張子・胴師・イカサマ師

文字数 3,720文字

どうにも古い話で申し訳ありません。
まだ俺がこっちに来る前、香西の親父に仕えていた時分のことを、今更ながらお話ししない事にはこの顛末に繋がらないんです。

俺はその頃出入りしていた盆中でゴトを働いた(イカサマをした)ことがありました。
まだ駆け出しで器量もないくせに、どうしてもまとまった金が必要だったんです。約(※1)で数度試して、一度もバレなかったのをいいことに、何度か繰り返して稼ぎました。

……それで、その日は顔を知らない白髪の老人が胴を務めていました。今にして思えば白髪ながら背筋も伸びて、本当は見た目よりずっと若かったのかもしれません。所作のひとつひとつが柔らかく優雅な人でした。ですが、良く言えば優雅、悪く言えば手切れの悪い、というのがその時まだ若かった自分の正直な印象でした。
居合わせた若い張子たちが苛立っていたのも事実です。今よりももっと若衆が多かったあの頃の盆は、とにかく勝負を早く決めて、次の勝負へと行きたがっていました。テンポ良く次々に勝負が決まっていくことが気持ちの良い、いい盆だとみんなが信じていました。もちろん合力たちも急かすようなことは一切しませんが、本心では胴師にもっと素早く入れてもらって、一回でも多く勝負をこなしたいと思ってたでしょう。仕切っている側からすれば、やればやっただけテラ銭が入るんですから。

歌い違(※2)こそ出ませんでしたが、その老胴師の緩慢な手元は、盆にいる全員の目をひきました。張子ばかりでなく合力も、皆の意識が普段以上に胴師に集中している。その分だけこちらへの目配りが減っている気がしたんです。この相手なら誤魔化せるだろうと踏んだ俺は、2、3度、隙を見て「吹き替え」をやりました。

……後で聞いた話ですが、その胴師は長く病気で伏せっていて、療養して復帰したばかりのところだったらしいです。勘が戻っていない上に、盆から離れているうちに世間の方がせっかちになっていたんでしょう。あの頃は何もかも、合理的に早く回ることが良いとされる、そういう時代の始まりでした。だから余計にあの胴師の動きが緩慢に見えたんだと思います。
数回勝負したところで盆守が痺れを切らしているのに気付いた様子の胴師が、少し早いが胴を洗(※3)と言って座を立ちました。次の胴師が入る前に自分も用足しに行こうとして廊下へ出ると、控えの座敷へと移動するところだったんでしょう。その胴師も廊下へ出てきて、俺の方へと歩いて来ました。そのほとんどすれ違い様に言われたんです。

「これっきりにしておくんなさい。香西の親父さんには言わんでおくから」

それだけ言って、その人は去っていきました。
……あの日、20人近くの張子が盆茣蓙を囲んでいた。胴師からしたら20対1のことです。それでも俺のしたことはすっかり見抜かれていました。だけど、あの人は俺が香西の子飼いの若衆だと知ってて、大事にしないように情けをかけてくれたんです。それ以来、ゴトはしないと決めて、そこの盆には顔を出していません。それから程なく香西の親父が病気で伏せって、組は解散になったから自然と賭場から足が遠のきました。



それで、10日ばかり前のあの日です。
襲われたあの日、俺は川向こうの辰盛会が仕切ってる賭場にいました。祝い事があったとかで、約盆ながらいつもより客も多かったと思います。ざっと見たところ盆茣蓙の周りに15人くらい、胴師と合力を抜いたら12、3人ってとこです。半分くらいが素人衆、見知った顔も数名いました。そこで紛れて勝負するうちに盆守から声をかけられたんです。
予定していた人が来られなくなって、胴師が足りないから入らないかと言われました。あまり気乗りはしなかったんですが、幾らかつけるからと言われて、1時間だけならってことで応じました。それで勝負してる時に、張子の中に知ってる顔がいたんです。俺が以前、ゴトを働いた盆で合力をしていた人でした。あの老胴師からやんわりと釘を刺された、あの時盆にいた男です。
あるいは俺がそのまま居続ければ、他の客に紛れて気付かれなかったかもしれません。もとより1時間だけと断ってやっていた胴ですから、早々に切り上げました。そのまま盆茣蓙には戻らずに帰ることにしたんです。それがかえって疚しいような素振りに見えたんでしょう。通りに出てタクシーを拾おうとした時、シルバーのワンボックスが目の前に停まって、後部座席に引き摺り込まれました。後はお定まりの河原です。

