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文字数 2,530文字
最初玲奈は、つき合ってもいないのにいきなりいっしょに暮らしはじめるなんて、無理があるんじゃないかと思っていたのだが、そんなことは一切なかった。はじめのころこそ、いくらか戸惑いはあったものの、そんなものはすぐに馴染んで居心地のよさすら感じるくらいだった。
だからといって、悠人が新居は分譲にしようといったときにはさすがに止めた。
「いや、ちょっと。分譲はだめでしょ」
「なんで? どうせなら買っておいた方がよくないか」
「それじゃ、わたし
「少しの間だけだ。じきに入籍するし」
「えっ? 早い、早い! わたしまだ二か月しかたってないし」
「いつなら結婚できるんだ」
「法律上は百日後だけど。そうじゃなくて。わたしまだ考えたくない」
「そうかあ。まだ早いか。俺はすぐにでもしたいけどな」
悠人はちょっとしんみりする。
「玲奈が倒れたとき、俺なにもできなかったんだ。手続きできるのは元だんな。それがすごくいやだった。だから俺が早くそういう立場になりたい」
そういうと、両手で玲奈の頬を包み込む。激甘が発動している。
「ごめん。もう少ししたら考える。っていうか、プロポーズがなくてこの話?」
「あっ、あとで指輪は用意する」
「だから、まだいいって。それは置いといて賃貸で探そうよ」
「うーん。しょうがないな。次は分譲な」
チュッと軽くキスをした。
「それよりも悠人のご両親、バツイチ女はいやなんじゃないの」
「それはないな。あの人たちも再婚同士だから」
「あ、そうなんだ」
「うん、俺が小学校三年のときに母親が再婚したんだ。十一才下の妹がいる」
「へえ、立川ってその家?」
「うん」
まだまだ知らないことがたくさんある。
結局、新オフィスで世話になった不動産屋にたのんで、新居を見つけてもらった。2LDKのファミリータイプ。あわせて家具家電も買い替えた。大型冷蔵庫、洗濯機。悠人念願のダブルベッド、二人でも寝転がれそうなソファ、四人掛けのダイニングセット。
事務所の移転とあわせて、二週続けての引っ越しで大忙しだ。その中で悠人が見つけた何冊かの本。
「公認会計士?」
「あっ、そう! 資格とろうと思って」
「あれ? ランクアップしてる」
「うん。タイムリミットがなくなったからね。じっくり挑戦してみようかと」
「やめたんじゃないのか」
「武器は多いほうがいいでしょ。ごたごたも収まったし、仕事も慣れてきたし。とれたら.futureの経理、やってあげるね」
ははっと悠人が笑う。
「きみは本当に一つ所に留まっていないんだな。ローリングストーンだ」
「落ち着きないかな」
「いや。俺はそういうところに惚れたんだ」
「ありがと」
激甘が発動する前に、玲奈は腰を上げた。
それから十か月後。玲奈と悠人がいっしょに暮らしはじめてちょうど一年。二人は上海にいた。
上海ファッションウィーク。海外初進出である。発表直後から、いままで写真しか世に出ていないEVEがランウェイを歩くと、大きな話題となった。もちろん悠人もいっしょだ。
悠人も涼太郎も摩季も、その準備にてんてこ舞いだった。とくに悠人は、ショーの最後、ラストルックで着る自分とEVEの服を作るのに心血を注いだ。
そうやってできあがった黒一色の一対の服。すべてはEVEのため。玲奈のため。自分の服すらも玲奈を引き立てるためである。
くるぶしまでのロングのノースリーブワンピース。幾重にも重なったスカートがゆるやかなドレープを描く。歩くたびに裾がひるがえってそこからのぞく白い足首がなまめかしい。
美しく鎖骨が見えるようなカッティングの襟。羽織るレース素材のノーカラージャケット。透ける腕の白さが引き立つ。
何度も何度も仮縫いをして、玲奈にフィットするようにミリ単位で直していった。
「この体型、一ミリも変えるなよ」
鬼か。それでも玲奈は悠人が自分のためだけに作ってくれたこの服が、うれしくてうれしくて袖を通すたびにくるくると回って裾を躍らせた。
いっぽうの悠人の服は細身のパンツにロングシャツ。ボタンを開けた胸元がなまめかしい。そして裾がひろがる膝下までのロングジャケット。ならんで歩くと、EVEのワンピースと呼応するように裾がひるがえる。
ほんとうにギリギリまで仮縫いをくり返して、やっと満足げに笑った。
「これでよし」
その服を着て二人はステージの袖にスタンバイしていた。.futureのショーも終盤。じきにEVEの出番だ。
ランウェイを歩くと聞いて白目をむいていた玲奈も、今日のためにしっかりとウォーキングのレッスンを受けた。
だいじょうぶ。ちゃんと悠人のとなりを歩く。悠人がギュッと手を握ってくれる。
モデルたちがステージ上に一列にならんだ。フィナーレである。摩季がポンと肩をたたいたのを合図に、玲奈はステージのセンターにむかって歩き出す。EVEの登場にいっそう大きな歓声が上がる。心臓はバクバクだ。センターから赤い靴底をひるがえしてランウェイに踏みだす。
そこでもう一度歓声が上がった。悠人の登場だ。玲奈の心臓はもうひとつバクンと鳴った。玲奈はランウェイの先端で悠人を待つ。追いついた悠人とならんでステージにもどる。だったはずが、となりに立った悠人が近い。おや? と思う間もなく悠人は玲奈の頬に手を添えてチュウと唇にキスをした。
キャーーーー!
歓声とも悲鳴ともつかない観客の声が会場中に響きわたった。
おどろいて目をむいた玲奈に、悠人がふっと笑いかけた。それが、いたずらをやりとげた子どもみたいに、あまりにも無邪気だったから玲奈も思わず頬が緩んでしまった。
はじめて見せたEVEのいっしゅんの笑顔に会場はまたも歓声に包まれた。玲奈は悠人の唇についた赤いリップを親指でぬぐってやる。
「なに、あれ? 独占欲? 支配欲? なんでランウェイでいちゃついてるのっ」
摩季が叫んでいる。涼太郎は苦笑いだ。
「行こう」
悠人が差し出した手をとって、玲奈は歩きだした。
数日後、.futureのインスタに投稿された一枚の写真。
背後から玲奈に腕をまわした悠人。それに手をそえる玲奈。二人の薬指にはおそろいのリングが光っていた。
fin.