地方ニュース・気象情報・スポーツニュース

文字数 4,218文字

ロードサイドのドライブインは巨大な看板の縁ににこれでもかと電球を並べ、それをチカチカと明滅させては、なんとかして近くを走る車を駐車場に誘い込もうとしている。広い敷地に砂利を敷いただけの駐車場には白線なんて引いてあるわけもなく、思い思いに間隔をとったバスやトラックが並び、その一角に維のセダンが肩身狭そうに駐車された。店に入って窓際の席からその様子をあらためて見た景は、回遊するクロマグロの群れにうっかり紛れ込んだイワシみたいだと思う。
食い気ばかりが先に立つ景が選んだ店は、大型車でも止めやすい広さの駐車場のおかげで、長距離ドライバーたちに愛されているようで、そうなると必然的に盛りの良さが要求される。メニューに添えられた「ごはん大盛り無料」の文字を見た維は、景がいい店知ってますと言って迷わずここを選んだ理由に納得がいった。

日本海が近いこの街では魚介が豊富で、理想を言えば刺盛にお銚子の一本もつけたいところだったが、この先がある維はアジフライ定食で我慢するしかない。何より食欲の権化のはずの景が、目の前に据えられた「季節の味わいカキフライつき・とんかつ御膳」に箸も付けず、目で刺してくるのが気にかかって、テーブルに据え置かれたソースに手を伸ばすのもなぜか気が引ける。

「ここまで来れば家が近いんだろ? 送ってくから早く食え」
「今日一日は自分が運転手です」
「行き先決めるのは俺だろ」
「当然です。『盆』っていうのに行くんでしょう?」
「お前をお家に届けてからな」
「俺も一緒に行きます」
「バカだねぇ、お前みたいなガキが入り込めるとこじゃないよ」
「この間俺のこと『もう3カ月前のガキとは違う人間だ』って言ったの、維さんでしたよね」

揚げ足を取られた維が苦し紛れに天井近くを見上げれば、据え付けられた大型の液晶テレビが地方ニュースを読み上げている。
……地域振興センターで開催された産業まつりに、県のマスコットキャラクターが登場して会場を盛り上げました。県警山岳警備隊に初の女性隊員が誕生しました。県立高校の吹奏楽部が地方大会を制して全国大会に出場が決定しました……



「前川先生だけじゃないです。三矢さんからも言われました。維さんが盆とか盆中とか言ってたら、博奕場のことだから出入りさせたらダメだって。でも行くんですよね」

三矢の名前を出されて怯みはしても、自分が負ったものを放り出す理由にはならない。どこかが盆を敷くと聞けば打ちに行くのが博徒社会の付き合いというものだ。親父はたとえ自分の都合が悪くても、声が掛かれば代打ちを立て祝儀を持たせて送り出し、そうやって今日という日まで義理を欠くことなく顔をつないできた。

「これは遊びじゃなくて組事だ。俺の兄貴は親父の代打ちでな。麻雀の代打ちができる組員は何人かいたけど、盆中だけは兄貴にしか務まらなかった」
「行くなとは言ってません。自分が運転すると言ってるんです」

本当は出入りさせるなと言われました。でも維さんは行くしかないんでしょう? だから自分が折れます。そのかわり自分を運転手にしてください。景は険しい表情でスマホを弄り、気象情報のページに接続した。広範囲を表示した天気図には南西沖の気圧配置図が表示されている。

「嫌なこと言うようですけど、ここに低気圧があるでしょう。これに引っ張られて発作が出る可能性があるんです」
「……天気と俺の肺にどんな関係が?」
「人の体って案外繊細なんですよ。俺は小児喘息でしたけど、発作が起きるのは大抵季節の変わり目で、低気圧が台風になったタイミングだとかにひどい発作を起こしてました。同じ病気なら誰でもそうかはわかりません。でももし維さんがそうだとしたら、運転するのも難しくなります」

そう言われた維が案外すんなりとその言葉を受け入れたのは、シケがくるたびに頭痛にやられて船を降りたという保科の言葉と、前川の『こいつはお前の先輩だからな』という声を思い出したからだ。確かに景の言うように、維自身が発症したのも昨年秋で、季節の変わり目に違いなかった。

ここからは明日の全国のお天気をお伝えしますと言ったアナウンサーの声で、テレビ画面が切り替わり、気象予報士が棒の先端で触れた天気図に雲を置いて、絵に描いた雨を降らせている。何もなければそれでいいんです。大都市と違って簡単にタクシーが捕まるようなところじゃないんですから、用心してください。景の慎重さに背中を押されたのと、さすがに腹が減ってきたのとで維は卓上のソースに手を伸ばす。ボトルを傾けるとやけにサラサラとしたウスターソースが流れ、きつね色の衣に染み込んでゆく。

「……わかったよ。わかったから早く食おうぜ」

維の声を聞いて、ようやく景も箸に手を伸ばし、トンカツの上にどばどばとソースをかけた。



窓の外はすっかり日が暮れて、道路の向こうは緩斜面となって日本海の漆黒に雪崩れ込んでいる。遠くには市街地の光が粒になって見えて、人混みをたまには少し離れたところから眺めるのもいいもんだと維は思う。もう景の実家の近くまで来ているらしいが、本人にとってはわざわざ眺めるような景色でもなく、目の前のトンカツの方がよほど興味をそそるらしい。何か感慨みたいなもんとか、湧いてこないのかと尋ねると、何にもない退屈なとこですよと言って、カキフライに添えられたタルタルソースの少なさに不満を漏らし、ソースに手を伸ばした。

