文字数 1,297文字



 翌日一日の仕事を終えて、駅のコインロッカーにあずけていたキャリーケースを持って帰宅した。
 ドアの前に立って、ふうっと息をつく。耳を(かたむ)けて中の様子をうかがう。何の音もしない。誰もいないな、と確認してガチャリとカギを開けた。細く開けたドアのすき間からのぞいてみる。玄関はいつも通り、スリッパが二足ならんでいた。ようやく中に入りキャリーを玄関に置いたまま、なぜ自分の家なのに入るのに気をつかうのだと思いながらスリッパをはく。
 まずはチェックだ。リビングもいつもどおりだった。置きみやげはない。キッチン、寝室、洗面所、浴室、トイレにも女の気配はなかった。
 意外だった。一週間泊まりこんで我が物顔で家じゅう蹂躙(じゅうりん)しているんだと思っていた。こっちには来なかったのだろうか。拍子抜けした。キャリーの中を出して片づけていると、ガチャリと玄関が開いた。
「え? もう帰って来たの? まだ七時だけど」
 陽介の早い帰宅だった。
「ただいま」
「おかえり」
 なにやらがさごそとビニール袋を下げている。
「駅前の中華屋で買ってきた。食べよう」
 そういうと陽介はテーブルに袋から容器を出しはじめた。
「え?」
「ひさしぶりじゃないか、いっしょに食べるの」
 なんだろう、急に猫なで声で。こわい。
「ああ、うん」
 そういう玲奈の頬が引きつる。
「最近変わったのもばかリ食べてるだろう。でもこれならいいんじゃないかと思って」
 陽介が買ってきたのは、ニラレバやエビチリ、餃子などだった。チャーハンはたぶん自分用。
 変わったものって。たしかに普通の食事ではないけども。でもなにやら気をつかわれているとわかって背中がぞくりとする。
 冷めないうちに食べようと催促されて、片づけは置いておいて陽介と向かいあって食事をはじめた。
「チャーハンも食べる? 取り分けようか」
 居心地が悪い。チャーハンは断ってニラレバとエビチリをよそって食べた。陽介がなにかと話しかけてくるが、急に態度を変えた真意を測りかねてうまく返事ができない。
 今ここで間違ってはいけない。一言一言に緊張が走る。
「ごちそうさま」
 食べている途中の陽介をおいて、片づけのつづきにかかった。することがなくならないように時間をかけて、洗濯物は洗濯機に放りこみ、着替えはクローゼットに、化粧品は洗面台にもどしていく。
 途中で置きみやげがみつかるかと思ったけれど、そんなものはひとつもなかった。驚くくらい痕跡が消えていた。
 まさか別れたわけじゃないだろうな。
 ありえない話ではない。相手の女はまだ若い。楽しんでいた不倫という状況に飽きたのかもしれない。もしくは自分と年の近い男を見つけたのかもしれない。
 今さらそれは困る。離婚して自立するために動きだして、もう引き返せないところにきている。
 玲奈だって陽介とやり直す気はない。初志貫徹するしかないな。なんにしろ原因は陽介なのだから。
 ピコン。
 ラインの着信が鳴った。陽介のだ。
 おや?
 何度かやり取りが続く。
 あの女だな。そうだな。なんだ。これはカモフラージュだったのか。なにに対するカモフラージュなのかはわからないが、とにかく別れたわけはないらしい。
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