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文字数 1,082文字



 悠人はなにかにつけ、愛してるよと甘くささやく。やはりこの人は恋人には激甘なんだなと思う。
 でも玲奈は「愛してる」ということばには懐疑的だ。悠人の玲奈に対する気持ちは疑いようがない。それは信用している。
 ではなにか。
 陽介は玲奈を愛してるといった。でも不倫相手の彼女にも愛してるといった。それはあの晩たしかに耳にした。では、陽介のいう二つの「愛してる」のちがいはなんだろう。玲奈を、愛してるといいながら散々傷つけてきたではないか。だとしたら玲奈にむけたそれは欺瞞(ぎまん)だ。ただの凶器だ。それを突きつけられた玲奈には、もう「愛」ということばを信じることができない。
 悠人には、愛してると返すけれどそのたびに嘘をついた気になる。心の底にたまった(おり)がゆらりと揺らぐ。それはこの先ずっと続くものなのか、いつかは収まるものなのかわからない。
 そんな微妙な気持ちは、悠人には永遠に秘密だ。
 ひとつ確かなのは、悠人に対する気持ちだ。これに嘘はない。大事な大事な人だ。もし悠人を失うようなことがあれば、玲奈は地獄の底に沈んで二度と這い上がることはできない。だからまっすぐに気持ちを注ぎ続ける。悠人も自分も揺るがないように。
 「愛」以外にこの気持ちをつたえることばがあればいいのに、と思う。
 悠人は悠人で、かすかな違和感を覚えていた。玲奈が「愛してる」というとき、わずかに瞳が揺らぐ。最初はなかば強引に連れ込んでしまった自分に対する不信感かと思った。でもどうやらそうではないらしい。
 玲奈の愛情は強く感じるし、悠人の愛もまた玲奈に通じている。それは確信できる。ではこの違和感の正体はなんだろう。
 ひとつ思い当たるのは、別れた夫だ。あの夜悠人はあの男が不倫相手に「愛している」といったのを確かに聞いた。玲奈も聞いたはずだ。後ろに立っていた悠人には玲奈の表情はわからなかったが、玲奈はどんな思いで聞いたのだろう。一人の男が吐いた二つの「愛してる」。だから玲奈は「愛」ということばを信じられなくなったのだ。
 悠人にしても、もしかしたら玲奈もいつか自分の元を去ってしまうのではないかという不安は拭い去れない。一度裏切られた人間はどうしてもその不安から逃れられないのだ。あのときも相当つらかったけれど、玲奈を失うのはその比ではないと思う。酒か何かにすがって、泥沼から這い上がることはできないだろう。
 だったら、玲奈の目がほかのなにも映さないくらいに愛を注いでやる。死ぬまで愛しているといい続ける。
 最後の最後、今わの際に「この人は裏切らなかった。愛しているって本当だったんだ」とわかればそれでいい。
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