ハイヒールをはけ 1
文字数 855文字
リビングで待ち受けていた涼太郎は、玲奈に契約書と会員証、診察券などをまとめて入れた封筒を渡した。
「じゃあ、スケジュール通りにたのむよ。変更があるかもしれないから一日一回はチェックしてね」
「はい、よろしくおねがいします」
そういって玄関にむかうと、
「あっ、ちょっとまって」
と悠人が呼び止めた。プレスルームに入ると一足のハイヒールを持って出てきた。黒い八センチのハイヒールだ。
「今日からこれをはけ」
玲奈はローヒールしかはかない。ただでさえ百六十八センチある。それにハイヒールをはいたら百七十センチを軽く超えてしまう。身長の低い男性はおもしろくないだろう。
陽介だって低いほうではないが、たぶん同じくらいになってしまう。だから仕事でもプライベートでも避けてきた。
「あまりはいたことないだろう」
見透かしたように悠人がいった。
「そうですね」
「ハイヒールは基本だぞ。慣れておけ」
「いまから?」
「そう、いまからだ」
俺様にはだまって従っておこう。さしだされたハイヒールを受け取って、足を差し入れる。
「うう」
窮屈だ。いままでゆるゆるのペタンコ靴しか履いていなかったから、よけいにきつく感じる。
「サイズはだいじょうぶか」
軽く足踏みしてみる。
「たぶんだいじょうぶ」
「十センチヒールもあるぞ。履きたくなったら遠慮なくいえよ」
そういいながら今まで履いていたペタンコ靴を紙袋に入れてくれる。
「じゃあ、失礼します」
三人に見送られて外へ出る。
「気をつけてな」
俺様は気づかいもできてらっしゃる。
やたらでかい女は人目を引く。中にはぶしつけにじろじろ見るやつもいる。居心地の悪さを感じながら、慣れないハイヒールでバランスをとる。
さて、陽介にはなんといってごまかそうか。
帰ってきて玄関にこんなハイヒールがあったらなんていうだろう。それとも気づきもしないだろうか。気づいてもだまっててくれたらいいな。そんな気分だ。
すでに新しい世界へ一歩踏み出した。もうやられっぱなしじゃない。
今に見てろよ。
不思議な高揚感があった。