文字数 1,511文字



 またいつ手を出されるかとびくびくしながら一週間を過ごした。クリティカルヒットがよほど効いたのか、陽介は二度と手をのばすことはなかった。けれどホテル住まいで回復したはずのHPはあっという間に減っていく。
 なぜか陽介は早めに帰ってくるようになり、週末も土曜日の午後に少し出かけただけで、ずっと家にいた。それが余計に玲奈の負担になる。
 食事の支度もしなければならず、玲奈もいっしょに食べる羽目になった。いまやたんぱく質重視の食事にすっかり慣れてしまった玲奈の胃には、ごはんや麺類はなかなかヘビーである。陽介がカレーが食べたいといったときには思わずため息が漏れた。
 悠人にいわれた通り、熱めの湯と冷水に交互につけていたら、手首のあざはみるみる消えていった。
 そしてむかえた.futureの新作の撮影日。あざはかすかに残ったものの、撮影には支障がないまでに消えていた。
 けれど、朝から胃の痛みはひどかった。軽く吐き気すらある。いやな脂汗がにじんでくる。せっかくの新作の撮影である。穴をあけるわけにはいかない。ひたすら不調を隠して撮影にのぞんだ。
 ワンショットはまだよかった。なんとかこなせた。でもこの状態でのツーショットはきつい。悠人に近づくだけで息がしにくい。触れれば震えてしまう。立っているのがやっとだった。
 つらい。苦しい。助けてと手をのばしたかった。
 でもカメラマンには見抜かれてしまった。
「EVE? 顔色悪いよ。だいじょうぶ?」
 このときには痛みがピークだった。眉間にしわをよせて、口もきけない玲奈にカメラマンがいう。
「すこし休もうか」
 悠人から離れたくて一歩踏み出したとき、今までにないほどの激しい痛みに襲われた。誰かが胃を鋭い刃物で切り裂いている。体は九の字に折れ曲がる。同時にのどの奥がせぐりあげる。
「玲奈?」
 声をかけた悠人をふりきって、手洗いにかけだしたつもりだった。でも実際には二、三歩よろけただけだった。みぞおちの奥からこみあげてくるものを必死に飲みこんだ。
 とうとうあらがえずに押さえた手のすき間から溢れてしまった。
 ごぼっ。
 吐いたものが床に落ちた。真っ赤なそれ。
 なに、これ。
 手のひらからこぼれた鮮血はぽたぽたと玲奈の足元に落ちていく。白い床についた真っ赤な斑点が禍々(まがまが)しい。視界が白くなってチカチカと火花が散る。耳元の雑音がザアザアとうるさい。
 ふたたび強くえずいて、また赤い塊を吐きだした。
「玲奈!」
 誰かが遠くで呼んでいる。
 薄れていく意識の中で、いろいろごまかしてきたからバチが当たったのかな、と思った。

 くずれ落ちる玲奈を抱きとめたのは悠人だった。
「玲奈っ! しっかりしろ、玲奈!」
 呼びかけても反応がない。なおも名を呼びつづけながら肩を揺さぶる。蒼白の顔に飛び散った血が痛々しい。スタジオ中が騒然とする。
「救急車!」
 ひざの上に玲奈をかかえて悠人が叫ぶ。
「玲奈! 玲奈!」
「うるさいっ! 電話ができない!」
 叫び続ける悠人を摩季が一喝した。悠人は呆然と摩季を見上げた。
「今、電話するから静かにしてて」
 そういうと、一一九をタップする。冷静に状況を説明する。二十七才女性。吐血したこと。意識がないこと。しばらく前から胃痛をうったえていたこと。しばらくの応対ののち電話を切った。
「すぐに救急車がくるわ。わたしがついていく」
「俺もいく!」
 そういう悠人を見据(みす)えた。
「だめよ。あなたは撮影を続けて」
「なんで。ついていきたい」
 情けなく眉尻を下げる悠人に摩季は容赦なかった。悠人のとなりにしゃがみこむとひそひそと話し出した。
「たぶん胃潰瘍ね。原因はストレス。半分はあんたのせいよ。わかってるわよね」
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