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文字数 1,328文字



「もう潮時だよなあ」
 久しぶりに二人そろった事務所で、涼太郎が摩季にいった。
「それは玲奈もわかってるのよ。たぶん悠人に遠慮してるのね」
「なんの遠慮?」
「自分のごたごたに巻き込みたくないのよ。玲奈って悠人を崇めてるところがあるじゃない。俗っぽいことをしてほしくないんだと思う」
「崇めるぅ?」
「なんていうか、クリエイターとしての才能に惚れこんでいるというか」
「まあ、わかるような気はするなぁ」
 玲奈の悠人に対する感情が、ふつうの恋愛とは少し違うのは気づいていた。
 涼太郎と摩季とは違って、玲奈が悠人に出会ったのはデザイナーとして名をあげてからだ。素人からしたらメディアに名前の挙がるような人間は特別な存在なのだろう。
 涼太郎も金勘定や人間関係などの俗世のことは自分が一手に引き受けてきた。悠人にはそんなことは気にせずに、創作に専念してほしかった。
「今回のことはいいきっかけにはなるわね」
「玲奈はもう決めたのか」
「たぶんね。ただあのゲスだんながどうでるか」
「え? なんで?」
「あいつも一癖ありそうなんだよね。玲奈が思ったようにいくかどうか。取り越し苦労ならいいんだけど」
「そうか」
 いったんことばを区切ってから、涼太郎は続ける。
「運命なんて考えたこともなかったけど」
 現実的で合理主義の涼太郎から意外なことばが出て摩季は思わず見上げた。
「あの二人を見ているとどうもそういいたくなるんだ」
「どういうこと?」
「悠人もベッドに上がれなくなったことがある」

 彼女が出ていったあと悠人はベッドから目を背けた。彼女の匂いがして息ができなくなるという。夜になるとフローリングのラグの上でブランケットにくるまって横たわっていた。
 それでは休めないだろうと、涼太郎は寝具をすべて、柔軟剤をたっぷり入れて洗った。掛け布団やマットレスには湿るくらい消臭スプレーをかけた。部屋の中は人工的な花の匂いが充満した。
 これでどうだと涼太郎がいうと、悠人はやっぱり彼女の匂いがするという。どうやら物理的な話ではなかったらしい。
 それでも時間が立てばそんなこともなくなるかもしれないと、様子をみていたのだが軽く一か月をこえ二か月になろうかというころになっても、まだ悠人は床の上に寝ていた。
 さすがにもうだめだと思った涼太郎は、悠人を家具店につれて行きベッドと寝具一式を新調した。部屋の模様替えもして彼女の匂いを一掃した。それでようやく悠人はベッドに入ったのだった。
「そんなことがあったの」
 摩季ははじめて聞く話に驚きを隠せない。
「女の影がまったくないから、なにかあるとは思ってたけど、かなりハードだったわね」
「うん。だから玲奈に対して恋愛感情をもつのは、俺としては歓迎してるんだけどね」
「じゃあ、やっぱり玲奈待ちね」
 ガチャっとアトリエのドアが開いて悠人が出てきた。ひと段落ついたらしい。重苦しくなった空気を掃くように摩季が明るくいった。
「わたし、玲奈のところに行ってくるわね。なにか伝えることある?」
「いや」
 悠人は小さくつぶやいた。
「今日から食事が始まるのよ」
 そう聞くと悠人はパッと顔をあげた。
「最初はスープとかジュースらしいけど、順調に回復してるわよ」
 悠人の顔がほっとしたように(ほころ)んだ。
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