西條看護主任と二人で清拭することに ~佐久間看護婦~

文字数 1,984文字

「ふぅ~」と大きなため息が一つ。
西條主任と二人きりになると色々な意味で緊張します。
婦長さんに呼ばれて、どっかいっていただいて、ほっとしました。
最高級の白いタオルのように清潔、清楚でふんわり柔らか。コールや急変が重なってもイライラしたり不機嫌になったりするところも見たことがありません。呆けたお婆さんの話を聞くのも、興奮している患者さんをなだめるのも上手。それもあって、看護婦の休憩室には「西條主任さんに…」とご家族さんからの京都銘菓が切れることはありません。
白い看護帽に一本のブルーライン。この神経内科が立ち上がるときに、婦長が自分の右腕としてガン病棟から、三顧の礼で引き抜いてこられたと聞いています。やっかみゼロというわけではありませんが、目標、理想と憧れる若手看護婦は少なくありません。
でも私は、正直ちょっと、いやかなり苦手です。
普段は誰に対してもNHKの朝のニュースの女子アナウンサーのようなきれいな標準語ですが、たまに「〇〇しはる」「お豆さん」といった京ことばの言い回しがポロっとでて、周りの人が「ほわっ、ぽっ」となります。自意識の高い女優さんのサングラスと同じで、わざとチラ見せしているようで嫌味に感じます。

最初はそうではありませんでした。
というより、わたしは、主任さんの一番のファンでした。
看護婦の世界は「白衣の天使」とは名ばかりで、女のどろどろした人間関係でできています。「褥瘡は看護婦の恥です」「病気ではなく人を見なさい」「全人的看護とは~」などと立派なことを言う先輩でも、自分のミスを後輩のせいにしたり、ドクターの前でだけ声のトーンが高くなったり、痴呆症のお年寄りに辛く当たったりと、嫌なところばっかりが目につきます。休憩室で「あ~ぁ疲れた、誰でもええし男がほしい~、突っ込んでお掃除して~」と笑う、ネジの飛んだような人もいます。
そんな現実を目の当たりにして「看護婦になるのやめようかなぁ~」とウンザリしていた付属短大三年の時、実習で担当してもらったのが西條主任です。いまから四年前、その時はまだ鈴本さんと言いました。いまでも院長、副院長、教授をはじめ、偉い先生方はみんな「鈴本さん」と旧姓で呼びます。
高い看護技術、深い医療知識、誰に対しても変わりない優しい言葉。患者さんが急変した時も、慌てる若いお医者さんに偉そうにならないよう丁寧な言葉でテキパキと指示されていて、理想とする看護がそこにありました。
高校の時、剣道部のキャップテンをしていたので、年下の女の子からたくさんラブレターをもらいました。わたしはそんなレズっ気はなく恋愛対象は男子だったのですが、いいなぁと思う男子からはいつも友達扱いで、恋愛になることはありませんでした。
でも、その時はじめてその後輩の女の子たちの気持ちがわかりました。透き通った優しい声で「佐久間さん」と呼ばれるたびに胸がときめき、勤務表を見て夜勤が一緒だと、その日が指折り待ち遠しくなりました。

そんな憧れが変わるきっかけになったのが一年前の主任の結婚です。
主任は派閥を作るような人ではありませんが、東京研修に同行させていただいたり、夜勤明けに食事をご一緒したりと、周囲からも主任のお気に入りだと思われていて、自分でも「一番弟子」を自認していました。同じお風呂にはいって、白いお餅みたいなプルプルの大きな胸も見ましたし(恥ずかしかったけど、わたしも見られた)、夜はお布団を並べて眠った仲です(緊張とドキドキで寝られませんでした)。
それなのに、そのときも「いま付き合うている男の人はいいひん」「彼氏もながいことおらんなぁ」と嘘をつかれていましたし、都ホテルで行われた豪華な結婚式にも招待されませんでした。婦長が、「白無垢もドレスも女優さんみたいに綺麗やった」と自慢していましたが、写真も見せてもらっていません。
もちろん、表情や態度に出すほど子供ではありません。仕事上では親しく、表面的には仲良く接しています。それに最近はその留飲をさげる、〝うふふ〟なことがあるのです。

昨年10月に大学病院の創立記念の立食パーティがあり、整形外科の西條先生(主任のご主人)と近くのテーブルになりました。外科系ドクターは、女の子大好き、お遊び大好きというワイワイなタイプが多いのですが、西條先生はポツンとお一人でした。
同じ病棟で一緒に働いていることを隠して、「先生の奥様って、きれいで優秀な方なんですってね」と話しかけました。すると、「あぁ、どうも。お世話になってます」と言いながら、どちらかといえばウンザリに近い表情になりました。その時「この人も私と一緒だ」と、ピンとくるものがあったのです。ことわざでいえば、「同病相憐れむ」または「敵の敵は味方」というところでしょうか。
そんな西條先生とわたしが仲良くなるのに、長く時間はかかりませんでした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み