文字数 1,571文字

 

 怒涛の一か月がはじまった。
 派遣は翌日電話して、やめる由伝えた。家族が急病で実家にしばらく戻らなければいけないとうそをついた。ちょっと心苦しかったけれど、そんなに思い入れのある仕事でもなかったし、誰でもできる仕事だ。すぐに次の人が入るんだろう。
 それからジム用のトレーニングウェアを買った。毎日通うから三着。それからシューズ。
 初日担当トレーナーがついて、カウンセリングを受ける。それによってプログラムが組まれるようだ。事務所からのオファーがどういうものなのか知らないので、いうがままだ。
 食事の指導も入る。炭水化物と油分は避けて、たんぱく質を多めにとって。一週間分のメニューのプリントがわたされた。
「ええー」
 なんだか絶望的なメニューだ。メニューっていうのか、これ。ただの素材だろ。サラダチキン。ゆでたまご。サラダ。豆腐。納豆。そんなにサラダチキン食べなきゃないのか。
 初日はカウンセリングのみ一時間だったが、次の日から二時間みっちりのトレーニングがはじまった。
「一か月で仕上げてほしいといわれてるんで、ちょっときついですよ」
 トレーナーがいった。
 そういえば東京に来てから体を動かすのははじめてだったなと思う。想像以上に体が鈍っていた。足も腕も背中も腹もプルプルとけいれんしそうだ。
 あした筋肉痛だな、それでまたトレーニングするのか。いや、きついだろう。一週間もしたらなれるのかな。
 そういえば、ランニングシューズしまったままだったな、などと考える。
「はい、これ飲んで」
 トレーニングの終わりにプロテインを差し出された。
 はあ。から揚げ食べちゃだめだろうか。
 午後からはエステ。いい香りのオイルを塗ってもらって全身マッサージ。寝てしまった、ぐっすりと。
 午前中のトレーニングで、いじめた体がいい具合にほぐされていく。至福だ。やめないでほしい、などと思っても終わりは来る。
 またハイヒールを履いて、よろよろと家路につく。
 夕食はサラダチキンとサラダ、冷ややっこ。むね肉買ってきて茹でればいいんじゃないのか。そのほうが安く済むな、と思い立ってスーパーによる。
 そういえば陽介はきょうは帰ってくるんだっけか。なんだかどうでもよくなってくる。もういいや。自分の分だけ買って帰ろう。きのうハイヒールも脱ぎっぱなしだったけど、何もいわなかったしな。
 家についてハイヒールを脱いで足を開放すると、急に血のめぐりがよくなった気がした。はあ、とため息をついて足をさする。これ、いつまでも借りっぱなしじゃいけないなと思う。明日買うか。
 このまますわってしまうと、動けなくなるような気がしてすぐ調理にかかる。二枚分のむね肉を切り分けて塩コショウをすりこんでゆでる。冷蔵庫にあるだけの卵もゆでる。明日の陽介の朝食用に一個取っておくか、とちらりと思う。
 サラダはカット野菜ですませる。ドレッシングはノンオイル。マヨネーズはだめか。ポテトサラダもだめなんだな、悠人もこんな食生活してるのかな、などとぼんやり思う。
 ゆであがったむね肉と卵を冷ましている間、シャワーを浴びる。いい香りのオイルを流すのは少しもったいなかったけれど、はやくさっぱりしたかった。
 手早くシャワーを浴び終わって、ようやくソファに身を沈めた。時刻は七時を過ぎていた。テレビをつけてぼんやりとバラエティー番組を見ながら、きなこ味の豆乳を飲む。今日一日、慣れないことばかりで体も疲れたけれど気も疲れた。
 明日もか。ふと思いついて明日のスケジュールを確認する。午前中はきょうと同じくジム。午後は事務所とあるからポージングなのだろう。どんなものか想像もつかないけれど、筋肉痛の体でできるものだろうか。
 ぐうとおなかが鳴った。頃合いに冷めたむね肉と豆腐とサラダを皿に盛って一人で味気ない食事をはじめた。
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