文字数 1,467文字



「EVEさんですか?」
 最近外を歩いていると、そう声をかけられるようになった。マスクで顔半分(おお)っているのになぜわかるのだろう。
 化粧品のコマーシャルは当然テレビでも流れる。ふだんファッション雑誌など見ない人たちの目にもEVEは触れるようになった。
 化粧品会社がキャンペーンを打ったので、一時駅の広告、新聞、週刊誌、屋外の広告看板など街中にEVEがあふれた。
「ちがいますよ。よく似てるっていわれるんです」
 そういってごまかすのも限界な気がする。コンビニに行くのも気が引けてしまう。
「なるべく外は歩くなよ。自宅特定されたくないだろ」
 涼太郎はそういったけれど、やっぱりスーパーやドラッグストアには行きたいのだ。結局はタクシーで帰宅途中にコンビニに寄ってもらうのが関の山だけれど。
 ホテルの前でタクシーを降りて一階のコンビニによる。食料を買って部屋に上がる。この気楽な生活も今日で終わりだ。あっという間の一週間だった。
 久しぶりに手足を伸ばして、ふろに入りベッドで眠った。よく眠れた。胃も痛くならなかった。スマホのアラームが鳴っても起きられないほどだった。
「はあぁ。帰りたくないなぁ」
 大きなため息をつく。最近ため息がふえた気がする。一人きりの生活のあまりの心地よさに自分で驚いていた。そしてあの生活がほんとうに破綻していると思い知る。陽介からは、わかった、とだけ返信がきてそれきりだ。
 あの女、泊まりこんでいるんじゃないだろうか。洗面台にあの女の化粧品がならんでいたらどうしよう。もしかしたら洗濯したブラやパンツがぶらさがっているかもしれない。茶碗や箸が食器棚にならんでいるかもしれない。料理とかしたんだろうか。
 いやそれよりも、本人が当然のようにいたらどうしよう。
「あら、もどらないと思ったわ」
 なんていわれたらどうしたらいいのだ。玲奈の思考は悪いほうへ悪いほうへとむかって流れていく。
 ああ、気が重い。また胃が痛くなってきた。佳奈が一人だったらしばらく世話になるのにな、などと思ってしまう。佳奈には同棲中の彼氏がいる。どうしたって転がり込むわけにはいかない。
 悠人から事情を聴いた涼太郎からも、はやく引っ越せといわれてしまった。
「事務所の物件さがしといっしょにマンションも探そうか。セキュリティのちゃんとしたところ」
 それでは悠人に住所がバレるだろう。いや、どっちにしろ会社には伝えなくてはいけないが。一人になったことでなにかしらのアクションをおこされても困る。自分のせいで悠人の心を乱したくない。心(たい)らかに創作に専念してほしいのだ。ホテルに滞在中も不動産屋のサイトで探してはいたのだ。保証人は父親に頼もう。そう思ったところで、この事情を親になんと説明すればいいのか、思い悩んでしまった。
 面倒くさい。
 陽介の不倫にはじまり、外も歩けないほどの人気モデルになってしまったこと。そのいきさつ。しかもそれは陽介には隠してあるわけで。説明するのに丸一日かかりそうだ。とても電話ですむとは思えない。
 そもそも父親はともかく、母はEVEに気づいているだろうか。なにもいってこないところをみると、気づいていないだろうか。ちょっと似た人、くらいに思っているのかもしれない。
 それにエロい感じで悠人と密着した写真を見せるのはかなり抵抗がある。
 あれ? これ親にも隠さないといけないのだろうか。母がべらべらといいふらすことはないと思うが。
 そんなこんなで放置してしまっていた。これじゃだめだ。もういいかげん、けじめをつけないと。やっぱり涼太郎に頼もう。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み