第三章 ジュナンとヴィルジット(4)

文字数 2,075文字

「出るんですよ、海賊が……。ここのところシューリール川からポウトリ湖にかけて出没しているんだそうです。それも、頻繁(ひんぱん)に」

 それはリラの予定する、港町フランパーナから川をさかのぼる経路だ。ついと冗舌(じょうぜつ)になった相手に戸惑(とまど)いつつも感謝した。
「教えてくれてありがとう。つまりは陸路を行けってことね。気候もいいことだし、そうね、初めてだけれど歩いてミュルヌーイ峠を越えることにするわ」
 つぎに、この初老の男はまっとうな人物で信用できると仮定した。ふと、恥のかきついでに打ち明ける。

「ねえフルミドさん、もうご存じかもしれないけれど、わたし明日から、ある大事な役目を帯びて……」
 フルミドを見ると、青白い顔に興味の色を浮かべている。他人の話題に首を突っ込むのが好きなのかもしれない。せかされるようにリラはつづけた。
「それも、極秘任務のためにウトロ村まで行くことになってしまって、ちょっとのあいだ学院を留守にしないといけないの」
「なるほど! それでそのような……。てっきりわたくしは、よくて学術調査の旅だと」
 フルミドは息を吐き出すように声を高くした。いらぬ誤解が解けたことに、リラは胸を()で下ろす。そして、思い切って告げた。
「じつは、エルトランの……冬のあの事件にも関係ある任務なの。彼が関わっていると決まったわけじゃないけれど、書物を盗み出すなんて、きっと何か悪いことをたくらんでいるのよ」

 フルミドは表情を難しくすると、何度も頷き、耳を傾け進み出た。リラはのけぞりつつも、フルミドが、エルトランに対してよい心情を抱いていないと察する。彼女は気が(とが)めるのも無視して、それに賭けてみることにした。
「だから大急ぎで彼のことを調べないといけないの」
 するとフルミドは、ひび割れた唇の両端をわずかに持ち上げた。

「ふふふ……、あの方の部屋を見てみたいですか? リラさん」
「え?」
 神妙に言うあの方とは、無論エルトランだ。リラは話の進展に両肩が揺さぶられるように錯覚(さっかく)した。敷居から、ひょいと顔を出し、廊下に誰もいないことを確かめると声を潜める。
「ええ、なんと言うか……いちど見てみたい、かな。でも場所をご存じなの?」
「はい、もちろんです。鍵だってあります」
「へ?」
 首を突き出して間の抜けた声を出してしまったが、彼が空き部屋の鍵を管理していてもおかしくない。

「じつは事件のあと、しばらくしてから、わたくしがあの方の部屋を掃除したんです。その時に鍵も新しく作り替えました」
 今度はリラが前のめりとなる。
「室内には私物がそっくり残っています……。ですが聞くところによると、事件の手がかりとなるものは何もなかったようですよ」
 学院の内部事情にも詳しそうだ。エルトランの居室はすでに調べられているようだが、幸いにも所持品はそのままで、人物を知るにはうってつけだろう。

 フルミドは返事も聞かずにこう言った。
「わたくし、いまから作り替えた鍵をお持ちします。うふふ」
 春めいた響きと陰気臭さがせめぎ合って、ひどく調和がとれていない。
「ずばり、リラさんのお役目とは、あの方を取り押さえて学院までお連れすることですね? それを聞けてわたくしも嬉しいです」
 やはり両者のあいだには何かあるのだ。ともあれ、噂話の好きそうなフルミドが、うっかりと口を滑らせては元も子もない。
「このことは誰にも話さないでいてほしいの。くれぐれも内緒に、お願いね」
「リラさんとわたくし、ふたりだけの秘密……ふっふっふっ」

 すっかり陽気なフルミドは、気味の悪い()(ごと)を残しつつ、足取り軽く姿を消した。リラは扉口から亀のように首を伸ばして、人影がないことを確かめたあと、ことのほか念入りに錠を下ろした。

 水差しから茶杯に水をそそいで飲み干した。他人の部屋に忍び込もうというのだから、どうも落ち着かない。とはいうものの、思わぬ糸口があったものだ。
 ふたたび剣を取ったのは、重みが、そわそわした心を鎮めてくれると思ったからだ。握った柄はすっかり冷えていた。

 ジュナンの動きをなぞるように剣を振るうが、どうもしっくりこない。リラが身を包む旅装に居心地の悪さを感じたのは、送りつけてきた男たちの顔が脳裏をかすめたからだった。急いで黒衣に着替えると、ふうっと息をついた。

 そのまま、残りの旅支度を済ませる。薬草を調合して作った特製の膏薬(こうやく)香木(こうぼく)の樹皮や、砕けた飴のような石が入ったいくつかの小瓶、お気に入りの香草茶、それと、調理以外にも大事な使命を託された、かなり強めの香辛料。
 最後に、愛用のナイフを忘れない。調理に食事と幅広く使える優れ物だ。故郷に別れを告げる朝、十三歳のリラに贈られた、ひと足早い成人の証し。

 これで旅の準備は万全だが、残る問題は、杖をこっそり持ち出す手段だ。腕を組んでいると扉を打つ音が響いた。フルミドが持ってきた鍵の包み紙には、ありがたいことにエルトランの部屋の所在が書き記されていた。
 思いだしたようにフルミドが言う。

「そういえばわたくし、あの方を……、旧の敷地から戻ってくる、あの方の姿をよく見かけたんです」
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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