第二章 帰る場所(2)

文字数 2,910文字

   * * *

 山の遺跡に棲みついたという魔物たちは夜の闇を活動の場とするため、人間たちは日の出を待って集落を出発した。

 道を外れてからは沢伝(さわづた)いに、踏み固められた跡をたどる。しばらくすると、すえた匂いが漂うので一同はあたりを警戒したが、茂みの中に食い荒らされた家畜の残骸が散らばるだけだった。そこからは集落で聞いた、遺跡の裏手に回る経路を行く。
 斜面を上るにつれ、せせらぎは鳥のさえずりに打ち消されていった。この先に魔物が巣くっているとは思えないのどかさだった。

 リラは集団の後方を歩くが、そのなかには魔術を習得した者がいる。魔術師であることを示す長衣姿ではなかったため、今朝になってから気がついたのだ。その男が携える杖は奇妙に曲がりくねっており、わずかにねじれながらも、すらりと伸びるリラの杖とは対照的だ。

 すぐ目の前を行くのは日に焼けた痩身(そうしん)の男で、しなやかな足の運びは、防具を身に着けず、小ぶりの湾刀を腰に差しただけの身軽さと相まって、ほとんど音を残さない。リラの同行については、どうしてか乗り気でない様子だ。

 右側には、リラとさほど歳の離れていない女性がいて、細身の剣を帯び、黙々と斜面を進む。先頭を固める男たちに比べるとかなりの軽装だ。剣を扱うのに邪魔なのか、頭を守る防具より、はみ出る髪は短く切られている。
 リラが親しみを覚えたのは、呪文の詠唱を妨げないよう、髪を伸ばさない自分に似ていると思ったからだ。剣士はリラを護衛する役目を兼ねて集団の後方を任されていたが、その横顔は、子守りを押しつけられた、とふてているようにも見えた。

 リラも、守られる立場にある自身のふがいなさを(なげ)いていた。
 ――わたしだって戦いの訓練を受けているのよ……。それに、山道を走るのだったら誰にも負けない。
 ところが歩くうちに、故郷の子供たちと魔物退治や宝探しの真似事をして遊んだ日々を思いだしていた。もっぱら、棒きれ片手に勇ましい騎士はリラの役だ。十歳の夏、夏至祭(げしまつ)りの日が訪れるまではそうだった。

 斜面を登りきると尾根にさしかかる。尾根といっても雑木林に覆われているため、魔物にこちらの接近を知られることはない。
 冒険者たちは、不用意に敵地へと踏み込むような真似はしなかった。痩身の男が軽い足取りで先行し、遺跡には見張りがいないことを確かめる。敵は夜の活動に備えて日陰で睡眠をとっているのだ。人間たちはすみやかに行動を開始した。
 屈強な戦士たちが、歩みを止めて振り向くと目で合図を送ってきた。なるほど、茂みのあいだから人工物らしきものが覗く。目的とする遺跡が姿を現したのだ。

 リラの横にいた女剣士が身をひるがえし、背後の木々に向かって剣を抜き放ったのはその時だ。鞘走(さやばし)る音を合図に他の者もいっせいに武器を構え、小石を放り込まれた魚群(ぎょぐん)のように連動した動きを見せた。
 思い出に浸っていたことを恥じる間もなく、リラも身構える。呪文を詠唱(えいしょう)するために息を整え、茂みへと向けた杖の先に意識を集中させた。
 ざらついた気配を空気が運ぶ。魔物たちはいま、遺跡で身を休めているのではなかったのか? 汗が額を伝った。

 木陰から飛び出た人影が、瞬く間に視界を覆うと、不気味に光るものが頭上から振り落とされる。瞬間の出来事にリラの時間は停止している。火花と金属音につづく鈍い音がその命をつなぎ止めた。
 身を投げ打ってリラを救ったのは女剣士だ。体勢を崩しながら声を張り上げる。
「下がりな!」
 自らは素早い動作で、人の形をした醜悪な敵に剣を構え直す。

