第三章 ジュナンとヴィルジット(3)

文字数 3,259文字

   * * *

「しっかりやるのよリラ」
 姿見に映る、剣士の出で立ちをした自分自身に(つぶや)いた。明日からは〈ヴィルジット〉なる剣士として振る舞わないといけないのに、これではまるで大衆劇の、台詞(せりふ)まわしが下手な役者のようだ。せめて、剣の構えだけでも身につけたい。
「貴重な時間なのに、いくらなんでも剣の稽古(けいこ)だなんて……。でも、自分のことくらい自分で守ってみせる」
 威嚇(いかく)や殺傷を目的とする道具――かといって魔術が安全というわけではない――を当てにはできないが、任務における魔術の使用は難しい。

 剣の柄を握りしめ、恐るおそる振ってみた。重心が手元にあって扱いやすい。両手で構えると重さを乗せた斬撃も可能なようだ。
 このようなとき、思考法やリラの記憶力がものを言う。まぶたを閉じると浮かぶ、ジュナンの剣さばきや鋭い踏み込みをなぞるように、狭い部屋の中で剣を振り始めた。

 所作を正確に行うところは呪文の詠唱(えいしょう)にも似ているが、(つたな)い技術などすぐに見破られてしまう。にじんだ汗を拭いながら、身を守ることだけ考えようと思った。
「わたしにできそうなのは、はったりからの牽制(けんせい)だ。よし、これしかない。下手なのがばれる前に、相手を(ひる)ませて逃げるか、呪文を唱えてしまえばいいんだ」

 やすやすと引っかかる者がいるとは思えないが、杖を持たず、敵に詰め寄られた状況でも、詠唱をやってやれないことはない。身分を伏せながらの任務といえど、身を守るにあたっては、魔術を抜きに考えるなんてできなかった。

 リラは壁を背にして息を整えると、正面の壁めがけ「やあっ!」と踏み込んだ。切っ先を走らせた瞬間、扉から覗く青白い顔と目が合った。
「うわぁ! ごご、ごめんなさい!」
 あやうく剣を放り投げるところだが、魚をつかみ損ねるように手を踊らせて、謝る自分に疑問を抱く。そもそも、いつから扉が開いていたのか……。

 フルミドは、どうにか笑みを保とうとしている。
「あの……、先ほどからお呼びしていたんですけど」
 剣を振るうのに没頭して気がつかず、不用心にも錠を下ろし忘れていた。
「これは……えっと、ごらんの通り牽制の稽古(けいこ)で、ほら、戦いでは間合いが命っていうでしょ? それに見て、これだって、なかなかいい剣だと思わない? おまけに服なんて、なぜだかぴったり!」
 剣士どころか魔術師としても失格に値する。この出来事は後々まで繰り返し脳裏をよぎり、リラはそのたびに頭を抱えたくなるのだった。

「ボナルティさんからの預かり物を届けに来たのです」
 おたおたと弁明する相手など気にも留めず、フルミドは淡々と職務をこなす。
「――あ、はいはい、ボナルティさん……えっと誰だ……たしかあのボナルティさんね、もちろん知っているわ!」
 剣を部屋の隅に立てかけながら〈金切り声の丸眼鏡、くせ者〉とおぼしき猫背の小男――さらには唾を飛ばしてくる――を記憶の底から探し当てた。

 渡されたものは、紐で巻かれた紙と、手のひらにずっしり重たい小袋だった。袋の口からは、銀貨と大小の銅貨に混じり、驚いたことに数枚の金貨が見える。半年を遊んで暮らせるほどの額に眉をひそめた。

 紙を広げ、ひと息に目を走らせて要件だけを拾う。リラ宛ての指示書だが、彼女は認知活動を抑え込み、余計なものを遮断することに成功した。
 つぎに、長年つづけてきた思考法の鍛練(たんれん)に感謝したのは、送り主の耳障りな声を思い浮かべずに済んだからだ。