ゴト師が盆を荒らしに来たと判断したんでしょう。高速道路の架橋下で、三人がかりで殴る蹴るのあと地面に押さえつけられて、右手の指を逆折りにされました。河原に落ちてたブロックを左手の甲に打ち付けながら、その男が「香西の名前に泥ぉ付けよって。どうせお前んごと依存症(病み付き)は、来るな言うてもまた来るだろう。そんなら舐めた真似二度と出来んようにしてやる」って言いました。

……あちらさんにしてみれば、此処で会ったが百年目だ。
香西の親父は北陸どころか「博徒をしていたら知らん者はおらん」と聞かされていましたから。その子分が他所様の盆中汚したんです。身内はもちろん、親父を知る人からすればとんでもない事です。あの合力も親父を知っていたのでしょう。だから二重に俺を責めていた。一つは他所様の盆でイカサマをしたこと、もう一つは香西の名前を汚したこと。どちらにしても最低の行為で、許されることじゃない。
もちろん、あの日以来一度もやっていません。でも疑われるだけのことを過去にしたことは事実だ。盆荒らしは殺されても仕方ないのはわかっていました。いくらあの胴師が見逃してくれたところで、合力たちも俺が怪しいことは薄々感付いてはいたんだと思います。それを放っておいたらあちらさんも顔が立ちません。
もし自分が合力だったら、盆を荒らすゴト師が来たら同じようにして追い落としていたと思います。彼らは彼らの仕事をしただけだ。それを誰かが報いに行ったりしたら歯止めが効かなくなる。ましてや松岡の若衆からそれを出すわけにいきません。命ばかりは助かりましたがこの有様で、札を繰るどころか箸一膳も扱えませんが、どう足掻いても自分の蒔いた種であることに違いない。これが俺の器量ってことだ。
こうなった以上生えてきたものすっかり全部、残さず俺が刈り取って、それで終わりにしたいんです。



保科が話し終えると、組長はちょっと待ってろと言って机に戻り、誰かと電話で話し始めた。小さく響く電話の邪魔にならないように気を遣ったのだろうか、話し終えて項垂れたままの保科が小声で維に尋ねた。

「お前、今の話何割くらい理解できた?」

正直なところ、維の知らない単語ばかりが出てきて、細かいことまで理解できたとは到底言い難い。だが、保科がかつて賭場でイカサマを働いたということ、それを見破られたこと、その報復としての受傷であるということは理解できた。そして保科がそれを受け容れている、ということも。禁忌と呼ぶべき行為であることを知りながら犯し、その罰として来るべきものをこの人は粛々と、その両手で受け取った、ということなのだろう。

「盆中のことは、俺にはさっぱりです。でも、怪我の理由はよくわかりました」
「……なら良かった」

瀬尾が俺のことをゴト師って言った時、根も葉もない話じゃないって言っただろ。つまりそういうことだよ。やることやったら何が起きるか、三手先を読むより簡単なことだと言って、白く繭のように固められた自分の両手を見て小さく溜息をついた。
電話を切った組長がソファの近くまで戻ってくる。腰は下ろさず立ったままで保科を呼んだ。

「ちょっと顔出せるか」
「どこへですか」
「辰盛会に決まってるだろう」

お前もわかってるだろうが、このままじゃ他の者にも示しがつかんだろう。いかに本人が納得ずくだとしても、お前が松岡の若衆である以上は、俺の顔に泥がついたのと同じだよ。そう言って組長は外にいた側近二人を呼び戻し、一人に出かけるから支度しろと言い、それを聞いたもう一人が車庫へと向かった。この子は連れて行くかいと、組長は維の方を向いて保科に問いかける。保科は維に「疲れただろ。あとは俺一人で大丈夫だから」と言って、組長と一緒に玄関へ向かった。

側近が扉を開くと甘い匂いが流れてくる。来た時はまるで気付かなかった玄関先の植え込みの、白く咲いた躑躅(つつじ)の匂いに今頃になってやっと気が付くだけの余裕ができたらしい。
部屋住みたちが見送りのために玄関先の車寄せに並んでいる。一緒にくっついて並んだ維に向かって、後部座席のサイドガラスを開けた組長が、熊田を呼んである。送らせるからここでちょっと待ってなと言った。維は頭を下げて礼を言ってから、組長の向こうに座った保科の影に声をかける。

「あの、兄貴。 風呂、沸かしておきますから」

薄暗い車内の様子は仔細には伺えない。だが聞こえたのだろう。百合の大輪が細い茎の上で風に弄ばれるみたいに、保科の白い手が維に向かってふわりと揺れた。



※1 約盆…………定期的に開催される博奕場。常盆とも。
※2 歌い違い……胴師が狙いと違った誤った札を繰ること。胴師の失態。
※3 胴を洗う……胴師を交代すること。
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