第二章 帰る場所(1)

文字数 3,330文字

 我々は、三度目の危機に向かって歩みをつづけている。

 原初、人類はこの世のことわりを追い求めていたが、飽くなき探求心は気の遠くなる歳月をかけて因果を解き明かしていった。

 やがて、厳しい修練の果てに、この世を形作る力を自在に操る者が現れる。その力、魔術は、誰ひとり飢えずに済むような食糧生産や、苦痛をともなわない病気の治療、安全な航海など、暮らしに恵みをもたらすだろうと期待された。
 ところが思いに反して、魔術は人間の野心で(ふく)れ上がるように変貌(へんぼう)を遂げる事となった。

 人類は瞬く間に自然界の頂点へと駆け上がる。魔術師たちは、自らが原動力だと信じて疑わなかったという。そうして、地上をのさばり歩く生物は、自然のことわりから逸脱(いつだつ)していったのだ。

 二千年前、前触れもなく訪れた破綻(はたん)が歴史を終わらせた。
 創世神話に描かれるような天変地異が大陸を突き崩し、闇の勢力が席巻(せっけん)する。さらには、手の施しようもない疫病が世界を覆い尽くそうとしていた。

 かくして滅亡へとなだれうつなか、英雄ポロイに導かれた大船団が、新天地を求めて大海原へと漕ぎ出したのだ。やがて、苦難の航海を生き延びた者たちが新たなる大地を踏みしめた。

 人類は、新天地に巣くう魔物を長きにわたる戦いで討ち払い、ふたたび頂点に返り咲く事となる。戦いのなかで磨き抜かれた魔術の力に支えられ、光の千年が幕をあけたのだ。

 とこしえとも思われた繁栄だったが、つぎなる一千年を謳歌することはできなかった。魔術は大地に深い影を落とし、突如として牙をむく。
 手綱(たづな)を失い怪物と化した魔力が文明をなぎ倒して消え去ると、世界はいつ明けるとも知れぬ夜に包まれた。闇の勢力が勃興(ぼっこう)し、大地は混沌の渦に呑み込まれたという。

 一千年の時が流れたいま、かつての繁栄を求める先にあるのは災禍(さいか)深淵(しんえん)だ。幸いなことに、我々には学びの時間が与えられている。過ちを繰り返さないためにも知るべきだろう。

 我々は、自然のごく一部にすぎない、小さな存在だということを。

   ――著者 ツエルラコイ――


 光の千年を築いた古代王国が滅びてから

一千年。現代の研究者たちが探し求めるのは繁栄を支えた魔術についてだ。しかし、繁栄とは輝きが増すほどに色濃く影を落とすもので、栄華の裏側を研究対象とする物好きもいる。

 四年前、学業を終えたばかりのリラが配属されたのは、あばら家と揶揄(やゆ)される、柱の傾いた〈第三・古代史研究室〉だった。
 配属初日で緊張する彼女をよそに、うだつが上がらない学者、アマダが不機嫌そうに髪を()きまわしていた。
「いいか新入り。魔法国家がどれだけ偉大でも、人間は生き物である以上、食べることで命をつないできたはず。おれが知りたいのは、彼らが何を口にしていたのかだ」
 リラは自己紹介もそこそこに、資料を求めて学院中を駆け回るはめになった。

 古代の文献が、食を通して読み解くことで多くを語り出す。(つづ)られていたのは精神に腐蝕(ふしょく)をきたした支配者たちの晩餐(ばんさん)、あるいは、絶頂期を過ぎてかげり始めた文明から目を背けるように一時の快楽(かいらく)を求めて退行していく人々の様子だった。
「何が光の千年だ。これではポロイの偉業も(むく)われない。ひとつの時代が長引くと、人間はこうも自堕落(じだらく)になってしまうものなのか」

 支配者たちの退廃的な暮らしを支えていたのは、生産の多くを担いながらも過酷な境遇を強いられた奴隷たちだった。研究者たちは、いっそう歴史の影に目を向けるが、不思議なことに、どこを探しても彼らによる反抗の記述が見られない。
「いにしえの宗主(そうしゅ)たちは、じつは哀れみ深いのかって? そりゃあないだろう。きっと便利な家財道具として奴隷は大切に扱われたんだ。でも場合によっては、いともたやすく捨てられていたに違いない」
 彼らの体中には、服従させるための魔法構文が刻まれていたこともあきらかになる。もしも隷属(れいぞく)を拒む者がいた場合には、共同体の全員が罰を受けるという無慈悲なものであった。
 災厄(さいやく)が訪れたときは、より鮮明となる。アマダの言葉通り犠牲の多くが奴隷たちだった。

