まったりと妖しい京ことば  ~佐久間看護婦~

文字数 2,251文字

「佐久間さんは、午後から主任と安堂さんの担当お願いね」
朝の申し送りで婦長からそう告げられたとき、背筋がぞくりとしました。
主任と一緒になる緊張からなのか、もう一度、安堂さんの身体に触れられる興奮からなのか、そこにまた二人きりになったら…、という妄想も加わって、危うく入院受けの患者さんを外来まで迎えに行くのを忘れるところでした。
一昨日は西條先生との初めてのお泊り。いつものファッションホテルではなく宝ヶ池の高級ホテルということもあり、身体がうずうずしていて勇んでデートに臨んだのです。
でも盛り上げようと頑張れば、頑張るほど気持ちは萎えていき、失望と徒労で早々に眠ってしまいました。その極度の消化不良、欲求不満のまま今日の安堂さん担当です。

主任は朝から会議でおられず、婦長からは二時スタートと言われていました。
遅れてはいけない、何か準備することはないかと、昼休憩(遅番)を早めに切り上げ、おトイレに行ってリップを塗り直し、大きく深呼吸をしてから10分前にノックしたのです。
でも、ドアを開けると中からは主任の楽しそうな笑い声が聞こえてきました。
「あっ、遅くなって、すいません」
「佐久間さん、おおきに。二時からなんやし、まだ大丈夫なんよ」
どんなお話をされていたのか、物静かで遠慮がちな安堂さんの声は明るく、主任もいつもの業務中とは思えないほどはしゃいで声を上げて笑っています。どこか、なにかいつもと違う違和感と仲睦まじい二人の間に入っていけないような疎外感を感じます。
「ほしたら、佐久間さん、バイタルチェックお願いね」
「はい、わかりました」
バトンタッチをすると、何の説明もなく部屋を出て行ってしまいました。
「この間は、清拭の時に眠ってしまって、すいませんでした」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
脈を測るのに手をとったところ、左手の甲に絆創膏が貼ってあるのが目に入りました。
「ここ、どうされたんですか?」
そう聞いた瞬間、前回のことが強烈にフラッシュバックします。
「あぁ、何でしょうね。目が覚めたら何かに強く擦られたように赤くなっていて、主任さんにお薬を塗ってもらったんですけど…」
「そっ、そうですか…」
冷静を装ったものの、顔がほてり、橈骨動脈に置いた指が震えて上手く脈が取れません。腕時計を睨み、カウントに集中しようとしますが、穴の広がったストッキング、太い二本の指、固い陰茎が目の前にチラチラし、精液の苦さやそのときの鼻に抜けた動物的な匂いまで蘇ってきて何度もやり直しです。
「110の63ですね」
長い沈黙からようやく顔を上げた時、安堂さんは目を閉じていました。
「安堂さん、安堂さん」と慌てて声をかけますが、手を握っても、ゆすっても反応はありません。コールしようか、指示を仰ごうかと思った時、ドアが開いてタオルを手にした主任が戻ってこられました。
「すいません。バイタルチェックしてるときに、急に昏睡に入られて…」
「それはしゃあないわ、そう言う症状なんやし、前回の時もそうやったし」
この昏睡はスイッチが切れるように意識がなくなること、昏睡中は、本人的にはまばたき程度の時間経過のイメージしかないこと、最近は午後二時から四時頃と時間が決まっていることなど記録は読んでいたのですが、前回の時の状況を直接お聞きします。
「今日、私は何のお手伝いをすれば良いでしょうか」
「そやな、その前に、あれからもう三日ほど経ってるし、まずは清拭しよか」
清拭タオルを取ってこられたのは、この時間帯に昏睡するのがわかっていたからでしょうか。カーテンを閉めベッドを水平に戻し、前回と同じように肩から浴衣を外して裸にしていきます。ブリーフに手をかけると、足まで降ろして浴衣と一緒に洗濯用に籠にいれます。前回と違うのは勃起していないことです。
「今日はおおきゅうに、なってないんやね」
「そうですね」
主任がその部分を凝視する中、足を広げて肛門の穴から陰部の周り、また陰茎そのものを温かいタオルで丁寧に清拭していきます。口から心臓が飛び出しそうなほどの動悸から解放されたばかりで、お願いだから勃起しないで…と願っていました。
「こないだ、佐久間さんは『この間勃起したんは脳が動いてなくても、皮膚の刺激は脳に伝わってんのやろか』って言うてたね」
「あっ、はい。そうかな、って思ったんですけど、違ったようですね」
「そうかいな? まだわからんよ。そやし今日は、この間みたいになんで昏睡中に勃起するだけやのうて、射精したりするもんなんか、もう一回、佐久間さんに確かめてほしいと思て…」
「えっ?」
最初は何を言われたのかわかりませんでした。
でも、はっきりと聞こえました。思考が停止したまま「この間みたいに」「もう一回」「射精」「佐久間さんに」いう言葉が耳に繰り返されて、ハサミで下着を破いたり、その穴から指を入れたり、亀頭を口に含んで痙攣している姿が頭に流れ込んできます。言葉の意味を確認することもできず、恐怖と羞恥で背筋が強張ってきます。
「確かに、皮膚の痛覚や温覚はないのに、性感だけはあるいうのは変やし。看護婦としてその疑問を医学的に追求しようとしたんは当然のことやろし…」
主任は、こちらに背を向けたまま、タオルで目元を丁寧に拭っています。
「もちろん、そのために、あんないやらしことこんなことしてたんやろ。なぁ、佐久間」
いつもと変わらない優しいニコニコ笑顔で振り返ってそう言われたとき、漠然とした違和感の理由に気付きました。
すべて、まったりとした妖しい京ことばなのです。
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