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文字数 2,020文字
コーヒーの香りが鼻をくすぐる。誰が
なんだっけ。
マットレスが沈んで、おはようと声がかかる。
ああ、そうだった。悠人の家だった。悠人の手がそっと玲奈の頬に触れる。
「痛くないか?」
眠りに落ちる寸前に見たのは、カーテンのすき間からのぞく白い空だった。
「ん、関節が痛い。あと、あちこちヒリヒリする」
悠人がやさしく頬をなでる。
「ひどくしてごめん。止まらなかった」
思い出すと、この状況が急に恥ずかしくなる。
「事務所に行ってくる。玲奈はゆっくりしてろ」
今日の俺様は激甘だ。
「コーヒー淹れてある。冷蔵庫の中も好きに食べていいから」
うん、と返事をすると悠人の顔が近づいてくる。キスしようとしているのだと気づいて、あわてて手のひらで口をふさぐ。
「なんで?」
悠人の問いに
「寝起きはだめ」
もごもごと返事をする。すると悠人はくすっと笑ってふさいだ手の甲にチュッとキスを落とした。
「じゃあ、いってくる」
悠人を見送ってしばらくベッドの中で惰眠を
「うぇ?」
赤い斑点が散らばっている。太ももだけではない。腹にも胸にも腕にも。目につくいたるところに水玉模様のように散らばっていた。
「うぇー」
ヒリヒリの正体はこれだったのか。夕べは全然気づかなかった。いったいこれはなんの主張だろう。ああ見えてじつは嫉妬深くて束縛するタイプなのか。
「たぶん背中もだな。これじゃ、しばらくジムもエステも行けないな」
はあ、とため息をついた。撮影どうするつもりだったのだろう。スポッツカバーで隠せるだろうか。それにしても数が多い。手足とデコルテは自分でできるとして、後ろはどうしよう。やはり悠人自身に責任取ってやってもらうか。摩季に頼むなどもってのほかだ。
脱ぎ散らかした服は悠人が軽くたたんでベッドの上においてくれていた。その服を軽く羽織ってリビングに行く。八畳くらいだろうか。ダイニングテーブルはなくて、真ん中にソファとローテーブル。ソファの正面に壁一面の収納棚。大きなテレビとサウンドバー。
あの人、テレビ見るんだろうか。バラエティー番組とか。あんまり想像できないな。
家探しのようで後ろめたいけれど、やっぱり気になって家中見てまわる。リビング、キッチン、洗面所、浴室、寝室。どれをとっても男の一人暮らしのものだ。セミダブルのベッド。ツードアの小型冷蔵庫。ロボット掃除機。クレンジング、洗顔、ローションは玲奈と同じエステサロンのもの。スリッパも一足しかない。気になるものはなにひとつなかった。
安心してふうと息を吐く。トラウマになってるのかもな、と思った。すこし煮詰まったコーヒーを飲みながらソファにすわる。あるのは悠人の気配だけ。ひさしぶりにくつろいだ気がする。
自分で思っている以上に、あの家では気をはっていたのかもしれない。
コーヒーを飲み終わり、シャワーを浴びてしまうとやることがなくなってしまった。手持ち無沙汰だ。家主のいない家で勝手になにかをするのもためらわれる。
ソファに転がってしばらくスマホを見ながらごろごろする。やっぱり先延ばしにはできないよなあ、とまずは自分の母親に電話した。
前から状況は話してあったし、離婚したい旨も話してあったから、ずいぶん急ねといいながらもあっさり了承してくれた。ただ、今はホテルに仮住まいしていることにする。EVEのこともあるし、一度帰って話してこないとなと思う。母はわりとどんなことでも受け入れてくれるけれど、頭の固い父はどうだろう。一抹の不安は残る。
次は陽介の母親だ。夕べの動画から一枚静止画を抜きだす。どれをとっても母親にはショックだろうなとは思うけれど、しかたがない。自分の息子の不始末だ。音声がないだけましだろう。
ラインで離婚届を提出済みであると写真といっしょにメッセージを送った。自宅に不倫相手を連れ込んでの行為なのだから、むこうとしてはなにもいえないだろう。折り返し電話があったら陽介の悪行を洗いざらいぶちまけてやろう、と思っていたが、実際に電話が来たのは二時間後。電話もできないほどショックを受けたのは見てとれた。泣きながら話されるとこちらの意志も揺らぎそうだったけれど、心を鬼にしてすべてを話した。
別れさせるしあやまらせるから、考えなおしてと懇願されたが、もうあとの祭りだ。手遅れである。そう告げて電話を切り上げた。あとはそっちで勝手にやってくれ。
それから涼太郎にメッセージを送る。
「夕べはいろいろありがとう。関係各所への連絡もすませ、もろもろ完了しました。お世話になりました。これから一層精進いたします」