数学教師と精神憑依 ~安堂洸太郎~

文字数 1,988文字

私が自分の不思議な能力に気付いたのは、小学六年生の時の「自分のふと心に浮かんだことが人に伝わってしまう」という事件がきっかけです。ちょうど、その頃にお母さんがガンになって、余命半年だと聞かされてショックを受けていたので、それがこの特殊能力が開花するスイッチになったのかもしれません。
今から思うと、それは私の精神憑依の能力が突出して強いことから生まれた、副作用とも言うべきものだったのですが、そんなことは子供の私は言うまでもなく、軽度の単純憑依者だった父にもわかりません。自分の思考が思念波として無意識に周囲に伝播してしまう「サトラレ」という架空の病を描いた漫画がありましたが、いくつか設定に違いはあるもののも、それに近い状態です。誰にも相談できず(相談しても、偶然だ、妄想だと笑われてしまったでしょう)、強い恐怖でしかありませんでした。

それ以来、喜怒哀楽の感情を押し殺して生きてきました。
普通の小学校に通っていましたが、イジメを受けるでもなく、友達もなく恋人や恋愛など遠い世界の話です。同じ町内の幼馴染以外で、僕の声をきいたことがある、話をしたことがあるという記憶(内容を含め)がある人は少ないでしょう。もともと人見知りの引っ込み思案で、軽度の小児麻痺によって左足が不自由(筋力が弱く、膝関節が内側に曲がっている)な私にとっては、それほどの苦痛はありませんでした。父が公立高校の数学教師だったこともあり、突発的な思念が生じないよう、小学校でも、中学高校でも休み時間は、ひとり教室の片隅で算数や物理の問題を解いていました。
面白いもので、人間は喜怒哀楽や他人に対する好悪を抑制すると、比例するように自己顕示欲も将来の夢や希望も小さくなります。左右にアンバランスに揺れながら、ゆっくり足を引きずるようにして父と同じ京都大学の数学科に進み、その定年退職と入れ替わるように高校数学教師になりました。その翌年、父に胃ガンがみつかり、余命僅かとなって、病院ベッドの脇で初めて祖先からの口伝を聞いたのです。
その時に、ようやく「憑依」という言葉と特殊能力にたどり着きました。

父は「教え方の上手い数学教師」として有名でした。
数学教師は、子供の頃から算数が得意な人、当たり前に数学的な思考のできる人の集まりです。一方の数学が嫌いな生徒は、頭が悪いわけでも、勉強が嫌いなわけでもなく、数学の着想・着眼点がわかっていないのです。
数学は概念や関係性の学問です。例えば、「100円の一割引は?」と聞くと「90円」と答えますが、続けて「90円の一割増は?」と聞くと、「100円」と反射的に答えてしまいます(答えは99円です)。有名な〝つるかめ算〟でも、瞬間的に「連立一次方程式ね」と瞬時に数字やXやYなどの記号に抽象化できる子もいれば、高校生になっても鶴の足と亀の足のイメージから逃れられず、指を折る子もいます。
それは頭の良し悪しではなく、思考回路の問題です。公式や解き方だけを覚えさせようとするから、「家光の次の四代将軍は家綱? 家宣? どっち?」と同じように、「三角形の内角の輪は150度? 180度? どっちだったかな?」「ルート2は、ヒトヨヒトヨニヒトミゴロだっけ、ヒトナミニオゴレヤだっけ…」とそこから先の思考ができなくなるのです。
三角形という形を知らない子供はいません。
「底辺の角度が直角(90度)同士だったら、頂点はできないよね」
と教えてやれば、三角形という形状やその特徴が数学的にイメージできるはずです。
数学においては「何がわからないのか、わからない」というのは、生徒ではなく教師側なのです。
父の単純憑依を使えば、それは一目瞭然だったでしょう。ほとんどの子は「そんなところで詰まっているのか」というもので、そこをトンと叩いて外してやれば、ほとんどの子供は水が高いところから低いところに流れるように、すらすら問題を解くようになります。
私も、数学が不得意な生徒が、どこで詰まっているのか手にとるようにわかります。それは一人ひとり違います。加えて、私は「単純憑依者」ではなく「精神憑依者」です。
解き方を教えなくても、「微積の関係って、そういうことなのね。めっちゃオモロイやん」「この定理、考え付いた人、すごくね? 天才やん」「もしかして、俺も、数学の素質あるんじゃね」と、自分で気が付くように仕向けることができます。
同じ回答にたどり着いても、「教えてもらった」と「自分で気づいた」には、天地の差があります。特に数学はそうです。「あっ、わかった!!」というブレイクスルーの成功体験は興奮と自信につながり、解を求めることが、手掛かりのないまま五里霧中を彷徨う「苦痛」から、光に向かって進む「快楽」にかわるのです。そうなると、こちらかあれこれ言わなくても、子供たちは次々と自ら新しい扉を開き始めるのです。

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