ここだけの話 ⑨~⑫

文字数 3,342文字

ここだけの話⑨【第八章 うごめく者たち 前編】
 アトワーズの墓標をあとにしたリラは、調べ物をするために図書閲覧室のあるカンタベル学院中央棟までやってきました。ここが第八章の舞台となります。
 冒頭は映画風の表現を狙い、引いた視点で建物の外観や歴史を掘り下げながら近づいていき、最後はリラの目線と合わさるという試みをしてみました。100%自己満足です、はい。

 中央棟のモチーフとなったのは、トルコ共和国のイスタンブールにあるアヤソフィア大聖堂です。「重厚なだけの建築だと面白みに欠けるな……」と悩んでいたところ、たまたま写真で見たアヤソフィアの凄さと歴史に驚いたのがきっかけでした。
 あと、ブルーモスクもたいへん美しい建築で、中央棟の「瑠璃の大屋根」や「絹織物にも似た姿」といった設定のヒントをもらいました。ただ、筆者は建築にも宗教や歴史にも詳しくないので、ちょっと軽率だったかもしれないな、と思っています。

 アヤソフィアは、もともとキリスト教の大聖堂だったものを、イスラム教がモスクへと改築したのですが、興味深いことにキリスト教のモザイク画が剥がされずに残っているようです。そういった経緯もあり、二十世紀中頃からは東西融和の象徴とされてきました。
 ところが、ここを巡っては最近、数十年ぶりにモスクに位置付けられたため西側の反発を招くといった不穏な話がありました。これまで通りに象徴的なものとするべきだ、という声があるいっぽうで、現地の方々の気持ちも切実なものです。そこに政治的な思惑がからまって……。

 勉強不足の身には想像すらつきませんが、「自分はなんにも知らなかった」ことを学べただけでも、いまは良しとしたいです。創作活動をしていなければ気づくことさえなかったかもしれません。

 話は戻りますが、このカンタベル学院中央棟、夜になると魔術の灯りに照らされて、暗いなかを急ぐ旅人の道標ともなっています。物騒な夜中に旅する人がいるなんて考えもしませんでしたが、じつはこれ、ある浮世絵からヒントをもらったものなのです。

 安藤広重「東海道五十三次」の隷書版には「箱根・夜中松明とり」という作品が収められています。平和といわれた江戸時代、世界有数の旅行大国だった日本の東海道は、夜でも旅ができるほど治安がよかったのか……、と絵を見て勝手な想像を膨らませたことがきっかけでした。

 それにしても「夜中松明とり」の背景にある山の輪郭線! 迫力があって大好きです。序章にて、暗闇でひとり待つロウマンを不安にさせたのも、こんな山並みだったのだろうと思います。
 さて、リラは第一章で呼び出された時とは打って変わり、意気揚々と中央棟に踏み込みますが、誰しも、こんな時にかぎり失敗をやらかしてしまうものですね。


ここだけの話⑩【第八章 うごめく者たち 中編】
 前編では、学院の中央棟について掘り下げた(か?)ので、それ以外についても触れてみます。
 閲覧室でリラは、ふたりの人物と出くわします。
 まずは守衛のブルニという飲んだくれの老人。彼は庭園の庭師たちと同じく、過去の大いくさで重傷を負った元兵士です。第四章の冒頭で触れられている通り、終戦後に、生活基盤を失った兵士たちが野盗と化す問題が起きたため、国による保護的な雇用制度が設けられていました。

 ブルニは、いくさでよほど悲惨な思いをしたのか、誰にも心を開こうとしませんでした。リラがまだ学生だった頃、寮の守衛を務めていたブルニとの、ふとした出来事がきっかけとなり交流が生まれます。
 そんなことはさておき、気づけば「黒衣のリラ」の登場人物がおじさんだらけになっているじゃないですか!

