原因不明の異常睡眠による入院患者 ~西條看護主任~

文字数 1,867文字

お名前は、安堂洸太郎さん言います。
2月20日の寒い日に救急搬送され脳外科に入院。本人さんからの強い御希望で一時退院されたんですけど、3月20日からこの神経内科に再入院となりました。痴呆症やパーキンソン病など中高齢の方が多いこの病棟では珍しい、うちより六つも年下の24歳の若い男の方です。若々しいようでもあり、老成しているようでもあり、病状も含めなかなか興味深い患者さんです。
申し送りは、「学内で転倒、頭部を強打」となってましたが、救急外来にいる同期に聞くと、こけてできるような傷ではなく、校内暴力に巻き込まれたんやないかとのこと。「ええとこのお勉強できる子がいく私立の進学校やのになぁ~」「先生もたいへんやなぁ~」って、患者さんのうわさ話は、あんまり行儀ようないんですけど…。

再入院になった理由は「睡眠異常」です。入院中はすることありませんから、日中でもうとうとしてはる患者さん多いんですが、安堂さんは傾眠ではなく突然、断続的に昏睡に近い状態になります。前の入院の脳外科では日に数回、時には五時間以上になることもあったようで、「脳の高次機能障害の可能性が高い」と考えはったんも当然です。
導入されたばかりの最新の脳波検査で、昏睡時には深睡眠に近い波形が続くことがわかりました。耳元で大きい声だして呼びかけたり、ほほを叩いたり、ゆすったりしましたが脳波に変動はなく、覚醒もしません。脳の血流量が減少して起こる失神やけいれん発作でもなく、夜間には通常の睡眠波形が表れます。
「何らかの要因による突発的な昏睡症状」やいうことだけはわかったんですけど、その発生回数や頻度、時間に規則性はなく、参考になるような症例もないため治療方針も立てられません。脳外から難しい患者さんを押し付けられた井上先生も、どうしたもんやろと頭を抱えておいでです。
とはいえ、看護婦にとっては申し訳ないほど一つも手のかからない穏やかな患者さんです。他の障害とは違い、記憶力、判断力、理解力などの知的分野の低下は見られず、いっつも見たことのない記号がぎょうさん出てくる問題を、赤いボールペンをくるくるしながら、ニコニコ楽しそうに解いてはって、「見てるだけで目ェが回りそうです」というと恥ずかしそうにしはります。

唯一と言ってよい問題は、お風呂です。衛生上、患者さんには週に二回以上、お風呂に入ってもらいます。でも、安堂さんは入浴中に突然、昏睡になると溺水の危険があるとのことでまだドクターから許可が下りていません。それもしゃあないことです。オペ直後や寝たきりなどで入浴が難しい患者さんには、看護婦が清拭をお手伝いしますが、できるだけ身体を動かしてもらうように、できる方はご自分で身体を拭いてもろてます。
安堂さんの場合、能力的にはお一人で身体を拭くことができます。ご本人も「自分でやりますから」と言わはるそうですが、いつもタイミングが合わず、「気づいたときには…、あぁ…、またも昏睡」と、そんなことが二度ほどあったそうです。指を折ると再入院されてから五日目になります。婦長は「今日中になんとか…、あれやったらこっちでちゃちゃっとやってしまおか…」とお考えのようですが、若い男の人ですし、眠ってはる間に看護婦が無断で裸にして、あっちもこっちもこねくり回して、勝手にお身体拭くわけにもいきません。
「そうする言うても、とにかく、ご本人さんにお話だけでもしてみましょか」
そう言うて病室を訪ねると、ベッドの上で英語のようでちょっと違うような難しい本を読んではりました。「ご迷惑おかけして…」と大層に恐縮され、「いえいえ、そんなそんな、ちっとも~」いう柔らかいやり取りがあった後、「いまから自分でやります」と言われたんで、これ幸いと清拭の準備に走ったんです。
それが…。
「あぁ~」
ほんの一・二分、いやカーテン閉めるんに目を離したんは30秒もなかったかもしれません。お湯の入った清拭用の青いバケツを、身体を傾けながら急いで持ってきてくれた佐久間と目を合わせて笑うてしまいました。
「どちらかが、お話し相手をしてればよかったですね…」
「そうやね、それより、ここは特別室やからステーションからお湯汲んでこんでよかったわね」
顔を合わして言うてみても、後の祭りです。でも、この状態で安堂さんに濡れタオル渡しても、となりで看護婦がついて見てないと、裸になってそのまま昏睡ということになりかねず、同じことのように思います。
「やっぱり、お一人ではまんだ難しそうやなぁ。こっちでお手伝いせんとなぁ」
「そうですよね」

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