第三章 ジュナンとヴィルジット(3)
文字数 3,259文字
「しっかりやるのよリラ」
姿見に映る、剣士の出で立ちをした自分自身に
「貴重な時間なのに、いくらなんでも剣の
剣の柄を握りしめ、恐るおそる振ってみた。重心が手元にあって扱いやすい。両手で構えると重さを乗せた斬撃も可能なようだ。
このようなとき、思考法やリラの記憶力がものを言う。まぶたを閉じると浮かぶ、ジュナンの剣さばきや鋭い踏み込みをなぞるように、狭い部屋の中で剣を振り始めた。
所作を正確に行うところは呪文の
「わたしにできそうなのは、はったりからの
やすやすと引っかかる者がいるとは思えないが、杖を持たず、敵に詰め寄られた状況でも、詠唱をやってやれないことはない。身分を伏せながらの任務といえど、身を守るにあたっては、魔術を抜きに考えるなんてできなかった。
リラは壁を背にして息を整えると、正面の壁めがけ「やあっ!」と踏み込んだ。切っ先を走らせた瞬間、扉から覗く青白い顔と目が合った。
「うわぁ! ごご、ごめんなさい!」
あやうく剣を放り投げるところだが、魚をつかみ損ねるように手を踊らせて、謝る自分に疑問を抱く。そもそも、いつから扉が開いていたのか……。
フルミドは、どうにか笑みを保とうとしている。
「あの……、先ほどからお呼びしていたんですけど」
剣を振るうのに没頭して気がつかず、不用心にも錠を下ろし忘れていた。
「これは……えっと、ごらんの通り牽制の
剣士どころか魔術師としても失格に値する。この出来事は後々まで繰り返し脳裏をよぎり、リラはそのたびに頭を抱えたくなるのだった。
「ボナルティさんからの預かり物を届けに来たのです」
おたおたと弁明する相手など気にも留めず、フルミドは淡々と職務をこなす。
「――あ、はいはい、ボナルティさん……えっと誰だ……たしかあのボナルティさんね、もちろん知っているわ!」
剣を部屋の隅に立てかけながら〈金切り声の丸眼鏡、くせ者〉とおぼしき猫背の小男――さらには唾を飛ばしてくる――を記憶の底から探し当てた。
渡されたものは、紐で巻かれた紙と、手のひらにずっしり重たい小袋だった。袋の口からは、銀貨と大小の銅貨に混じり、驚いたことに数枚の金貨が見える。半年を遊んで暮らせるほどの額に眉をひそめた。
紙を広げ、ひと息に目を走らせて要件だけを拾う。リラ宛ての指示書だが、彼女は認知活動を抑え込み、余計なものを遮断することに成功した。
つぎに、長年つづけてきた思考法の
書状から目を離すと、フルミドが敷居を挟んだまま立っていた。役員への返事を待っているのだ。
「待たせてごめんなさいね。でも、もうすこしだけいいかしら?」
「いえいえ、どうぞお気遣いなく、ふふふ……」
あるいは、住人の奇妙な格好を興味のままに眺めていたのかもしれない。
ボナルティからの指示は、つぎのようなものだった。
このたびの任務に際して
路銀だが、銀貨に置き換えると百枚は下らない。リラがいままで手にしたこともない法外な額だ。学院の一大事に出費を惜しんでいられない、ということだろうか。まさか口止め料ではあるまい。
――なんでもかんでも、すべてお金で解決できると思っているんだ。あの人たちの考えそうなこと!
剣や衣服、助っ人の手配にも、金を惜しみなくつぎ込んでいるはず。彼らが守ろうとしているのは学院の信用などではないだろう。いっぽうでは、盗み出された魔術書がいかなるものか、知りたい気持ちを強くしていた。
ウトロ村はキャンタベリーの町より遥か東にあり、聖地ポロイヤートへの巡礼路において宿場としての役割を担う。村の中心には、免税の措置や神殿からの補助を受けた宿が集まっており、〈森の雄鹿亭〉もそのなかの一軒だろう。
三日後に助っ人と落ち合えとあるが、いまは旅に適した初夏だから、天候さえよければ出発から三日目には、馬の巧みな者ならば陸路を二日でウトロに到着する。
それにはまず、ポウトリ湖畔の漁村、クイルツッカをめざすことになる。
ひとつは、
もうひとつが、陸路をまっすぐ東へと進む方法。難所のミュルヌーイ峠を使って山脈を越えると、眼下に霧深いポウトリ湖が見えるはず。
クイルツッカから、さらに東へ。道は、山に囲まれた黒々と広がる森林地帯へと分け入る。国の貴重な木場で材木の切り出しを産業とする村、それがウトロだ。
考え込むリラを、まじまじと見つめるフルミドだった。この部屋の住人は、なぜ奇声を上げて剣を振り回さなければいけなかったのだろう……。かわいそうに。気がふれてしまったに違いない。まだ若いのに気の毒なことだ。
男の目には気づかず、リラは役員たちからの指示内容を整理した。研究室はともかく、頭の中は常に片づけておきたい。
まずはウトロ村において助っ人と合流すること。そして廃屋となっている屋敷を調べ、村人の失踪事件を調査する。もしもエルトランが関わっている場合には、何を置いても彼を
ただし、事件の発端が学院の落ち度にあることや、魔術書の中身について知られてはいけない。リラは、役目に関しての口外を禁じられているだけでなく、身分を伏せて〈ヴィルジット〉という名の剣士として振る舞うよう指示されていた。
合流する助っ人の名すら告げられておらず、具体性を欠くこと著しい。とはいえ、言葉足らずはお互い様だ。昨日、役員たちと初めて言葉を交わしたが、彼らとのあいだには長年に渡るわだかまりがあって、いまさら歩み寄る気にはなれないのだった。
「専門家って……用心棒みたいなものかな。いいえ、きっとわたしの行動を監視するためだ。どのみち、あの人たちを信用などしてやるもんか」
最後は壁の一角を睨みながら、ぶつぶつと呟いた。
「けれど、杖を持っていってはだめだなんて、どこにも書かれていない」
魔術抜きでは無力なことぐらいわかっている。慣れた杖を置いては行けない。ただ、細かな指示がないからといって、堂々と持ち出すのは避けるべきだろう。
覗き込むフルミドに気がついたリラは、「ごほん」と咳払いをひとつ。つぎに背筋を正した。
「ありがとうフルミドさん。戻ったらボ……ボナなんとかさんと、ネイ……なんとかっていう方に、すべて承知いたしました、と伝えてくださらないかしら――」
顔を合わさずに用件を伝えられるのだから、フルミドの存在がありがたい。
「――それと明日の早朝、ウトロ村に向けて出発します。まずは川を下ってフランパーナの港へ、ということもあわせてお願いね」
突然、フルミドが目を見開く。
「だめですリラさん、危険ですよ!」
声を強めて異議を唱えた。