わたしは何も変わっていない ~伊藤美奈~

文字数 2,299文字

「安堂先生から、他の先生のいないところで、こっそり相談したいことがあると呼び出され、体育倉庫にいったところ、後ろからいきなり抱きつかれ、押し倒されたので近くに落ちていた棒(太鼓の棒らしい)で抵抗してしまいました」
涙目でそう言うと、教務主任の太川先生も教頭先生もそれ以上は詳しく聞かない(聞けない)し、私のことを嫌っていた化学の佐藤女史も涙目でウンウンと頷いて守ってくれる。
「突然のことで驚いて、気が動転していて、あとのことは、よく覚えていません」
ぼろが出るといけないので、あとはすべて、それで通している。

もうもうと石灰の白いけむりの中、散らかされた衣服を集めた時、がらがらと扉が開き、誰かが入ってくる音がした。奴らが戻ってきたのかと身体を固くしたが、「そこに誰かいるのか?」と跳び箱の向こうから顔を出したのはアンティだった。
「美奈先生、どうしたんですか?」 (見たらわかるやろ)
「美奈先生、大丈夫ですか?」(見たらわかるやろ、ボケ)
生徒や他の教師でもなく、安堂だったことにホッとした半面、「誰か女の先生呼んできます」と言われた瞬間、「まずい」と思った。あいつらは、私から誘われたって言うだろうし、写真がなくても(もしかしたら一枚くらい残しているかも)、赤江に呼び出されて一人でここまで来たことも説明しないといけなくなる。
「待って」と言おうとしたその時、「そうだ、全部こいつの責任にしたら」と閃いた。落ちていた固い太鼓の撥を掴むと、倉庫から出ようとして背中を向けた安堂の頭を、赤江たちに犯された怒りも込めて思い切り殴りつけた。多分、二回。
頭からべっとりと赤い血がでて、くたくたと白目をむいて倒れたので、死んだらヤバイと思ったけど、頭部打撲だけで命に別状はないらしい。急いで汚れた服をきて、写真を全部、鞄の中にいれて、痕跡がのこっていないのかもチェックしてから、教頭室に駆け込んだ。普段からわたしに色目を使っている教頭なら、こちらにつくという計算もあった。
警察にも呼ばれたけれど、私もプルプルふるえていたし(本当にふるえていた)、服も汚れていたし、自分で救急車を呼んだことも考慮されて「正当防衛」になった。学校始まって以来の前代未聞の不祥事で学校長は仰天。泣きながら「生徒に迷惑かけたくない」「学校を大人しく辞めてくれればそれ以上の処罰は求めない」と言ったことで、弁明の機会も与えられないまま安藤の懲戒解雇と事件の隠蔽が決まった。「隙があった私にも責任があります」と形だけ退職届を出したけれど遺留された。

アンティは、精密検査が必要なためもう少し入院するとのこと。
「最近、わたしをみる安藤先生の眼つきが変わったのは気付いていました」
「アンクラス、アンティなどと生徒からバカにされることに悩んでいました」
「教師を辞めようと思うと相談されたことがあって、その話だと思っていました」
「なんとか同僚として、先輩教師として立直らせてあげたかった…」
つける嘘はなんでもついた。「重い処罰は求めません。安堂先生は悪い人じゃない。いろんなことが重なって混乱されてただけ。先輩教師としてもっとうまく私が対応できていたら…」と泣き崩れた。その結果、警察沙汰にはせず学校の中で処理することになった。
「安堂先生が体育倉庫で太鼓のばちを踏んで転倒し、救急搬送された」
「たまたま近くを通りかかった私が救急車を呼んだ」
「頭部打撲で安堂先生はしばらく求職、その後事情により退職」
そのストーリーで話は収まった。なんでアンティが体育倉庫なんかに行ったのか、どうしてたまたま私がその近くを通りかかったのかなど、ツッコミどころ満載だけれど、誰も何も言わない。アンクラスの成績だけが上がったので、私は秋から系列のバカ女子商業科に移動になると内示を受けていたが、それもなくなった。
わかってた。教師としては安藤先生の方がはるかに上。
わたしの授業は、笑い声に満ちていて楽しいと言ってくれる生徒は多いけれど、それは単なる自己満足。安堂の授業は、教科書に頼らず、数学の面白さ、不思議さ、奥深さを教えてくれる。物音ひとつせず、全員がボソボソとした説明を食い入るように聞いている。悔しいけれど、どちらの成績があがるかは一目瞭然。
もちろん、安堂に申し訳ないと思う気持ちはある。でも、私が助かる道はこれしかない。冤罪だろうと何だろうと、お互い何の証拠もないし、多少の矛盾も「混乱していた、覚えていない」でクリアできる。流石にあいつらも、自分から犯罪行為を吹聴することはないだろう。後から安堂が何を言っても、逆切れ、ウソ泣きしてでも突き進むしかない。

いまも、ひとりになると頭の中にリプレイしてくるあの体育倉庫でのシーン。もうもうと舞う白線の粉、跳び箱、高跳び用のマットレス、スカートをまくり上げられ、ストッキングを破られ、下ろされ…、舐められ、吸われて、揉まれて…。
「やめて、やめなさい。安堂先生。自分が何をしてるかわかってるの?」
いつの間にか緑川や青野ではなく、アンティに置き換わっている。そのうち、本当に安藤にレイプされたのではないかという気持ちになってくる。いや、わたしは安堂に呼びだされて、押し倒されて、犯されたんだ。そうだ、喉の奥にもあそこにも、お尻まで無理やり広げられ突っ込まれたんだ。
でも、わたしは何も変わっていない。私はそんなに弱くない。
より強くなったミーナ先生の第二章の始まり。三日後に開かれる卒業式でも、例年通り司会を任されている。今年はスーツを辞めてあでやかな和装にしようか。ショックのかけらも受けていないことを、あの三人組にも見せつけてやる。
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