文字数 1,404文字



 ちょうど処置室のドアが開いて看護師が出てきた。
「これから病室に移ります。いっしょにいらしてください」
 ストレッチャーに乗せられた玲奈が出てきた。目は覚めているようだ。首まですっぽりと毛布に覆われている。唯一外に出した左腕には点滴がつながれている。顔と手にについた血は大雑把にふかれていたけれど、端々(はしばし)にこびりついていた。あまりの痛々しさに見ていられない。
 悠人には見せられないな、と思う。こんな玲奈の姿を見たら狂わんばかりだろう。
 玲奈は陽介の姿を見ると、表情が険しくなった。
「玲奈」
 摩季が駆け寄る。
「ごめんなさい。迷惑かけて」
「今は治すことだけ考えて。こっちのことはなんとかするから」
 摩季のことばに玲奈は小さくうなづく。
「病室に案内しますね」
 看護師にいわれて、陽介が足を踏み出したのを涼太郎がさえぎった。
「なに?」
「ここでお引き取りください」
「なんで赤の他人がじゃまをするんだ」
「摩季」
 うん、とうなずいて涼太郎と陽介をおいて看護師の押すストレッチャーといっしょにエレベーターにむかった。
「おい。どういうつもりだ」
 詰め寄る陽介に涼太郎は冷たくいい放つ。
「玲奈は会社で面倒を見ます。安心してお引き取りを」
「だからなんで」
「原因はあなたですよ。わかってますよね。わざわざ悪化するまね、するわけないでしょう」
 こいつも知っているのか、どこまでしゃべってるんだと陽介は玲奈に対して軽い怒りを覚えた。
「だいたいなんだ。なれなれしく呼び捨てにして」
「うちの会社はみんなそうなので。わたしも涼太郎と呼ばれてますよ」
 陽介はむっとした。玲奈がこいつを涼太郎と呼ぶのか。許しがたい。
「ただの一社員だろう。なぜそこまでするんだ」
「大事な社員ですからね。責任もってお預かりします」
 便宜上社員としておこう。
「まさか、あんた……」
 おいおい、うそだろう。涼太郎は露骨に顔をしかめた。
「なに考えているんです? そういうのゲスの勘ぐりっていうんですよ。いっしょにするな」
 そういい捨てて涼太郎はその場を後にした
 ゲってゲスのことだったのか。俺は見ず知らずの人間にゲス呼ばわりされているのか。陽介は呆然と立ちすくんだ。
 そもそもどんな会社なのだ。従業員は何人いてどういう種類のアパレルなのだ。全員が下の名前で呼び合っているのか。自分のことを聞き及んでいるのは何人いるのか。
 何も知らない。
 陽介は愕然(がくぜん)とした。玲奈のことを何も知らない。聞こうとしたときには玲奈の心はすでに閉じていた。そして玲奈はもう自分の知らない世界を持っている。
 ああ、そうか。
 だから自分の嘘もごまかしも平然と聞き流していたのか。得体のしれない焦りに襲われる。
 一人置き去りにされた陽介に、看護師たちの好奇と憐憫(れんびん)と軽蔑の混じった目が向けられていた。ハッと気づくと、いたたまれなくなってその場を逃げ出した。
 逃げたところで、職場にはもどれない。もどったら、ついていなくていいのか、などといわれるに決まっている。アヤカのことを知っている人間も多い。自慢げにいいふらしたからだ。玲奈が倒れた原因がまちがいなくそれだと思われる。
 血の気が引いていく。世界中から責められている気がした。
 会社にはそのまま早退すると連絡を入れて家に帰った。摩季にいわれたものをバッグに詰めた。けれどまた看護師たちのあの目にさらされるかと思うと、怖気づいて病院にむかうことはできなかった。
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