「さっき小学校の前を通り過ぎたでしょう? 俺、あそこに通ってたんです。図画工作の時間に写生とかするんですけど、描くものがないんですもん。休耕畑に植えてあるコスモスと、遠くに見える海くらいしかなくって、俺いっつもそればっか描いてました」

懐かしいのなんてこのシャバシャバのソースくらいです。じいちゃんちはいっつも中濃ソースだし、たまに食べると「帰ってきたな」って感じるくらいで。そう言ってさらにソースを追加して、大盛りの飯碗に茶色い一切れを引きずり込んで齧りついている。

「維さんはどこなんですか」
「どこ、って」
「実家です」
「横浜」
「いいとこですよね」
「……広いとこだよ。みんなが想像してる横浜は、キラキラ輝いてるほんの一部分だけだ」
「維さんは横浜に戻るんですか」

今は義兄夫婦が住んでいる維の実家は、小綺麗でよく似た雰囲気の家が立ち並ぶニュータウンの一角で、もう何年も行っていない。ヤクザ者が顔を出すにはそれなりの理由が要るが、そんなものはとうの昔に失せている。母は再婚相手の息子夫妻に家を譲り渡すように身罷り、姉はとっくに嫁いで家を出ている。維にとってもはや帰るべき場所でもなければ、訪ねて行く理由もない土地。不意に黙った維の口の中で、取り除き損ねたらしいぜいごが転げ回っている。吐き出すのも面倒で、奥歯ですり潰すように噛み砕き丸呑みにしている維を、景の思い詰めたような目が見つめている。

「……俺、これからも維さんに将棋見てもらいたいです。どこに会いに行ったらいいですか」

維は小さな碗に注がれた赤出汁を啜り、この豆腐ちっちゃいのにちゃんと旨いのなと言って箸を置いた。確かに短い間なのに、景の棋力は確実に向上し、いつの間にか三矢と互角に戦えるようになっていた。本当に将棋盤の上で駒を動かしているのが楽しくて仕方ないのだろう。景は自分のように邪な理由で盤に向かっているわけではないのだと思えば尚更、維は保科と同じことを口にする。

「相手が俺だけじゃ上達しないよ。どこかの将棋クラブに行って、いろんな人のいろんな手を知らないと」

景が望んでいた答えから程遠いことくらいは維にもわかっていたが、他に返事のしようもない。壁のテレビがスポーツニュースを伝えている。地元サッカークラブチームのホームゲームでの試合の様子に、選手より先に映し出されたスタンドで、サポーターたちが掲げるチームフラッグが声援に合わせて波を打った。



それで、どっち方向へ行きますか。
運転席に戻った景が尋ねると、維は県内では名の知れた温泉街の名前を口にした。カーナビのパネルに触れながら、その『盆』ってどこにあるんですか。住所わかれば入力しますけどと言うと、維は「さすがにそれは俺にもわからんなぁ」と言ってニヤリと笑い、まずはその温泉街の観光案内所まで移動することになった。景の指がオーディオの電源を入れると、スピーカーからDJの声が流れ出る。

……メッセージとリクエストを頂戴しております、ラジオネームぽんちさんから。『転勤で東京に引っ越して車を手放してから12年、先月地元に戻ったのをきっかけに車を購入しました。カーラジオからあの頃聞いてた番組が流れてきて、相変わらず続いててくれたことにホッとしています。これからまたよろしくお願いします。リクエストは今さらと言えば今さらですが『ビタースウィート・サンバ』をお願いします』、ということで、ぽんちさんありがとうございます。そーですか12年ぶりにおかえりなさいですね。新しいコーナーも増えてますのでね、こちらこそどうぞ今後ともよろしくお願いいたします。リクエストなんですけどこれ、ラジオでかけちゃうともう、問答無用であの番組始まったかなと思っちゃうようなナンバーですが、最近はCMで聞いたことある〜!っていう人も増えてますよね。せっかくですから今日はちょっと珍しいアレンジのバージョンでお届けしましょうか。バトゥカーダ、って言うんでしょうか、イントロで打楽器の波が少しずつ近づいてくるのがね、遠くからサンバのパレードがやって来るのを聞いてるみたいで、何ていうか「カーニバルがやってくるワクワク感」みたいなものがありますね。それでは、ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラスで「ビタースウィート・サンバ」……

DJが言う通り、小さくザクザクとリズムを刻みながら打楽器の音が近づいてくる。そこへ金管(ブラス)の響きが被さって、メインテーマを奏ではじめた。お前この曲知ってるかと維が尋ねると、知ってますよビールのでしょ、と景が答える。そうだな、運転は景に任せてビールでも飲んで繰り出したいような気分だ。盆の熱気を思い出し、それを浴びる前から血の沸き立つ思いがするのはリズムのせいばかりじゃないだろう。長く過ごした渡世の終着点とも言える場に、頭から突っ込むには悪くない選曲だ。
維はサイドガラスを下げて、陸から漆黒の海へと吹き下ろす夜風を肚の底まで吸い込んだ。

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