 文献には、繰り返し襲いかかる自然災害や、新天地を起源とする大疫病、農作物や家畜の病害による食糧不足などが記されている。建造物の損壊や不作状況といった物的損害とともに、犠牲となった奴隷たちがあげられていた。

 研究室にやってきて間もないリラが疑問を抱いたのも当然だった。
「昔の卓越した魔術ならば、きっと天候だって操れます。冷害を避けて食糧を確保することも可能なはずです。その気になれば、飢えからたくさんの命を救うこともできたのに……」
 けれど、魔術が奴隷たちを支配したり、いくさの使役へと駆り立てたりするのに使われても、彼らを保護するために役立てられたという記録は見当たらない。多くは、巨大な記念碑の建造や奇跡の具現化など、宗主自らの力を誇示するために費やされた。

 支配者は特権である魔術に他の者が触れることを恐れていたのではないかと研究者たちは憶測するが、真実を知るには地道に歴史の断片をつなぎ合わせていく以外の道はなかった。
 リラはこの数年で膨大な文献に目を通して解読するとともに、各地に眠る遺跡へも積極的に足を運んだ。

 そして、ある遺跡調査の旅では、冒険者と呼ばれる屈強な集団と行動を共にする事となった。

   * * *

 歴史学者アマダのもとで駆け出しの研究員として従事していたリラは、とある山奥の遺跡を調べるため、ひとり、ふもとの集落を訪れた。学生時代より取り組んできた山岳信仰に関する研究を裏付けるためでもあった。

 ところが、ほど近い山中に魔物の群れが棲みついたことで、リラは思わぬ足止めを受けてしまう。よりによって、それが目的の遺跡であったため、調査の中止をも余儀なくされた。キャンタベリーから意気揚々と旅してきた彼女は、頭を抱える住人たちをよそに、
「ああ、もう! どうしてこんなことに……。これじゃ研究が台無しだ……」
 と、落胆を隠さなかった。

 魔物たちは、遺跡を根城(ねじろ)に夜な夜な出没しては、畑の作物を荒らし森に放たれている豚を襲って食べるなど、やりたい放題に振る舞っていた。危害は人間にも及びかねないが、リラひとりでは打つ手がなく、かといって知らぬ顔で引き返すこともできなかった。
「もしものときには、わたしの魔術がきっと役に立つ」
 学院では戦いの訓練を受けていたし、探索での実戦もいちどならず経験している。

 成り行きを見守るために宿を決めて荷を下ろそうとしたところ、魔物退治や隊商の護衛、未開地の探索などを生業とする流れの一行が噂を聞きつけてやってきた。リラは息つく間もなく、大きな民家へと駆けだした。

 ひしめく人々を押し分けて飛び込んだ広間は、あたり一帯を代表する者たちと、魔物退治を買って出た者たちであふれ返っていた。たいへんな熱気の中、地図やごちそうの広げられた机を囲み、椅子が足りずに多くは立ったままで交渉を行なっている際中だ。
 息を切らせるリラに対し、いっせいに視線が向けられる。
「あの……わたしも同行させてください!」
 居合わせた者たちは、命知らずな小娘に目を丸くさせた。

 軽はずみともいえる行動にはリラ自身も戸惑った。最善策は、魔物が退けられるのを待つことだからだ。ただ、探求は常に危険との背中合わせだし、ひとり安全な場所で待つことなど我慢できない。何より、流れの者たちに引きつけられている自分にも気がついていた。

 人々のあきれ顔は、リラに入り込む隙を与えた。深呼吸して澄まし顔。胸を張り、手を当てて言い放つ。――もちろん虚勢だ。
「わたくし、カンタベルで魔術を少々学んでおります。おそらく、足手まといなどには、ならないと思いますわ」
 堂々たる素振りとは対照的に、謙虚にものを言うことで言葉は説得力を帯びる。と、交渉術の教本に書かれていた。
 ――よし、迫真の演技だ!
 俗に〈冒険者〉と呼ばれる七人が表情を変えたのは、カンタベルの名に対してだが、乱入者がただの遺跡調査員ではないことを知って同行を認めた。もの珍しさからではなく、戦いにおける技能を当てにしたからだ。

 翌日は、リラにとって生涯忘れられない一日となった。
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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