければいけないことがたくさん! 久しぶりにマレッタにも会うつもりよ」
 食事支度や昼食のあいだに交わされる話題は、もっぱら学術研究についてだ。
 古代王国の消滅が、従来よりもさらに数百年をさかのぼるという新説や、古代史の謎、ポロイ船団が漂着した海岸の特定について。そして、百年にいちどやってきては、いくつもの町を()み込んでいく、新天地を起源とする死の病の追跡調査。

 リラは食事を済ませると足早(あしばや)に立ち去ろうとした。心地のよさに決意が揺らぐことを案じたからだ。けれども、若い研究員たちが口々に、明日の出発に際して見送りをさせろと騒ぎ始めたのだから、さて、どうしたものか。
 口止めされている役目をフルミドには打ち明けたが、彼らには話さないほうがいいだろう。リラの近くにいることで難しい立場に立たせてしまいかねない。言葉を濁して切り抜けたが、それよりも、深刻な問題がリラにはあった。

 ――あの、恥ずかしい剣士の格好、とてもじゃないけど見せられない!


第六章につづく
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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