 書状から目を離すと、フルミドが敷居を挟んだまま立っていた。役員への返事を待っているのだ。
「待たせてごめんなさいね。でも、もうすこしだけいいかしら?」
「いえいえ、どうぞお気遣いなく、ふふふ……」
 あるいは、住人の奇妙な格好を興味のままに眺めていたのかもしれない。

 ボナルティからの指示は、つぎのようなものだった。
 このたびの任務に際して路銀(ろぎん)を与えるので必要に応じて使うこと。また、助っ人として、優秀な専門家を一名雇うので、三日後にウトロ村の〈森の雄鹿亭〉において合流し、共に事件の調査、解決にあたること。

 路銀だが、銀貨に置き換えると百枚は下らない。リラがいままで手にしたこともない法外な額だ。学院の一大事に出費を惜しんでいられない、ということだろうか。まさか口止め料ではあるまい。

 ――なんでもかんでも、すべてお金で解決できると思っているんだ。あの人たちの考えそうなこと!
 剣や衣服、助っ人の手配にも、金を惜しみなくつぎ込んでいるはず。彼らが守ろうとしているのは学院の信用などではないだろう。いっぽうでは、盗み出された魔術書がいかなるものか、知りたい気持ちを強くしていた。

 ウトロ村はキャンタベリーの町より遥か東にあり、聖地ポロイヤートへの巡礼路において宿場としての役割を担う。村の中心には、免税の措置や神殿からの補助を受けた宿が集まっており、〈森の雄鹿亭〉もそのなかの一軒だろう。
 三日後に助っ人と落ち合えとあるが、いまは旅に適した初夏だから、天候さえよければ出発から三日目には、馬の巧みな者ならば陸路を二日でウトロに到着する。

 それにはまず、ポウトリ湖畔の漁村、クイルツッカをめざすことになる。
 ひとつは、険阻(けんそ)な山越えを避けて川を行く経路。初めに、キャンタベリーより船で川を下り、北にある港町フランパーナを経由する。船を乗り換えてシューリール川を東へさかのぼるとポウトリ湖だ。

 もうひとつが、陸路をまっすぐ東へと進む方法。難所のミュルヌーイ峠を使って山脈を越えると、眼下に霧深いポウトリ湖が見えるはず。
 クイルツッカから、さらに東へ。道は、山に囲まれた黒々と広がる森林地帯へと分け入る。国の貴重な木場で材木の切り出しを産業とする村、それがウトロだ。

 考え込むリラを、まじまじと見つめるフルミドだった。この部屋の住人は、なぜ奇声を上げて剣を振り回さなければいけなかったのだろう……。かわいそうに。気がふれてしまったに違いない。まだ若いのに気の毒なことだ。
 男の目には気づかず、リラは役員たちからの指示内容を整理した。研究室はともかく、頭の中は常に片づけておきたい。

 まずはウトロ村において助っ人と合流すること。そして廃屋となっている屋敷を調べ、村人の失踪事件を調査する。もしもエルトランが関わっている場合には、何を置いても彼を捕縛(ほばく)し、魔術書を奪還しなくてはならなかった。

 ただし、事件の発端が学院の落ち度にあることや、魔術書の中身について知られてはいけない。リラは、役目に関しての口外を禁じられているだけでなく、身分を伏せて〈ヴィルジット〉という名の剣士として振る舞うよう指示されていた。

 合流する助っ人の名すら告げられておらず、具体性を欠くこと著しい。とはいえ、言葉足らずはお互い様だ。昨日、役員たちと初めて言葉を交わしたが、彼らとのあいだには長年に渡るわだかまりがあって、いまさら歩み寄る気にはなれないのだった。

「専門家って……用心棒みたいなものかな。いいえ、きっとわたしの行動を監視するためだ。どのみち、あの人たちを信用などしてやるもんか」
 最後は壁の一角を睨みながら、ぶつぶつと呟いた。
「けれど、杖を持っていってはだめだなんて、どこにも書かれていない」
 魔術抜きでは無力なことぐらいわかっている。慣れた杖を置いては行けない。ただ、細かな指示がないからといって、堂々と持ち出すのは避けるべきだろう。

