第四章 奔走(4)

文字数 1,958文字

   * * *

 背幅の広い男が、(つや)やかな胸像を一心に磨き上げている。懇意(こんい)にしてやっている古美術商に運ばせたばかりで、自らの鑑定眼にも満足していた。ところが、背後に控えていた小男が、くどくどと不満を並べ始めたのだからたまらない。
 手も止めず、男つまりネイドルは(わずら)わしげに言った。

「あの問題児の力量を見込んでやっているのだ。我ながらの寛容さではないか。それにしても……かのご老体がよこした遺書のおかげで、いつまでたっても小娘ひとりにいらぬ苦労をさせられる」
 (あご)が没して曖昧(あいまい)な輪郭線に囲まれる口から出たのは、自嘲の響きだった。投機事業を繰り返し、ようやく手にした富と地位だ。いまさら一介の研究員に時間をさくなど馬鹿らしい。

 丸眼鏡の小男、ボナルティが甲高い声でつづく。
「亡くなったアトワーズ老ですな、漂泊の民トルシャン、荒れ地生まれの変わり者。どうも、古くからゆかりある者の娘だとか……。事あるごとにかばい立てるだけでなく、たしか、小娘をあの汚い研究室に配属させるよう言い残したのでしたな」
 彼の言うアトワーズとは、魔術の師範だった人物だ。

「ふん、そうでもなければ小生意気な田舎娘など、とうの昔に追い払っておるわ。それにしても、後援貴族会からの不満の声もいまだ根強い。七年も前の決闘騒ぎに関してだ。あの時は、ご老体の顔を立てて不問にしてやったが、まったく、あの頭痛の種め」
 ネイドルは、むっつりと苦い顔をした。余計なことまで思いだして、せっかくの満悦(まんえつ)を邪魔されたのだからおもしろくない。

「〈山の娘〉すこしは役に立ちますかな? (いや)しき者を用いねばならんとは、学院の名折れと申しますか……権威も地に落ちたもの――」
「――忘れてはならんのが、優先すべきは書物の奪還ということだ。それにだ、しくじって刺し違えたとしても我々……いや、学院としては上々ではないか。もし娘が失態をしでかせば、あらためて処分すればよい」
 手段にとらわれて大局を見失わないよう冷静な判断を促した。

「本来ならば、ロスロー卿ひとりを派遣するだけで事足りるところですのにな」
 ボナルティは、まだ納得がいかない面持ちだ。ウトロへの任務は機密を扱うだけでなく危険をともなうため、名家の出身者や顔の知れ渡った者は、仕損じたり、事件が表立ったりした場合に厄介だ。そこで、実績はなくても評価の高いリラに、しぶしぶ白羽の矢を立てたのだ。そのうえ別の思惑も絡んでおり、彼らの算段は単純ならざるものになっていた。
 ネイドルが、ためらいながら打ち明ける。

「……君には話していなかったが、事件の夜、偶然にもロスロー卿がエルトランと遭遇してな。吹雪の中で一戦交えておるのだ」
「なんと! 

ロスロー卿が。そうですか知りませなんだ。ですがベイケット・クランの事件と言い、つくづく異端魔術師との縁をお持ちの御仁ですな。で、手合わせの行方は」
 粗悪な金物のこすれたような声が、音階を外れてもうひとつ高くなった。

 ネイドルは、つまらなそうに口角を下げる。
「やつめ、まんまと逃げ失せおった。ロスロー卿もその件について詳しく話さんし、近頃は評議会にも顔を出さんと聞く。どうやら酒館(しゅかん)に入り浸っておるようだ」
 リラの思わぬ所で鼻の確かなことが証明されたわけだが、よもや、吹雪の中での追跡者がロスローだったとは知る由もない。
「小娘ごときの力では、なおのこと荷が過ぎるのではないですかな? しかしエルトランめ、異端研究の罪を不問にしてやったというのに、小娘しかり、身分の卑しい連中は、どれもこれも恩を知らぬようで」
 (うなず)きもせずに聞いていたネイドルは、磨く手を止めると後ろに向き直った。彼にも尋ねたいことがあった。

「ときにボナルティ、君の雇った男だが、本当に信用できるのかね」
 小賢(こざか)しい小娘と、ウトロ村において落ち合う助っ人のことだ。
「わたくしも直接は知りませんが、今回の件にはうってつけかと。もちろん小娘がいらぬ事をせぬように監視もさせます。ただし、これまた薄汚い身分の者で……。それでも、使うしかないですな」
 汚れた手をひらひらと振るようなしぐさで顔をしかめた。すると、ネイドルが持論を持ち出した。
「物事は考えようだよ。事業への投資と同じではないかね? 利益をもたらすものはすべて資源なのだ。魔術が力や特権であった時代はもう古い。大きないくさが起きない今、人という資源をよりよく役立てうる者が求められているのだよ」
 実りのない会話を一時(いっとき)も早く終わらせたかった。階下の厨房より、肉を焼く刺激的な香りが漂って、貪欲(どんよく)な胃袋を強く触発したからだ。昼食は、面倒な話に煩わされず、心ゆくまで味わいたい。

 これより数日後、学院に思いもよらぬ来客が姿を現して、彼らは慌てふためくことになるのだった。


第五章につづく
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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