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文字数 1,335文字


 涼太郎の運転する車で区役所にむかう。今度は悠人が後部座席玲奈の隣にすわった。今になってファイルを握りしめる玲奈の手が小刻みにふるえる。その手を悠人がやさしく包み込む。顔は窓の外にむけたままだ。涼太郎は知ってか知らずか無言のまま運転を続けた。
 区役所につくと、玲奈は一人で受付にむかって離婚届を提出した。夜間受付なので後日受理した連絡が来る。終わってみればあっけない。
 ふたたび車に乗って親には明日電話するか、などとぼうっと思っているうちに悠人のマンションについてしまった。事務所からさほど遠くない。徒歩で十分もかからないだろう。エントランスに横付けして、悠人と玲奈が降りた。悠人がバックドアを開けてキャリーケースを出してくれた。
「じゃあ、俺車戻してくるから。おやすみ」
 涼太郎はそのまま行ってしまった。
「涼太郎もこの辺に住んでるの?」
「ここ。俺が三階、涼太郎は五階」
「あ、へえ、そうなんだ」
「おいで」
 悠人はエントランスを開ける。玲奈は黙ってついていく。エレベーターを降り廊下を歩く。さっきと同じシチュエーションだけれど、緊張感の種類がまったく違う。ドキドキがすごい。
 三〇五号のドアの前で止まる。
「ここだ」
 そういって悠人がカギを開けた。時間は十一時をだいぶ過ぎている。しんとした廊下に音が響く。
「どうぞ」
 ドアを開けて玲奈を招き入れる。
「おじゃまします」
 玲奈の声は小さくなる。玲奈に続いて悠人も入る。と、ドアが閉まるより先に後ろからぎゅうと抱きしめられた。ふっと息をのむ。首元にかかる悠人の息がくすぐったい。
「玲奈」
 呼ぶ声の切なさが胸に刺さる。
「好きだよ。大好きだよ。愛してる」
 悠人ははあ、と息を吐いた。
「やっといえた」
 ああ、そうだ。この人はそれすらもずっと待っていたのだ。
「お待たせしてごめんなさい」
 悠人は、玲奈の肩に手をかけると体の向きを変える。そのままキスをされる。強く強く押しつけるようなキス。
 息が続かなくなるくらい長い長いキスの後、ようやく体が離れた。口紅の赤が(にじ)んで散る。
「もう。ほしい」
 ああ、なんという顔をするのだ。それほどまでにわたしに恋焦がれたか。そう思うと誇らしくもあり後ろめたくもある。
 うん、とうなづくと乱暴に靴を脱ぎ捨てて玲奈の手を引いて、寝室へといざなう。

 嘘と虚栄で厚く塗りかためた鎧は、この人が指先で軽く触れただけで(もろ)く崩れ落ちていく。もう恋も愛もいらないと、かたく封印したはずのオンナがいとも簡単に引きずりだされてくる。そうやって引きずりだされたのは、悲しいくらい、呆れるくらいただのオンナだった。
 悠人は、玲奈、好きだよ、大好きだよ、愛してるよと呪文のようにささやき続ける。ほんとうに呪文なのかもしれない。玲奈がどこへも行かないように。玲奈は身も心もはげしく揺さぶられながら、この人もいつか裏切るんだろうかと思った。
 思ってしまった。
 目尻から一粒涙がこぼれた。その涙をぬぐう指の感触があった。目を開けると悠人がまっすぐに見おろしていた。
「俺は裏切らない」
 はっきりと強い口調でいった。
「この先、俺はきみしか愛さない」
 今度は両の目から涙がとめどなくあふれた。あふれた涙ももれた嗚咽もぜんぶ悠人が吸いとってくれた。
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