 覗き込むフルミドに気がついたリラは、「ごほん」と咳払いをひとつ。つぎに背筋を正した。
「ありがとうフルミドさん。戻ったらボ……ボナなんとかさんと、ネイ……なんとかっていう方に、すべて承知いたしました、と伝えてくださらないかしら――」
 顔を合わさずに用件を伝えられるのだから、フルミドの存在がありがたい。
「――それと明日の早朝、ウトロ村に向けて出発します。まずは川を下ってフランパーナの港へ、ということもあわせてお願いね」

 突然、フルミドが目を見開く。
「だめですリラさん、危険ですよ!」
 声を強めて異議を唱えた。
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登場人物紹介

おもな登場人物 ※五十音順


〈アトワーズ〉【四章 七章 九章】

学院の魔術師範を務めていた老人。出身とする漂泊の民トルシャンが、盗掘師たちの遠縁であることや、敷地の片隅に天幕を張って暮らしていたこと、毎度のようにリラをかばっていたことから、役員たちに「荒れ地生まれの変わり者」と煙たがられている。リラの師であるロウマンとは、過去の大いくさを生き抜いた戦友。リラに、亡くした娘の面影を見ていた。


〈アマダ〉【二章 五章】
リラが所属する〈第三・古代史研究室〉のすこし太った室長。「うだつの上がらない、あばら家の亭主」と揶揄されている。気さくで人懐っこそうな顔をしているが、がさつで繊細さなど持ち合わせてはいない。彼の衝動的な行動で研究員たちは振り回され、たびたび危険な目にあわされている。生まれは港町の裕福な商家だが、わけあって学者になる道を選んだ。


〈ウルイ〉【五章 九章】

〈第三・古代史研究室〉では最古参となる年配の魔術師で、独学による魔術は、なぜか探索に向いたものばかり。のんびりとした人柄だが、自由気ままな室長を諭すこともある。リラに対しては、とくに優しく接するようだ。アマダのせいで危機に瀕することの多い研究室の面々だが、彼のような、おっとりした者がどうやってくぐり抜けてきたのかは不明である。


〈エルトラン〉【一章~】

学院の書庫に侵入して重要な書物を盗み出した男。高位魔術研究室に所属する優秀な魔術師であるが、異端魔術の研究に手を染めていたという噂が絶えない。吹雪の中での追撃を振り切ったあとは行方をくらませているが、東の森林地帯に潜伏し、ウトロの事件に関わっているのではないか、と目されている。出自についても諸説あり、得体の知れない人物である。


〈ジュナン〉【二章 三章】
冒険者の一団に属する駆け出しの剣士。魔物退治のあと、しばらくリラと行動を共にする。一人前だと認められたいがために護衛の役目を不服がったり、戦いを前に緊張した表情を見せたりするなど、初々しさの抜けない彼女だが、どこで身につけたのか、洗練された剣の腕をもつ。また、ドラゴンに襲われて生き延びたのだから、強運の持ち主というほかない。

〈ネイドル〉【一章 三章 四章】
カンタベルの運営に関わっている重役員だが、魔術や学問への造詣は深くない。リラを呼びつけて威圧的な態度で書物奪還を指示した。腹いせのために〈成金趣味、もしくはむっつり顔〉と名付けられていることを本人は知る由もない。貴族会という目の上のこぶとエルトランの事件に悩まされているが、彼の関心はもっぱら、美術品の収集や美食に向けられている。

〈フルミド〉【三章 五章 八章】
学院に雇われて半年となる初老の用務係。役員の遣いでリラの研究室を訪れ、本部中央棟への呼び出しを告げた。生気に乏しい風貌からは想像できない、器用さと気配りの細やかさをもち合わせている。噂話が好きで人間観察を趣味とするため、リラに助言したり、そのうろたえる姿を見て楽しんだり。さらには、任務に向けた足掛かりをリラに与えることとなる。

