親父・姐さん・運転手

文字数 3,917文字

なかなかいいじゃない。これで免許種別に「普通」って書いてあれば文句なしなんだけどなぁ。
助手席でのんびりした声を出す維を乗せて、運転席の景は指示に従って車を走らせる。同居していた祖父が急に亡くなり、祖母は介護施設への入所が決まるまでの間、景の運転でどうにか通院していた。それに原付の免許を取ったことで道交法の基礎だけは頭に入っている。維にそう伝えると、なるほどね、どうりで族上がりと違って柔らかい運転だと思ったよと感心したような口ぶりだ。

「それにしても案外早くバレちまったなぁ。もうちょっと粘れるかと思ったのに」

顛末を尋ねられて、自分から白状したのだと言うと維は笑って、なんだ、お前自分から降りちまったのかよ。俺はてっきり三矢が見抜いて泥吐かせたのかと思ってたけど、あいつもまだまだ足りないねぇと言った。

「で、高校生。授業はどうしたよ」
「……行ってません」

で、家業の手伝いしてて、それが閉店したってことか。景は維の言葉にこっくりうなづいて返答する。年齢を謀って転がり込んだことがわかった以上、お払い箱にされても文句は言えない。それなのに維は無免許のわりになかなかいいハンドルワークだねとしか言わない。たまりかねて自分から「俺、クビですか」と尋ねると、やりたくないならいつでもフケていいぞ、誰も追わないからと言って笑った。

種別外の無免運転ねぇ。3年以下の懲役又は罰金刑だったかなと言われて、ハンドルを握る掌に無意識に力が入る。お前は覚悟の上かもしれんが、俺は叩けば埃の出る身だからね。無免の幇助でパクられたが最後だ。余罪は山ほど出てくるから軽く見積もってもまず5年は娑婆に戻れない。だから目をつけられるような運転をするな。維はそう言うが、いくら自分が気をつけても避けられない事態が起きるのが公道だ。検問や職質で免許の提示を求められた場合はもちろん、もらい事故に巻き込まれれば、それまでになるかもしれない。景がそう言っても維は相変わらず悠長に構えて、道案内の方に気を取られているらしい。そこを右折、今度は左折と指示することに忙しそうにしている。言われるままに運転して、この辺りでは古くからある住宅街へと向かう。山間を宅地造成して分譲されたところだから、所々に残された緑地の木立が、風に揺られて緑が眩しい。そうして着いたその家は白く高い壁で囲まれていて、これ見よがしに防犯カメラが据え付けられている。その壁の下の路側に車をつけ、エンジンを切ると思いついたように維が言った。

「ま、人間捕まるときは捕まる。その時はその時だ」



お前、親父の顔見たことあったっけと尋ねられて、景は「一度だけ」と応じる。顔を見たのは初めて事務所を探し当てて、誰かが来るのを待っていたあの時だけだ。後部座席に座った維の奥から、店はどうしたのと声をかけてくれた、小柄な老人だったことしか覚えていない。

「あの人が組長…さんですか」
「松岡組七代目組長、高木壮太郎。それが親父の肩書だ」

肝機能障害で通院してる。症状は安定してるらしいから、まあ診察にはそれほど時間はかからない。それから認知症も発症してるからそのつもりで注意して。親父と姐さんと、俺を乗せて病院まで運転するのがお前の仕事だ。維はそう言って景を連れて門をくぐり、リズムよく置かれた敷石を踏んでゆく。庭木はよく手入れされてはいるものの、人の通り道の他は落ち葉が溜まった敷地内を歩く。呼び鈴のボタンを押すと出てきたのは景の叔母よりはだいぶ歳上だろう年配の女性で、ちょっと待っててね、今シャワー浴びて出てきたとこなのよと言って三和土へと維を招き入れた。
あら、カンタはどうしたのと言われた維が、郷へ帰しましたと答えると、今日はこいつが運転しますと言って景の背中に手を添えて玄関へと引き込む。二本榎ですと言って頭を下げたところで家屋の中からした声が、緊張で裏返りそうな景の声を掻き消した。

「おぉい! これじゃなくていつもの、チェックのシャツはないのか」

腰にタオルを巻いただけの老爺が、手に持ったシャツを振り上げながら廊下の奥に立っている。あれは洗濯してますから、今日はこれで堪忍してくださいと言いながら、老爺の背中に薄く咲いた刺青の牡丹を手折るように手を添えて、女性は部屋へと戻ってゆく。維と景は玄関に取り残された。

「あの人が『姐さん』ですか」
「そ。そいでもって『組長代行』だ。失礼のないようにな」

あね、という響きに首を傾げている景を見て、維は「この業界では目上の女性はみんな、何歳だろうと『姐さん』なんだよ」と言って俯いて、自分の足の爪先を見る。隣に並んだ景の足を見ると、お前、靴も早く揃えなよ。三矢に相談したらいいと言った。