 女性主人公の周囲をおじさんたちが固める、といった構図の物語を時々見かけますが、この作品がなぜそうなったのか自分でもわかりません。その組み合わせで進んでいく物語が好きなのかも……。もしかすると、筆者が危ないオジサンなだけなのかもしれません。

 つぎに出てくるのは、ジョナス・フィンケットという、名門貴族出身の青年(追記:あ、名前を書いてしまった)。彼とリラのあいだにある、フローデルという少女を交えての因縁、というか激闘については、十章にて詳しく語られますので、それまでお見知りおきを。


ここだけの話⑪【第八章 うごめく者たち 後編(1)】
 リラは閲覧室において持ち前の集中力を発揮し、任務に向けた調べものに奔走します。多くは彼女にとって、おさらいに過ぎないものでしたが、状況を整理するなかで、いくつかの気づきもあったようです。

 二百年前の戦火で無力感を味わった魔術師たちは雪辱の機会を狙っていました。古代の高位魔術に並ぶため研鑽をつづけた結果、数十年前の戦乱において、戦場での勝敗を左右する事となった集団魔術を生み出してしまいます。

 強力な魔術ではあるものの、戦火の拡大や人体への影響、暴走事故の懸念がつきまとっていたことから、若いアトワーズや、のちの賢者ゼラコイを始めとする魔術師たちが廃止の声を上げました。
 議論には、戦場での主役の座を脅かされた騎士層も加わったため、集団魔術は現在、国同士の取り決めにより――表向きには――使用禁止とされ、異端研究と同様に扱われています。同時に、魔術師の地位には事実上の制限が設けられたため、これらの件についてはエルトランが論文のなかで批判を繰り広げています。

 それはそうと、学院には結界魔術によって隠蔽された禁書庫が存在するという、もっぱらの噂です。エルトランの専門が結界魔術だと確信したリラは、彼が禁書庫の結界を破って侵入したのだと結論づけました。
 盗まれた魔術書は危険なものに違いない、というリラの疑念がいよいよ現実味を帯びてきたのです。

 閲覧室において、リラは誰かに見られているような感覚に襲われます。また、調べた卒業者名簿についても違和感が……。
 と、ここまで書いて筆者も違和感に気がつきました。これは、あらすじではないですか! おまけに前・中・後編としたのに終わっていません。と……とりあえず後編(2)につづきます。


ここだけの話⑫【第八章 うごめく者たち 後編(2)】
 八章の締めくくりは、冒頭の逆再生のような場面から。ようやく「うごめく者たち」というタイトルの意味がおわかりいただけると思います。

 ここで起きる、いくつかの出来事との距離を置くために、すこし遠くから見ているような描写を心がけました。
 まず、力を入れたのが夕刻を知らせる鐘の表現です。文中の「夕刻の鐘は昼の人々に安息を告げるが、闇夜にうごめく者たちにとっては一日の始まりを意味する」ですが、これは筆者の体験が元になっています。

 筆者が保育園に通っていた頃です。母のお迎えが早かった日は、家に帰るや否や、やかんやスコップ、ミニカーなどを引っ提げて、五時のチャイムが鳴る公園へ。チャイムの音は自分の時間の始まりだったんです。それを懐かしみながら書きました。

 最初に出てくる魔術師は、薄暗闇なので名を伏せていますが、もちろんリラです。
 つぎが、日暮れなどお構いなしに町の東門から出立する痩身の男。歩き方が独特なうえ、どうやら夜目も効くみたいです。

 同じ頃、リラが立ち寄る予定のクイルツッカからほど近い漁村に、噂の海賊たちが現れます。大波とともに襲いかかったり弓矢が役に立たなかったり、さらには略奪もせずに引き上げたりするなど、普通の賊ではないようです。
 また、物騒なことに黒塗りの剣を持った男による漁民の惨殺も起きてしまいます。

 最後は、夜更けの廃屋で、トツカヌと呼ばれる老人と、テルゼンという若者が何やら企てている場面です。怪しいことこのうえないのはともかく、またおじさんが増えました。
 トツカヌや、閲覧室の場面で守衛のブルニが飲んでいた酒はヌルイカと呼ばれ、パクナス魚醤とともにクイルツッカで醸造されているものです。
 これらの造語は筆者渾身の作ナノダトカ……。

 つづく第九章ではいよいよ、現在のリラの探索者や魔術師としての本領、そして剣士(偽)としての実力が発揮される事となります。
 タイトルは「月夜の廃墟にて 人の縁に感謝する」という、ひねりのないものとなっています。
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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