 強い敵意を放つ黄濁(こうだく)した目に、剥きだした牙の隙間から覗く、切り身のように赤い舌。状況が呑み込めず視野の狭まったリラは、それを見るのがやっとだった。
 集落で得た情報を信じるとすれば、この、ずんぐりと人の形をした魔物がゴブリンと呼ばれる種族だ。頭部のつくりまで人間と似通うものの、より中央にあいた両目が獣のように獰猛(どうもう)な種であることを物語る。四肢は不均等なほどに貧弱だが、手には錆びついた刃物を持っている。
 彼らは腕利きの戦士にとって脅威たりえなく、丸い背中を伸ばしたところで丈は人間の肩にも届かないが、動揺しきったリラの目には強大に映った。

 このままだと足手まといになってしまう。とっさに後方へ跳び退いたところ、足がもつれてころんでしまい、露出した岩でしたたかに頭と腰を打ちつけ短くうめく。隣にいた痩身の男に引き起こされたあとは、息が止まりそうな痛みをこらえつつ状況を見守るしかなかった。

 突進をはね返されたゴブリンが体勢を立て直そうとしたところへ、女剣士が滑るような足取りで迫る。意気込み唸るゴブリンの潰れた鼻先に牽制を入れ、武器を構えることさえ許さない。力量は目を見張るほどだった。

 引き返してきた戦士たちがリラの両側を走り抜け、それぞれ木陰から現れた別の敵に剣を構える。人間たちを背後から襲ったのはゴブリンの群れだった。集落で聞くところによると、遺跡に巣くう個体数は十体に満たないという。


 ゴブリンたちにしても、空腹に耐えかねて――とはいえ、彼らは常に腹をすかせているが――狩りに出かけた帰り道の、思いもよらぬ鉢合わせだった。日光の下での活動が、忌むべき昼の世界を闊歩する、醜悪な人間たちとの遭遇をもたらした。
 棲みかを荒らそうと目論む侵略者どもを、ひとりたりとも生かして帰さない。今ここに、部族の存亡を賭けた戦いの幕が切って落とされた。
 一族のなかでもっとも勇敢な若者が真っ先に敵へと切りかかり、あとの者がつづく。猛々(たけだけ)しい戦士を自称する彼らには、邪悪な種族との一戦を避ける気など毛頭ない。人間たちからすれば「狂ったように」と表現されよう蛮勇で、力量の上まわる相手を盛んに攻め立てた。


 人間たちは目前の脅威を取り除くために力を尽くしている。ただ、茂みが邪魔で戦いを優位に運べない。
「何匹いるんだ!」
 苛立たしげに誰かが叫んだ。
「わからない!」
 焦りを帯びた人間の声と、ゴブリンの怒号とが入り混じる。茂みの中を慌ただしく行き交う音、激しい息づかい、時折聞こえる金属同士が打ち合う響きで時間と空間が飽和されていく。

 リラの横で目を凝らしていた痩身の男が叫ぶ。
「やつらは全部で七匹だ! 遺跡まで行けるか? 壁だ、遺跡の壁を使うぞ!」
 彼は先ほど遺跡まで足を運び、遠巻きに偵察を行なっている。遺跡の構造が利用できることを仲間たちに伝えたのだ。襲いかかってきたゴブリンは七体、つまり遺跡はもぬけの殻だ。
 人間たちは後退を始めたが、しつこく追いすがる相手に手を焼いた。

 半狂乱の戦意を見せていたゴブリンたちだったが、絞り出すような絶叫が木々の枝を震わせると色を失った。胸と背中を赤く染めた一体が、滑るように斜面を跳ね、無造作にころがり落ちていく。
「いまだ、逃げちまえ!」
 先に動いたのは人間たちだ。仲間うちで〈先生〉と呼ばれる戦士が、剣先についた血を振り落とし、よく通る声を響かせた。

 かくして一行は遺跡への退却を果たす。リラはといえば、打ちつけた腰を押さえながら、群れに従って逃げる鹿のように、ついていくのがやっとだった。
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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