車庫に入っていた見覚えのある黒のワンボックスに乗り換えて運転席で待っていると、「組長」はすっかり着替えを済ませ、身綺麗に整った軽装で出てきた。「姐さん」と一緒に後部座席に収まって、助手席に座った維のとりなしでする景の挨拶に興味なさそうに応じ、「おぅ」とだけ返事をする。景のことは駿河屋の使用人だということに、気付いてないだけなのかそれとも忘れてしまっているのか、特別なにを言うでもない。だがふとルームミラーから視線を感じて見返すと、「組長」がこっちを見て、思っていたよりも太い、よく響く声で尋ねてきた。

「あんた、学校は? 授業はどうしたの」

びくりと身を固くして思わず維の方を見ると、にやりと笑うだけで景の出方を見守っている。

「この春卒業しました」
「……ふん。 俺ぁてっきり高校生かと思ったよ」

組長はそう言ってつまらなそうに押し黙り、姐さんの行きましょうの声に押されるように、景は車をゆっくりと動かす。三矢に言われた「姐さんは車酔いするからアクセルワークに気をつけろ」というアドバイスはもちろん、いつも運転していた軽ワゴンよりひとまわり大きいワンボックスでは緊張して、いつもよりさらに慎重な運転になった。
どうにか病院へ着いて三人を下ろし、駐車場で待機する。車庫入れに手間取っていつもより多く切り返したけれど、汗ばんだ手のひらを太腿に押し付けながら、どうにか上手くできたと安堵した。

それにしても、認知症の診断も受けていると聞いてはいたが、まるでそういう印象は受けなかった。景のことを忘れている様子ではあったが、あの人は自分を高校生だと一発で見抜いたではないか。それほどまでに自分は童顔なのかと思ってミラーを覗いてみるけれど、スーツを着た自分は明らかにいつもとは違って見えた。だがそう思うのは自分だけなのかもしれない。ぐずぐずと雑多なことを考えながらいつまでも待たされて、少しうとうとした頃に維から呼び出されて迎えに出る。車寄せのところで待つ三人の前に停車して、ドアを開きに降りると、組長が不思議そうな顔をして維に声をかけている。

「熊田はどうした」
「今日は代理の者が運転します」

維の返事を聞いて、おぅ、そうかと言った組長は車に乗り、その後に姐さんが続く。ドアを閉めて運転席に戻り、ルームミラーを覗くともう組長は疲れた様子で目を伏せて眠りそうになっている。

……さっき自己紹介したことを、この人はもう忘れてしまっているのだ。
景はできるだけ起こさないようにゆっくりと車を動かす。縁石を徐行で乗り越えて、車間は広めにとって加速も減速も緩やかにしていたつもりだったが、しばらく運転したところでふと目を覚ましたらしい組長が声をかけてきた。

「おい、帰りに駿河屋へ寄れ」

維が助手席から応じて、駿河屋は閉店しましたと言うと組長は驚いて、いつだと尋ねる。先月ですという返事を聞くとがっくりと肩を落とし、あぁ、そうなのかぁと寂しげな声だ。揚げ物なら私がやりますよと応じる姐さんに、いや、いいんだ。どうしてもってわけじゃあないんだと言って、それからまたルームミラー越しに景の目を見て、お前さん高校生みたいだけど学校はどうしたのと尋ねてくる。あの、この春卒業しました。もう一度そう答えると、今度は「そうかい」とだけ言って、そこから先は家に着くまで何も話さなかったから、景は運転することにだけ集中する。駅前にある交番の前を通る時と、すれ違う下校中らしい高校生を見ると少しだけ緊張した。無事家に着いて、また何度か切り返しをしてどうにか車庫に車を収めると肩の荷が下りて、どっと疲れが噴き出してきた。姐さんが「あなた運転が丁寧ね」と褒めてくれたから、まずまず巧くいったと思っていいのだろう。玄関へ入ったところで上がり框の上から、組長が維を呼ぶ。

「維、明日でいいからにんべん()に連絡してくれ」
「どういったご用件ですか。自分が手配します」
「その子に免許証作ってやんな。パトカー見かけるたんびに目が泳いでちゃあ大儀だろうに。金は陶子から貰ぃ」

お疲れさん。景にはそれだけ言って組長は奥へと入って行き、維は玄関先で深々と頭を下げて組長の姿を見送っている。何となく自分もそうした方がよさそうな気がして、景も維の真似をして低く頭を下げた。



疲れただろ。そう言って帰りの車は運転席に維が座った。助手席に乗ってドアを閉めた途端に、堪えきれない勢いで景は維に問いかける。

「俺、そんなに高校生(ガキ)っぽいですか? 無免許のこと、維さんがバラしたんですか」

維は黙って首を横に振って、俺は親父には何も伝えてないと言った。
ただな、お前はわかりやすいんだよ。警官見ては緊張して、高校生見ちゃ狼狽(うろた)えて。

「要するに、親父には全部お見通し、ってことだよ」

そう言われて赤面した景を見て、維は満足げな笑みを浮かべるとエンジンをかけた。




※にんべん屋=証紙や身分証明書等を偽造する闇業者
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み