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「すぐにわかったか」
「これだけ目立てば、いやでも目に入りますよ。それより、渋谷駅のどこかくらい教えてください」
「ヘアメイクに行くぞ」
 無視か。
「ヘアメイク?」
「そうだ。EVEを作るんだ」
 小声でそういうと、さあ、いこうと背中を押す。だれなの? 彼女なの? という女子たちの視線が痛い。それはそうだ。ジム帰りで大きなスポーツバッグをかついだ大女はとてもおしゃれとはいえない格好だった。
「安心してください。ちがいますよ」
 などと芸人のようにつぶやいてみる。
 我関せずの悠人は、撮影のヘアメイクも担当している美容師なのだと説明を続ける。自分だってまあまあ顔の知れた人間で、放つオーラを隠しもせず、遠巻きにきゃあきゃあいわれて平気なのだろうか。この俺様に話しかけてくる猛者は少ないだろうが。
「あっ、それから……」
 と俺様がめずらしく口ごもった。
「その指輪なんだけど」
 視線を左手に落とす。ああ、と玲奈は思い当たった。
「はずしますね」
「うん、わるいけど」
「いえいえ」
 玲奈は指輪を外すと、バッグの内ポケットにしまった。
 指輪をはずした薬指には、白く跡がついている。それはすでに幸せだったはずの結婚生活の名残でしかなかった。指でこすってみると、くっきりとした跡が少しにじんだ気がした。
「できればその跡もわからないようにしてもらえるといいな」
 そうか。取っ払ってしまえばいいのだ。全部。
「だいじょうぶ?」
 悠人が聞く。
「きみが不利になったり責められるようなことがあると俺も心苦しいけど」
「だいじょうぶ、たぶん」
 たかが指輪だけれども、けっこうな枷になっていたのだなと思った。

 つれて行かれた美容院は都会的なおしゃれなつくりで、スタッフも今どきの若者である。
「お待ちしてましたー」
 と迎えたのは、四十才くらいのこれまたしゃれたおじさんだ。この人が担当なのだと紹介された。通されたのは店の奥の個室。美容院に個室があるなんて玲奈ははじめて知った。
 シャンプーをすませていすにすわると、前に見せられたEVEの絵をもとにカットがはじまった。悠人と美容師がこまかく打ち合わせながらカットが進んでいく。
 もともと肩につくくらいの長さだった玲奈の髪は、あごのラインまで切られていく。
 自分の髪なのに、勝手に進められる状況にすこし不安になる。
「色は黒にしたいんだよね」
 悠人がいう。玲奈の髪はダークブラウンで先月染めたばかりだ。
「うん、染めると日にちが立つと黒でも退色しちゃうんだよね。だから撮影の前に、スプレーかカラーワックス使うのがいいと思う。そうしながら髪が生え変わるのを待つ」
 一時間ほどかけて、カットがおわった。いま、これしかないけどといって、美容師は黒のワックスを玲奈の髪につけて行く。
 次にメイク。クレンジングシートでいったんメイクを落としてからあらためてファンデーションをぬっていく。下地、クリームファンデーション、パウダー。プロの技によってきめこまかい陶器のような肌が作りあげられていく。
 きのうのエステが効いてるな、と玲奈は悦に入る。アイメイクにはうすいブラウンが四色。絶妙な陰影がはいる。そして時間をかけて特徴的なアイラインがひかれ、つけまつげがつけられた。眉はうすめで直線的に、チークもわずかに色が感じられるくらいに。合間に悠人のチェックがはいる。
 最後に真っ赤なリップ。ていねいに、ていねいに三度かさねて。
「はい、完成! どうかな?」
 美容師は自信満々だけれど、とうてい自分とは思えない仕上がりの顔に玲奈は不安になる。
 鏡越しに悠人と目があった。じっと見つめられてなんだか居心地が悪い。
「うん、よし! 完璧!」
 玲奈はほうっと胸をなでおろす。俺様のお眼鏡にかない、第一関門クリアな気分だ。
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