第三章 ジュナンとヴィルジット(2)

文字数 2,440文字

   * * *

 リラがジュナンと名乗る剣士と出会ったのは、まだ駆け出しの研究員だった頃、冒険者による魔物退治に同行した時だった。山中の遺跡におけるゴブリンとの遭遇戦のさなか、互いに窮地(きゅうち)を救い合ったことがきっかけとなり、古くから知る友人のように打ち解け合ったのだ。

 飛び入りでリラの同行が決まった時、ふたりはわずかに言葉を交わすのみだった。リラが親しみを寄せるいっぽうで、なぜかよそよそしさを見せるジュナンだったが、戦いが終わると重圧から解き放たれたように一変する。
 冒険者一行の男たちは風変わりなものでも見るように、口を揃えてこう言った。
「おい、あんなによく喋るジュナンをいままでに見たことはあるか」

 彼らの護衛を受けながら、リラは遺跡の調査を行なった。そこは山深く、日が暮れると、あたり一帯が墨をまいたような底の見えない闇につながった。
 夜の底で若い娘がふたり、焚き火を囲み、ひざを抱えて親しげに笑い合っている。リラはジュナンに旅の話を聞くのが楽しくて、調査の合間を見つけては話し込んでいた。

 リラの生まれた山里にも、雨の季節には旅人が訪れる。川の氾濫(はんらん)による足止めを避けるため、山越えの道を選択するからだ。そのときには、珍しい話を聞こうと里をあげた宴席となり、主賓の周りに子供たちが群がった。

 ジュナンの冒険談も同じく、リラにとって驚きに満ちていた。とくに彼女たち一行が、もっとも窮地に立たされたくだりでは、その大きな瞳に吸い込まれるように、すっかりと話の中へ入り込んでしまったのだ。

「す、すごい! それってもしかして、ドラゴン……」
 声に驚いたのか、くべられた木がパチンとはじけ、勢いづいた火の粉がちらちらと、頭上の闇に消えていく。
「おとぎ話に聞き入る子供さながらだ」
 仲間うちから〈先生〉と呼ばれる戦士がリラを揶揄(やゆ)した。
「そうさ、あたしたちはうっかりとドラゴンの狩り場に足を踏み入れていたんだ。もしもあの時、すこしでも判断を誤っていたら……」
「まさか食べられていた!?」
「あはは! そう、みんなしてお腹の中さ!」
 ジュナンがわざと言葉を切って、リラの反応を楽しむものだから、「おまえさん、ずいぶん話術が巧みになったものだのう」と、山羊(やぎ)ひげの魔術師がからかった。

 ジュナンは、といえば、しきりに家族や故郷について尋ねるのだった。まず、リラが話したのは、山里の厳しい冬を乗りきるために、畑で収穫した芋を山の上まで運び、冷気を利用した干し芋作りをすることだった。
「山の上といっても山頂に足を踏み入れてはいけないの。神様が住むんだって。とにかく、たくさんの芋を運ぶのだけれど、豊作になった年なんて里の大人も子供も駱馬(リャマ)も全員で」
「全員かい?」
「うん、そう、でもね、駱馬はあまりに芋が重たくて、途中で言うことを聞かなくなるし、小さな子供はすぐ眠ってしまうでしょ? しまいには芋も子供もぜんぶ大人たちが背負うはめになって……あんなに気の毒なことってなかったわ!」
 ふたりが声を上げて笑うと暗闇に花が咲いたようだった。

 見識の広いジュナンでさえ、リラの故郷は未知の世界だ。遥か下から雲が()い上がってくる景色はもとより、駱馬とかいう家畜だって聞いたこともない。
 もちろんリラは駱馬についても話した。彼らはたいへんおとなしく、日々の世話は子供の役割と決まっていること、山での暮らしには欠かせないということ。そして嬉しそうにつけ加えた。
「何よりもみんなが喜んだのは、駱馬に赤ちゃんが生まれたとき!」

 短い夏。山の神に感謝をささげる夏至祭(げしまつ)りでは、顔に灰化粧(はいげしょう)を施して、踊りや度胸試し、力比べをしたあと、清められた(びょう)の中で祖先の遺骨に囲まれて食事をしたこと。
 凍てつく冬。ごつごつした石と獣の皮で造られた狭い家の中、家族全員で丸くなり、温め合いながら朝を待ったこと。
 話し始めると懐かしく、あふれ出ては止まらない。リラは、貧しくとも満たされた、山での暮らしを誇らしげに語った。

 ふと見たジュナンの遠くを見つめる眼差しに、冒険稼業を始めるきっかけとなった何かを感じたけれど、胸中を推し測るように、触れない、と決めたのだった。

 ある夜明け前、リラは焚き火の番をしながら、つい、うとうと眠ってしまう。目を覚ましたところ火はすでに消え、薪は、ふんわり白い灰と化していた。冷えた手をかざすと、ほんのり温かい。傍では火の番を忘れた〈先生〉が豪快にいびきをかいていた。
 遺跡には朝霧が静かに流れ込んでたまっている。リラは、澄んだ空気の中で剣を抜き放つ女剣士に目を留めた。先の戦いでは、ふがいない姿を見せたと悔やんでいるようで、リラにも強い気持ちが伝わってきた。
 朝霧を斬るように剣を振るうジュナンの姿は、その指先に至るまでリラの目にくっきりと焼きついている。

 別れ際、古びた革の細工をジュナンに贈った。
「えっとね……これは駱馬の革で作った、どんな(やまい)も遠ざけるお守りなの」
 小さな頃に、好奇心が仇となってひどい風邪で死にかけたことがある。その時から大切に着けていた病除けだ。すると、ジュナンも(ふところ)から何かを取り出して、リラの手に握らせる。
「いまは居場所が出来ちまって、もう必要なくてさ……。本当は大事なものなんだけどね」
 手のひらには小さなペンダントが光っていた。精巧な細工に縁どられており、裏面には何かを削り取った跡が見て取れる。
「こいつだってまあ、お守りみたいなものだから、迷惑じゃなかったら持っていてよ」
 これはジュナンの大切な過去、さらに言えば家族との思い出だ。リラはペンダントに目を伏せたあと、笑顔を作ってすべてを受け入れようとした。
 ジュナンは家族や故郷を愛している。忘れようとしているわけではない。前を向いて歩もうとしているのだ。

「ジュナンの大切なものなのに……。ありがとう、わたしもずっと大切にする!」
 もうすこし気の利いた言葉を選べないものか。励まして背中を押したいのに、歯がゆく感じるリラであった。
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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