第二章 帰る場所(3)
文字数 2,388文字
武器を手にしたゴブリンたちが地下のねぐらから
戦い慣れた戦士たちにすれば、小細工なしの狙う形ともいえたが、リラにしてみればゴブリンの憎悪を一身に受けているようで、死を感じずにはいられない。いまや戦士たちだけでなく、防具を着けていない痩身の男も湾刀を手に、複数の敵を相手取っている。
真横にいる魔術師の気配が変わった。杖を構えて、いっぽうの腕を振りかざす。操る言葉は不吉な調べの、リラもよく知る呪文の
――炎の言葉……強力な攻撃魔術だ!
呪文が完成すればゴブリンとて、ひとたまりもないだろうが、リラもためらってはいられない。彼女は初めて殺傷のために呪文を唱えようとした。もっとうまいやり方もあるはずだが、とにかく最善を尽くそうとしたのだ。
足を開いて黒衣の袖をなびかせる。意識を束ねた杖を向ける先では、女剣士が二体の
横の魔術師はひと息に呪文を完成させる。杖先は、戦列をこじあけて後衛の魔術師たちに肉薄しようとする相手を捉えていた。
白く輝く火球が至近距離で放たれてはじけると、爆炎に包まれたゴブリンの体が、飛びかかってきた勢いのまま、燃えさかる丸太さながらに地面をころがる。
リラもすでに詠唱を終えていた。重みを帯びた杖を向ける先には二体のゴブリンがいる。彼らも馬鹿ではないため、杖の前方に現れた火球を察知すると一体は跳び退き、もう一体は必死に身をかがめた。放たれた火球は、その場にいる者たちの影をくっきり地面に映しつつ狙いを大きく外す。
つぎにすべての者が目にしたのは、まばゆい火球が弧を描き、かわしたはずのゴブリンを直撃して炎の
これを機に敵は数を減らし、残った半数はあえなく逃げ散った。
遺跡には、いくつものゴブリンの死体が残された。赤黒いふたつの塊が、くすぶって煙を上げている。
人間たちは互いの無事を確かめ合うと、その場にへたり込んでしまった。なかでも、初めて命のやりとりを経験したリラは消耗著しい。戦士たちのように激しい戦いを演じたわけでもないのに、蒼白な顔に冷たい汗を浮かべ、呼吸を乱して肩が大きく揺れる。
杖を持つ手の震えが治まらない。炎に包まれたゴブリンの姿、絶叫が、脳裏に焼きついて離れないのだ。結果に対する責任を持とうと、目を背けなかったのは立派な心がけだったとしても、彼女の精神は、すぐさま事実を受け止められるほど
「あんたやるじゃない! ほんと、すごいねさっきの魔法。おかげで助かったよ。ありがとう」
掛け値のない言葉に、すこし救われたような気がした。けれども、礼を言わないといけないのはリラのほうだった。
「わたしこそ、先ほどは助けていただいて、ありがとうございます。びっくりして体が固まっちゃって。いま、こうして話しているのが嘘みたい……」
彼女に助けられていなければ、間違いなくゴブリンに頭を叩き割られていた。思いだして身震いする。
「ごめんよ、怖がらせちまって、すまなかったね……。でも、あいつら臆病だから、二度とここには戻ってこないよ、もう大丈夫さ、安心しな!」
以後ふたりは友人のように打ち解け合い、それぞれが帰路につくまでの短いあいだ、多くの言葉を交わすことになった。
つぎに話しかけてきたのは、炎の呪文を唱えた魔術師だ。
「おまえさん、若いのに、どうやったらあんなことが……。それに詠唱が早い。
ふたつめ
のやつも驚いた。カンタベルかロシュフォードか知らんが、まったくもってお見事!」狙いを外さない火球は、男が唱えたものと本質は変わらない。学業に熱心すぎたリラが偶然に覚えたものの、他者の
男の流儀なのか、それ以上を聞きはしない。代わりに、
「
と、乾いた声でからから笑い、このうえない賛辞を贈った。
「そんな……でも、ありがとうございます」
胸中は晴れないけれど、働きを裏表のない言葉で認めてくれたのだから、精一杯の笑顔を作って見せた。心の中の重たいものがすこしずつ取り除かれていく。他の者も、仲間を窮地から救ったリラへの称賛を惜しまなかった。
それからしばらくのあいだ、リラは冒険者一行と行動を共にすることになった。彼らのほうから遺跡調査が済むまでの護衛を申し出てくれたのだ。
自らの腕を頼りに、気ままな旅に生きる彼らが信じる価値観は、実力と信頼、富と名声。単純明快そのものだ。人はそれぞれ異なった価値観をもつが、彼らは異質なものを排除したり、心の中の触れられたくない場所に踏み入ったりするような真似は決してしない。
そこは、リラにとって居心地のよい場所だった。