レイプ事件に巻き込まれる ~安堂洸太郎~

文字数 2,424文字

底冷えの寒さがぶり返し、霜が降りた京都二月土曜日の夕暮れのこと。
前年度にスタートした国公立大学の前・後期試験の分割と、その年から始まった大学入試センター試験の影響で、教師・生徒ともに緊張を強いられた受験日程がようやく一段落し、熱量の乏しい教師である私も、ほっと一息をついたところでした。
コンビニで缶コーヒーを買い、校庭側の裏門から入ったところで、コンクリ―ブロックの屋外体育倉庫からでてくる男子生徒の姿が見えました。広い校庭を挟んだ遠目の位置から「問題児三人組(赤江、青野、緑川)」だとわかりました。勉強もスポーツもでき、体格も見栄えもよく、それぞれ私立病院や府会議員、華道の家元の息子という鼻もちならない奴らですが、なかでもリーダー格である赤江は、気さくで、誰にも分け隔てなく、女子生徒だけでなく口うるさい先生からも人気がありました。
普段であれば、生徒の行動など気にも留めないのですが、その日は授業もクラブ活動も休み。彼らは高校三年生で、それぞれに進学先も決まっていますから、10日後の卒業式まで学校には出てこないはずです。朝晩はまだ霜が降りるほどなのに、カッターシャツ一枚で、ブレザーを肩にかけているのも変です。あんなところで何をしていたのでしょう。
生活指導担当の体育教師であれば、「おい、お前ら、こんなところで何をしている」と誰何するところですが、そんな胆力も指導力もありません。放っておこうかと思ったのですが、隠れてタバコを吸っていたのであれば小火になると困ります。間をおいて、彼らの姿が見えなくなってから、ガタピシと建て付けの悪い開き戸を開けて中に入りました。

石灰の朦々とした薄暗い倉庫の中に、満員電車の後のような生温かい空気と、ムッとした饐えた動物的な臭いが鼻につきます。乱雑に置かれたカラーコーン、ハードル、球技用品などの隙間からガサゴソと音がして、奥に誰かがいるのがわかりました。
「誰かいるのか?」と跳び箱から覗くと、体育マットの上で、息絶え絶えになっている美奈先生を見つけました。アイボリーのセーターで胸を隠していますが、細い脚はそのままお尻につながっています。いかに鈍な私でも、そこで何があったのかすぐにわかりました。
自分の手には負えないと判断した私は、目を背けながら着ていたダウンコートを脱いで、覆うように身体に掛けました。あられもない美奈先生の姿に、慌てていたのだと思います。何か場違いな言葉を一言、二言かけた気がするのですが先生はうつむいて黙ったままでした。「誰か女の先生呼んできます」と言って、外に出ようと背を向けてドアに向かったところ、後頭部に「ガツン」という大きな衝撃を受けました。「しまった、あいつらのほかにもまだ犯人がいたんだ」と思ったのも束の間、もう一度大きな火花が散り、目の前が真っ暗になりました。

それからどれくらい時間が経過したのかわかりません。
遠くに救急車の音が聞こえ、また気が遠くなり、次に目を覚ましたときは、薄青のカーテンに覆われていました。視界も思考も記憶もぼんやり朦朧としていたため、目を閉じると、「安堂さん、安堂さん」と大きな声で頬を叩かれ、もう一度目を開けたときには白衣のお医者さんと看護婦さんがいました。
「あぁ、病院にいるのか」
消毒液の臭いと共に、低糖の缶コーヒー、小銭が足りずに一万円札、コンビニ店員のうんざり笑顔に謝って…と、断片的に少しずつ直前の映像記憶が戻ってきます。美奈先生のあられもない姿と同時に、殴られた後頭部がズキズキと痛みます。
次に目を覚ますと、事務長と教頭先生と教務主任(太川先生)がいました。美奈先生がどうなったのか気になったのですが、怪我のためか、麻酔のためか、口を開くことができません。次に目覚めたときには太川先生(父の後輩でとても良い人)だけが座っていて、ようやく「美奈先生はどうなりましたか、大丈夫でしたか?」と聞くことができました。
その問いに驚いたような顔をして、「何も覚えていないのか」「安堂先生がそんなことをするとは思えないんだが」と、ぽつりぽつりとした断片的な声が聞こえました。
その言葉の意味が理解できないため、目を閉じて単純憑依しました。

ぶるぶる震えながら校長室のソファに座っている美奈先生の姿が見えます。となりには教頭先生、数学主任の太川先生もいます。着衣されているものの、白いセーターも薄汚れて、涙でお化粧も剝がれています。
「安堂先生から相談に乗ってほしいことがあると呼びだされて、そしたら急に抱きつかれて押し倒されて…、びっくりして、それで近くにあったもので抵抗したら、気が付いたら、安堂先生が倒れていて…」
「それで」
「安堂先生が、そのまま動かなくなって…」
「えっ?」
場面は変わり体育倉庫の中。これは太川先生の頭の中です。
後頭部をべったり赤く染めながら、血だまりの中で舌をだらしなく伸ばしたまま失神している自分の姿をリアルに見るのは何とも言えない気分です。わたしのダウンジャケットは地べたに放置されたままですが、それ以外はなぜか整理整頓されています。
「安堂先生、安堂先生」
「事務長、すぐに救急車を…」
「はっ、はい」
「先生、先生、安堂先生」
この病院の廊下で、教頭先生が美奈先生の追加の話を太川先生に伝えています。
それによると、私が体育倉庫に美奈先生を呼び出してレイプ(美奈先生曰く未遂)しようとし、先生は無我夢中で抵抗して近くにあった太鼓のばちで私を殴ってしまった…、という話になっていることがわかりました。
でもまだその時は、丸刈りにされたズキズキする頭で、「へぇ、そんなことになってるんや」「美奈先生も混乱してはるんやな。きちんと話をして、誤解を解かんとあかんな」くらいに思っていたのです。
ただ、私も先生の裸を目にしていますから、あれこれ説明するよりも、自分であの日のことを冷静に思い出していただく方が良いだろうと、憑依のために目を閉じました。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み