第二章 帰る場所(3)

文字数 2,388文字

 足を踏み入れた所は、壁や倒れた柱に簡素な彫刻が施された小規模な寺院跡だ。人間たちは(つた)の絡みついた構造物を背に、態勢を立て直すつもりだったが、新手の敵がそれを許さなかった。
 武器を手にしたゴブリンたちが地下のねぐらから()い出してきたのだ。息つく暇もなく戦端を開いたところへ、血相を変えた群れが追いつき、一行は壁を背に、十体以上の敵と相対する事となった。

 戦い慣れた戦士たちにすれば、小細工なしの狙う形ともいえたが、リラにしてみればゴブリンの憎悪を一身に受けているようで、死を感じずにはいられない。いまや戦士たちだけでなく、防具を着けていない痩身の男も湾刀を手に、複数の敵を相手取っている。

 真横にいる魔術師の気配が変わった。杖を構えて、いっぽうの腕を振りかざす。操る言葉は不吉な調べの、リラもよく知る呪文の詠唱(えいしょう)だった。

 ――炎の言葉……強力な攻撃魔術だ!

 呪文が完成すればゴブリンとて、ひとたまりもないだろうが、リラもためらってはいられない。彼女は初めて殺傷のために呪文を唱えようとした。もっとうまいやり方もあるはずだが、とにかく最善を尽くそうとしたのだ。
 足を開いて黒衣の袖をなびかせる。意識を束ねた杖を向ける先では、女剣士が二体の手練(てだ)れから攻め立てられていた。

 横の魔術師はひと息に呪文を完成させる。杖先は、戦列をこじあけて後衛の魔術師たちに肉薄しようとする相手を捉えていた。
 白く輝く火球が至近距離で放たれてはじけると、爆炎に包まれたゴブリンの体が、飛びかかってきた勢いのまま、燃えさかる丸太さながらに地面をころがる。

 リラもすでに詠唱を終えていた。重みを帯びた杖を向ける先には二体のゴブリンがいる。彼らも馬鹿ではないため、杖の前方に現れた火球を察知すると一体は跳び退き、もう一体は必死に身をかがめた。放たれた火球は、その場にいる者たちの影をくっきり地面に映しつつ狙いを大きく外す。
 つぎにすべての者が目にしたのは、まばゆい火球が弧を描き、かわしたはずのゴブリンを直撃して炎の(かたまり)とする瞬間だった。間髪入れず、女剣士が低く、鋭く踏み込んだ。体勢を崩したうえ、地面の窪みで足を取られてよろめく一体に深手を与える。

 これを機に敵は数を減らし、残った半数はあえなく逃げ散った。
 遺跡には、いくつものゴブリンの死体が残された。赤黒いふたつの塊が、くすぶって煙を上げている。

 人間たちは互いの無事を確かめ合うと、その場にへたり込んでしまった。なかでも、初めて命のやりとりを経験したリラは消耗著しい。戦士たちのように激しい戦いを演じたわけでもないのに、蒼白な顔に冷たい汗を浮かべ、呼吸を乱して肩が大きく揺れる。

 杖を持つ手の震えが治まらない。炎に包まれたゴブリンの姿、絶叫が、脳裏に焼きついて離れないのだ。結果に対する責任を持とうと、目を背けなかったのは立派な心がけだったとしても、彼女の精神は、すぐさま事実を受け止められるほど強靭(きょうじん)ではなかった。

 (そば)では元気を取り戻した者たちが早くも談笑を始めている。戦いの直後なのになんという胆力(たんりょく)だろう。リラはあきれ返るとともに、生き残れたのだ、と安堵した。

 窮地(きゅうち)を脱した女剣士が、リラの真横にふわりと座り込んだ。かぶっていた防具を地面にころがすと短い髪があらわになる。そして、(ひたい)に貼りついた前髪をくしゃくしゃと触りながら、はじけるように笑った。
「あんたやるじゃない! ほんと、すごいねさっきの魔法。おかげで助かったよ。ありがとう」
 掛け値のない言葉に、すこし救われたような気がした。けれども、礼を言わないといけないのはリラのほうだった。
「わたしこそ、先ほどは助けていただいて、ありがとうございます。びっくりして体が固まっちゃって。いま、こうして話しているのが嘘みたい……」
 彼女に助けられていなければ、間違いなくゴブリンに頭を叩き割られていた。思いだして身震いする。
「ごめんよ、怖がらせちまって、すまなかったね……。でも、あいつら臆病だから、二度とここには戻ってこないよ、もう大丈夫さ、安心しな!」
 以後ふたりは友人のように打ち解け合い、それぞれが帰路につくまでの短いあいだ、多くの言葉を交わすことになった。

 つぎに話しかけてきたのは、炎の呪文を唱えた魔術師だ。山羊(やぎ)に似たひげを撫でつつ舌を巻く。
「おまえさん、若いのに、どうやったらあんなことが……。それに詠唱が早い。

のやつも驚いた。カンタベルかロシュフォードか知らんが、まったくもってお見事!」
 狙いを外さない火球は、男が唱えたものと本質は変わらない。学業に熱心すぎたリラが偶然に覚えたものの、他者の(ねた)みを生むだけで、無用の長物と化していた。人を助けるため、初めて役に立ったが彼女の心境は複雑だ。もういっぽうの魔術についても、習得のいきさつが込み入ったものだった。

 男の流儀なのか、それ以上を聞きはしない。代わりに、
玄人(くろうと)はだしだ、はだし。いやあ、まいったまいった」
 と、乾いた声でからから笑い、このうえない賛辞を贈った。
「そんな……でも、ありがとうございます」
 胸中は晴れないけれど、働きを裏表のない言葉で認めてくれたのだから、精一杯の笑顔を作って見せた。心の中の重たいものがすこしずつ取り除かれていく。他の者も、仲間を窮地から救ったリラへの称賛を惜しまなかった。

 それからしばらくのあいだ、リラは冒険者一行と行動を共にすることになった。彼らのほうから遺跡調査が済むまでの護衛を申し出てくれたのだ。
 自らの腕を頼りに、気ままな旅に生きる彼らが信じる価値観は、実力と信頼、富と名声。単純明快そのものだ。人はそれぞれ異なった価値観をもつが、彼らは異質なものを排除したり、心の中の触れられたくない場所に踏み入ったりするような真似は決してしない。
 そこは、リラにとって居心地のよい場所だった。
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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