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文字数 1,923文字



 ある日家の玄関を開けると、見なれないハイヒールがあった。誰か来ているのかと思ったが、そうでもない。いるのは玲奈一人だ。では玲奈のものか。今までハイヒールなんて履いたこともなかったのに。身長にコンプレックスがあったから。
 かなり気になったが、意地を張って聞かなかった。その日を境に玲奈の様子はどんどん変わっていく。真っ赤なネイル。少し短くなったおしゃれなヘアスタイル。いい匂いのクリーム。
 とうとう根負けしてどうしたんだと聞いたら、転職したとこともなげにいった。またかと思った。どうして俺に相談しないのだ。全部勝手に決めるのだ。カッとなっていい争いになってしまった。
 そんなことは望んでいない。ただ自分のわかる範疇(はんちゅう)に玲奈をおいておきたいだけなのに、どんどん知らない世界にむかっていく。いつだって陽介の先を走っている。それでもまだ、手をのばせば届くと思っていた。
 けれどあの日、玲奈が血を吐いて救急搬送されたと連絡が来た日。社長とマネージャーがガッチガチに玲奈を囲っていた。陽介は事務的な手続きをしただけで、玲奈に会わせてももらえなかった。なぜこいつらは邪魔をするのだ。
 もらった名刺からホームページにアクセスしてみた。心底驚いた。陽介の知らない玲奈がいた。見たこともない服を身にまとい、赤い口紅をつけてハイヒールを履いて、凛と立っていた。
 ぞくりとするような流し目に思い当たった。いつか駅の構内で見かけたポスター。あれはやはり玲奈だったのだ。ただし名前はEVEとなっている。
 今度はEVEで検索をかけてみる。おびただしい数の結果が出てきた。大人気のモデルになっているらしい。化粧品のコマーシャルも務めている。よくよく読んでみると、モデル事務所に所属しているのではなく、.futureのイメージキャラクターとある。ファッションブランドだったのか。
 さらに悠人の恋人、というフレーズに目が留まった。本当の恋人なのか、ビジネス上恋人のようにふるまっているのか、ネット上で論争になっているらしい。まさか本当じゃないだろうな。
 こいつが悠人か。デザイナー兼モデル。カリスマ的人気。そいつがまるで恋人のように玲奈を抱きよせている。俺の玲奈になにをしているのだ。しかもハイヒールを履いた玲奈よりもまだ背が高い。陽介より十センチは高いのではないだろうか。陽介の心に卑屈さが湧いた。
 そうか、こいつらが玲奈を俺からとったのか。激しい怒りがわいた。
 陽介は(ゆが)んでいく。
 退院してきたらやさしくしてやろう。もうアヤカとは会わない。こんなやつらより俺のほうがずっといいと思わせないと。
 そう思ったのに、帰ってきた玲奈はいきなり離婚を切り出した。離婚なんかするわけがない。だって玲奈を愛しているのだから。そう告げると玲奈はすこし打ち解けたように見えた。
「今日は夕食用意しておくね」
 そういわれたときは、自分の愛が伝わったのだと思った。こまめにラインが来るし、帰宅も早かった。毎日食事の準備もしてくれる。やっぱりあんなやつらより俺のほうがいいのだと満足した。
 ただアヤカが陽介に執着しているのが鬱陶(うっとお)しかった。毎日ラインがくる。電話も来る。家にいるときに電話をよこされてもこまるから、帰宅途中に短い電話をしてごまかした。
 それでもアヤカに別れ話をしなかったのはなぜだろう。玲奈には別れるとはっきりいったのに。
 あんまりアヤカがしつこく会いたいというから、少しだけならだいじょうぶかと会いに行った。玲奈に触れるのはまだ許されていなかったからついアヤカの体に夢中になった。のめり込むように抱いた。小柄なアヤカはやはり抱き心地がよかった。そこからは、あっという間にアヤカのペースにはまってしまった。
 ここまでも玲奈の策略だとは思いもしなかった。今日だってそうだ。アヤカは玲奈の策略にのせられて、約束を破りこっちのマンションに来てしまった。あんなふうにマンションの前に立っていたら誰がどう見てもあやしい。しょうがなく中に入れた。
 餌はずっと巧妙に撒かれていて、陽介もアヤカも玲奈の思い通りにあやつられていたのだ。自分は到底玲奈に見合う男ではなかったのだと痛感した。
 だから不安だったのだ。玲奈がそれに気づけば陽介は見下される。それが怖かった。アヤカの存在をちらつかせることでイニシアティブを取ったつもりでいた。
 だがそんな付け焼刃、玲奈には一刀両断だった。かなわない。玲奈はとっくに手の届かないところにいたのだ。
 あの社長も悠人もそんな姑息なまねはしないだろうな、と思う。堂々として、自信に満ちあふれて。玲奈に見合うのはああいう男なのだろうな。
 そう思って自嘲するようにふっと笑った。
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