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「ストレスの原因に心当たりは?」
 そう聞いた医者に陽介は答えられない。自分の膝頭をぎゅっとつかむ。察した医者は、陽介にくぎを刺した。
「いま治っても、原因を取り除かないと再発しますよ。家庭の問題はご夫婦で解決するしかないんですから」
 あーあ。どんな顔してるのかと思って、摩季はじろりと横目でみる。口をかたく結んだ陽介は目が泳いでいるようにも見える。妻が血を吐くまで苦しめた夫はどうするんだろうな。
 もう玲奈の気持は決まっているようだけれど。さらにつぎの受け入れ先も決まっているようですよ。すこし意地の悪い気持ちになる。
 玲奈の気持が揺らいでいるのは、摩季も涼太郎も気づいていた。離婚に踏ん切りがつかない原因が悠人であることも、摩季はわかっていた。玲奈の病状は心配だけれど、すべてに決着をつけるいい機会ではある。
 点滴による投薬と、絶食しながら十日から二週間の入院になると医者はいった。摩季はため息をついた。
「二週間かぁ」
 スケジュールの調整が大変だ。
 医者に変わって看護師から入院の説明を受ける。摩季はすかさず、個室でおねがいします、と告げた。
「はあ? なにを勝手に」
 陽介が異を唱えたけれど、摩季は無視して話を進める。
「治療については会社が負担します。それから入院中の面倒もわたしがみます」
「はあ、なんで勝手に決めるんですか」
「会社の意向です」
「だいたい玲奈の仕事ってなんですか。何回聞いてもアパレルの広報としかいわないし」
 いいえて妙だなと摩季は思う。ならばそれで押し通そう。
「そうですね。玲奈がそうしかいわないのならわたしも広報としかいいません」
 陽介が眉を(ひそ)める。
「はい、書類かいてください。あとはわたしがやりますからお引き取りいただいて結構です」
「はあ? 会わせないつもりか!」
「会うつもりなんですか」
「あたりまえだろう。俺は夫だぞ!」
「……夫ねえ」
 摩季はじろりと見やる。原因の半分はかくしておいて、ここは百パーセント自分のせいだと自責の念に駆られてもらおう。
「なんだ」
 やはりいろいろ聞かされていたのかと、陽介は怯んだ。
「いいから早く書いて。看護師さんも忙しいのよ。お手間取らせないで」
 机の上をパンパンとたたく。看護師が苦笑いするのをみて、しかたなく陽介は手早く書類を書いた。書き上がった書類と引き換えに入院についての説明書が渡された。廊下に出ながら摩季はぱらぱらとめくると、入院に必要なもの、のページで手を止めた。
「はい、ここ写メって用意してきて。持ってきたらナースステーションにあずけてね」
「はあ? また勝手に」
 ちょうど足早にやってきた涼太郎と出くわした。
「涼太郎。終わった?」
「んー、まあ。アトリエに押し込んできた」
 ことばを濁されて、摩季はやっぱりだめだったかと息を吐いた。涼太郎は陽介を見る。
「こちらは玲奈のゲ、だんなさんよ」
 摩季がいった。
 ゲ?ゲってなんだ。陽介は横目で摩季をにらむ。それにはかまわず涼太郎は名刺を差し出した。
「.futureの社長の菅原です」
「え? 社長?」
 まだ若いのに、とでもいいたかったのだろうか。
「はい、わたしが立ち上げた会社ですので」
 上から見おろされるかたちになって、陽介は少々怯んだ。
 涼太郎は苛立ちを隠さない。大事なモデルを傷つけられ、その影響は悠人にも及んでいる。涼太郎が現場に着いたとき、一応撮影は続いていたものの、悠人はまったく精彩を欠き、とても使えたものではなかった。スタッフの動揺もおさまっていない。
 涼太郎の判断で、撮影は中止して玲奈の復帰を待つこととなった。
 この先二週間、悠人が使い物にならなかったらどうしてくれるのだ。しかも大幅なスケジュール調整が必要だ。これから関係各所に頭を下げてまわらなくてはならない。
 それをこのゲス野郎は今になって玲奈の心配をするふりをしやがって。そもそもどう見たって玲奈はこいつの手に余るだろう。少しばかり見てくれはいいが、それだけだ。凡庸さがにじみでている。
 やはりスライムに走ったのだな、と思わざるをえない。
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