〈ボナルティ〉【一章 三章 四章 八章】
いつもネイドルの背後に控えている丸眼鏡の小男。彼も同じく役員の地位にあるが、金切り声でわめき立てる姿は、まるで口うるさい官吏だ。リラが、単なる腰巾着だろう、と見て油断したのも無理はない。彼の言い分はこうだ。ただ飯を食わしてやっているのだから恩を返せ。さらに返済金の免除と帰郷の許しという甘美な言葉で、リラの反抗心を完全にくじいた。

〈マレッタ・トウヤ〉【六章】
カンタベル学院に勤めて二十余年、学生食堂の厨房を仕切る調理人である。口達者で腕っ節が強く、たとえ貴族の子弟であろうが容赦せずに叱りつけるため、学生たちに恐れられていた。容姿についての表記は少ないが、大勢からの求婚を受けたことがあり、力強い人間性とも相まって魅力的な人物のようだ。我が子と同年代のリラとは、固い友情で結ばれている。

〈リラ〉【序章~】    
カンタベル学院で歴史研究に従事する魔術師。険しい山に囲まれたクルルの里で生まれ育つが、放浪の老魔術師に才能を見出されたことから山を下り、同学院において魔術を学んだ。故郷の山道で鍛えられた俊敏性と、丈夫な体をもつ。本人は慎重派だと主張するが、根っからの研究者体質で、とかく興味が先走るため、周囲の見解が必ずしも一致するとは限らない。

〈ロウマン〉【序章 二章 五章】
放浪の果て、クルルの里にやってきた老魔術師。山での厳しい暮らしを送る人々の支えとなるべく里の外れに住み着いた。そこで出会った少女の才能を見出し、弟子に迎える。医術にも長けているが、魔術しかり「世の中には万能なものなど存在しない」と弟子を諭す。また、学院で魔術師範を務めるアトワーズとは、過去のいくさにおいて生死を共にした仲だった。

〈ロスロー〉【四章】

立派な体格をした、学院でも屈指の実力をもつ魔術師。攻撃魔術の達人であり、学院内外で立てた功績によって称号を授与されている。貴族の出身であることを誇示しないなど、自らには徹底した実力主義を課すいっぽう、伝統や格式を重んじる傾向は強い。最近、酒館で朝まで飲む姿が目撃されている。ふだん堅物なだけあって、酒が入ると面倒な人物に違いない。

その他の登場人物 ※五十音順


〈ヴィルジット〉【二章 三章】

重役員のネイドルによって、リラに与えられた偽名。冒険者協会の証書には剣士とある。

 

〈カドマク・ニルセン〉【五章】

ウトロの山奥で金脈を発見した探検家。四度目の探索では、部隊もろとも消息を絶った。

 

〈セノルカ・バリン〉〈ベイケット・クラン〉〈オハラス〉【八章】

二十年ほど前の除名者記録では「学院条例の著しい違反のために処分となった」とある。

 

〈ゼラコイ〉【二章 八章】

閲覧室に猫を放ったり、戦場魔術の廃止を訴えたりした魔術師。消えた賢者として有名。

 

〈チャドリ〉【六章】

学舎の厨房において食材庫の管理を任されている。ものぐさだが、料理長の信頼は厚い。

 

〈テルゼン〉【八章】

トツカヌと話していた若い魔術師。紫紺色の長衣を着ており、身分が高い人物のようだ。

 

〈トツカヌ〉【八章】

立派な体格をした老人。テルゼンには不満げな態度を見せる。酒を飲まないと眠れない。

 

〈ナージャ〉【七章】

アトワーズの教え子。六年前に卒業していることから、リラよりすこし上級生のようだ。

 

〈ブルニ〉【八章 十章】

いくさでの悲惨な経験がもとで人間不信に陥った守衛の老人。リラにはすこし心を開く。

 

〈ベルカ〉【五章】

アマダと共に、歴史研究に従事している学者。思慮の欠ける室長に詰め寄ることがある。

 

〈ポロイ〉【二章 五章 八章】

二千年前の災厄にて大船団を率い、滅亡寸前まで追い込まれた人類を新大陸へと導いた。


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