第三章 ジュナンとヴィルジット(2)
文字数 2,440文字
リラがジュナンと名乗る剣士と出会ったのは、まだ駆け出しの研究員だった頃、冒険者による魔物退治に同行した時だった。山中の遺跡におけるゴブリンとの遭遇戦のさなか、互いに
飛び入りでリラの同行が決まった時、ふたりはわずかに言葉を交わすのみだった。リラが親しみを寄せるいっぽうで、なぜかよそよそしさを見せるジュナンだったが、戦いが終わると重圧から解き放たれたように一変する。
冒険者一行の男たちは風変わりなものでも見るように、口を揃えてこう言った。
「おい、あんなによく喋るジュナンをいままでに見たことはあるか」
彼らの護衛を受けながら、リラは遺跡の調査を行なった。そこは山深く、日が暮れると、あたり一帯が墨をまいたような底の見えない闇につながった。
夜の底で若い娘がふたり、焚き火を囲み、ひざを抱えて親しげに笑い合っている。リラはジュナンに旅の話を聞くのが楽しくて、調査の合間を見つけては話し込んでいた。
リラの生まれた山里にも、雨の季節には旅人が訪れる。川の
ジュナンの冒険談も同じく、リラにとって驚きに満ちていた。とくに彼女たち一行が、もっとも窮地に立たされたくだりでは、その大きな瞳に吸い込まれるように、すっかりと話の中へ入り込んでしまったのだ。
「す、すごい! それってもしかして、ドラゴン……」
声に驚いたのか、くべられた木がパチンとはじけ、勢いづいた火の粉がちらちらと、頭上の闇に消えていく。
「おとぎ話に聞き入る子供さながらだ」
仲間うちから〈先生〉と呼ばれる戦士がリラを
「そうさ、あたしたちはうっかりとドラゴンの狩り場に足を踏み入れていたんだ。もしもあの時、すこしでも判断を誤っていたら……」
「まさか食べられていた!?」
「あはは! そう、みんなしてお腹の中さ!」
ジュナンがわざと言葉を切って、リラの反応を楽しむものだから、「おまえさん、ずいぶん話術が巧みになったものだのう」と、
ジュナンは、といえば、しきりに家族や故郷について尋ねるのだった。まず、リラが話したのは、山里の厳しい冬を乗りきるために、畑で収穫した芋を山の上まで運び、冷気を利用した干し芋作りをすることだった。
「山の上といっても山頂に足を踏み入れてはいけないの。神様が住むんだって。とにかく、たくさんの芋を運ぶのだけれど、豊作になった年なんて里の大人も子供も
「全員かい?」
「うん、そう、でもね、駱馬はあまりに芋が重たくて、途中で言うことを聞かなくなるし、小さな子供はすぐ眠ってしまうでしょ? しまいには芋も子供もぜんぶ大人たちが背負うはめになって……あんなに気の毒なことってなかったわ!」
ふたりが声を上げて笑うと暗闇に花が咲いたようだった。
見識の広いジュナンでさえ、リラの故郷は未知の世界だ。遥か下から雲が
もちろんリラは駱馬についても話した。彼らはたいへんおとなしく、日々の世話は子供の役割と決まっていること、山での暮らしには欠かせないということ。そして嬉しそうにつけ加えた。
「何よりもみんなが喜んだのは、駱馬に赤ちゃんが生まれたとき!」
短い夏。山の神に感謝をささげる
凍てつく冬。ごつごつした石と獣の皮で造られた狭い家の中、家族全員で丸くなり、温め合いながら朝を待ったこと。
話し始めると懐かしく、あふれ出ては止まらない。リラは、貧しくとも満たされた、山での暮らしを誇らしげに語った。
ふと見たジュナンの遠くを見つめる眼差しに、冒険稼業を始めるきっかけとなった何かを感じたけれど、胸中を推し測るように、触れない、と決めたのだった。
ある夜明け前、リラは焚き火の番をしながら、つい、うとうと眠ってしまう。目を覚ましたところ火はすでに消え、薪は、ふんわり白い灰と化していた。冷えた手をかざすと、ほんのり温かい。傍では火の番を忘れた〈先生〉が豪快にいびきをかいていた。
遺跡には朝霧が静かに流れ込んでたまっている。リラは、澄んだ空気の中で剣を抜き放つ女剣士に目を留めた。先の戦いでは、ふがいない姿を見せたと悔やんでいるようで、リラにも強い気持ちが伝わってきた。
朝霧を斬るように剣を振るうジュナンの姿は、その指先に至るまでリラの目にくっきりと焼きついている。
別れ際、古びた革の細工をジュナンに贈った。
「えっとね……これは駱馬の革で作った、どんな
小さな頃に、好奇心が仇となってひどい風邪で死にかけたことがある。その時から大切に着けていた病除けだ。すると、ジュナンも
「いまは居場所が出来ちまって、もう必要なくてさ……。本当は大事なものなんだけどね」
手のひらには小さなペンダントが光っていた。精巧な細工に縁どられており、裏面には何かを削り取った跡が見て取れる。
「こいつだってまあ、お守りみたいなものだから、迷惑じゃなかったら持っていてよ」
これはジュナンの大切な過去、さらに言えば家族との思い出だ。リラはペンダントに目を伏せたあと、笑顔を作ってすべてを受け入れようとした。
ジュナンは家族や故郷を愛している。忘れようとしているわけではない。前を向いて歩もうとしているのだ。
「ジュナンの大切なものなのに……。ありがとう、わたしもずっと大切にする!」
もうすこし気の利いた言葉を選べないものか。励まして背中を押したいのに、歯がゆく感じるリラであった。