文字数 1,768文字



 陽介を泳がせはじめたあたりからラインの返信が雑になってきた。り、の一文字だったり、スタンプ一個だったり。返信も遅い。玲奈より帰宅が遅いこともでてきた。
 玲奈はふっと笑う。
「思ったよりも早かったな」
 朝出がけに、今日も遅いの、と聞いてみた。陽介は、ああ、ちょっとわからない、とことばを濁した。懐柔作戦その四、おねがいだから早く帰ってきて、の発動だ。
 彼女のインスタには匂わせ写真が増えている。玲奈が遅くなる日はかならず会っているようだ。
「結局別れる気はないのよね」
 計画は順調だ。
 今朝、今日はカレーよといったのに、撮影の合間に見たラインには、遅くなるというメッセージがあった。陽介の遅くなるは、終電で帰るという意味だ。しかも今日は玲奈が早く帰るというのに。
「ほほう、いよいよだな」
 顔をあげると、悠人と目があった。
「すげー悪い顔して笑ってるぞ」
「獲物が罠に片足つっこんだので。もうじき仕留めます」
「そうか、落としどころはどうするんだ」
「ふふっ、まだ内緒」
 そういうと玲奈は、ええ、せっかくカレーなのに、とメッセージを送った。泣き顔のスタンプを添えて。
 焦らしながら徐々に包囲網を(せば)めていく。失敗は許されない。確実に仕留めるには、もう少しだけ時間が必要だ。
「真綿で首を絞められるってどんな気持ちだろうね」
 といったら、悠人の肩がびくっとはねた。
 翌日、早く帰宅した陽介にベッドに誘われた。きのう彼女のところに行ってきたばかりだろう。わかっていて受け入れるわけがない。男って日替わりで抱けるのかなとあきれる。それともこいつの節操がないだけだろうか。懐柔作戦をはじめてすぐのころ、一度陽介は玲奈に手を出そうとした。下手(したて)に出た玲奈にこれはイケると思ったのかもしれない。安直なヤツだ。もちろん胃の調子が悪いとかいって拒否した。それ以来だったが嫌悪感を顔に出さないようにしながら、今日は生理だからとうそをついた。
 一応スタンガンを手元に置いて、ブランケットにくるまってソファに横たわる。
「はあ」
 思わずため息が出た。心がざわざわする。鳥肌も立つ。陽介のせいだ。そんなふうに気安く思われたのにも腹が立つ。直接触られなかったのがせめてもの救いだ。
 計画はもうすぐ最終段階だ。あと少しの我慢。
 悠人。
 顔を思いうかべる。次いでその首筋を。喉仏を。肩を。二の腕を。筋張った前腕を。血管の浮いた手の甲を。長く繊細な指を。その指先を。
 へその奥がきゅうと疼いた。
「はあ、もうダメだ。わたし、あの人を待っている」
 ふいに沸いてしまった欲を押し殺すように体を丸めて、ぎゅっと目をつぶった。

 三回目の「遅くなる」のラインを受けた。
「そろそろ仕掛けるか」
 玲奈はつぶやいた。今日は火曜日。では決戦は金曜日にしようか。
 水曜日の夜、帰宅した陽介に仕事で家を空けると告げた。
「金曜日と土曜日、神戸で撮影が入ったの」
「神戸? 泊り?」
「そう、外で撮るの。異人館とか六甲山とか」
「またあいつもいっしょなのか」
 悠人のことだろうなと思う。思わずふっと笑ってしまう。
「悠人? もちろんいっしょよ。でも二人きりで行くわけじゃないから。摩季もいるし、スタッフもいるから品川に集合よ」
 陽介は不満げにふんと鼻を鳴らした。なぜ自分は好き勝手をしているのに玲奈に執着するのか、玲奈にはわからない。
「帰りは土曜日の夜になるから。ご飯どうする? 作っておく?」
 陽介は少し考えて、
「いや、いい」
 といった。
 決まったな、と思う。泊まるつもりなのだ。あとはなんとかしてこっちに彼女を連れ込ませる。
 さいわい、彼女のインスタでは友人たちが彼氏のことをはやし立てていた。あまりの匂わせぶりに友人たちもうんざりしているのだろう。
 次のデートはいつ?
 泊りに来るの?
 泊りに行かないの?
 もう旅行に行かないの?
 これらのイジリに気づいてか気づかないでか、彼女はますます事細かに投稿を続ける。おかげで彼らの行動パターンまでわかってしまった。
 待ち合わせして外で食事をしたときも、彼女のマンションで食事をしたときも、わりと早い段階で行為に入る。陽介は平日はかならず帰ってくる。泊まるのは休日だけだ。しかもホテル滞在以来、それもなくなっていた。事を()いているのだろう。
 九時かな、いや、余裕を持たせて十時か。
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