序二 精神憑依者の独白  

文字数 1,996文字

私は一人っ子です。父にも兄弟はおりません。この憑依が遺伝的能力だとすれば、私はその最後の一人だと言えるでしょう。
ただ、この話を聞いたとき、さほど驚きはありませんでした。どこか、ほっとした気持ちの方が強かったと言えるかもしれません。なぜなら「ぼくは、どこかがだいぶん変だ」ということは、小学生の頃から気付いていたからです。
お昼休みに空を見て、ふと「お天気、悪くなりそうやな」と思うと、周りの友達が「なんや、雨降りそうやなぁ」「傘持ってこなかったのに」と口々に騒ぎ出します。給食の献立を見て、「僕は給食のカレーはあんまり好きとちがうのや(近所の食堂のカレーしか食べられない)」と思うと、「今日はカレーかぁ」という失望の声が上がり、帰り道で「新しい女の先生、おっぱい大きいなぁ」と思うと、周りの同級生男子もにやにやとスケベな話になるのです。
その一つ一つは、特段、不思議なことではありません。黒い雲が迫ってくれば夕立を心配するのは当然のことですし、思春期に入る男児にとって女性の胸への興味は正常の証です。偶然とも呼べないもので、ほとんどの人が、同じような経験をしているでしょう。「カレーは人気メニューのはずやのにな? 嫌いな奴も多いんかな?」という程度の認識でした。

事件が起きたのは、小学校六年の体育の時です。その日は男子・女子に分かれ、輪になって踊るフォークダンスでした。男性の方が女性よりも背が高いと言うことを前提に作られたオクラホマミキサーです。私は背が低く(いつも前から二番目)、左足に障害があり身体が傾いているため背の高い女子は無理に屈まなければなりません。バランスが悪くふらふらするので引っ付きすぎると、身体が当たって女子に迷惑をかけます。それでも、当時の担任のおばさん先生は、さもそれが正しい情操教育であるかのように、「きちんと手をつなぎなさい」と、何度も手をパチパチ叩いて、何度もうるさく言うのです。
同じクラスにゆうちゃん(加藤ゆり子)という幼馴染がいました。カレーの美味しい(何でもおいしい)近くの食堂の娘さんです。小さいころはよく一緒に遊んだのですが、五年生くらいから急に胸が膨らんだお姉さんになって、距離が開きました。マンガのヒロインみたいに目がぱっちりと大きく、性格も良くて、他の男子からも人気がありました。今から思うと、僕もゆうちゃんのことが好きで、仲良しの幼馴染が遠くに行った気がして、そんな境遇にどこか嫉妬していたんだと思います。

ゆうちゃんが近づいてきます。軽快で牧歌的な音楽とは反対に、私の手は緊張で汗ばんでいます。次の次になったとき、突然、「ゆぅちゃんの手は汗ばんでいるから手をつなぎたくない」と強く思ってしまったのです。思春期の心理的防衛機制でしょうか。まだその手に触れておらず、ずくずくに汗ばんでいるのは自分の掌であるにもかかわらずです。
その思考は瞬く間に伝わり、一人の男子が「加藤さんの手、ぬるぬるで気持ち悪い」と口に出してしまい、幾人もの男子が同意するように笑ったのです。ゆうちゃんは泣きだし、体育の授業は中止、女子と男子の大げんかになりました。私は、その蚊帳の外にいたのですが、数人の男子が先生や他の女子にこっぴどく叱られているのをみながら、「これは僕が原因だ、僕の責任だ」と震えるような恐怖とともに確信したのです。

ゆうちゃんは、翌日、学校を休んだと記憶しています。ごめんなさい、ごめんなさいと思いながら、何もしてあげられませんでした。その日以来、慣用句的な「心を閉ざす」ではなく、他人や事象に対して、好悪や喜怒哀楽をふくめ、「ふと思う」「脳裏に浮かぶ」という無意識の心の変化さえ生まないよう、細心の注意を払って生きてきました。
それは、50歳になった今も変わりません。
その代わりに、憑依能力をコントロールし、意図的に使うことができるようになりました。単純憑依・精神憑依、個人憑依・集団憑依共に自由自在です。
もうおわかりでしょう。それが塾生の成績が上がるカラクリです。
小さいながらも学習塾の経営は安定しています。それだけでは、せっかくの特殊能力がもったいないと考える人がいるかもしれません。この「精神憑依」という特殊能力を使えば、人のプライバシーや思考を盗み見るだけでなく、他人を思い通りに動かすことができます。集団憑依を使えば、企業家や政治家になることも簡単ですし、総理大臣やそれ以上の歴史上の独裁者になれるかもしれません。もちろん、お金にも女性にも全く困ることもありません。さぞかし面白おかしく、自在の人生を送ってきたのだろうと思われるでしょう。
しかし、そうではありません。
私には妻も子供もいませんし、彼女もいません。
それは、ある事件をきっかけに性的不能者(インポテンツ)となってしまったからです。
思えば、それがこの奇妙な性癖のすべてのはじまりなのです。

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