桃缶・パイン缶・コンデンスミルク

文字数 3,804文字

「それで。どこのどいつか割れたのか」

シートベルトのバックルを探しているうちから、熊田は待ちきれないように維を問い詰める。保科を闇討ちしたのが誰なのか、話さなければ車を出してもらえないんじゃないかと不安になるくらいに口調は険しくて、組長の本宅から保科の住むマンションまで戻る車中は、半ば動く尋問室と言える状態だった。

「いや、俺は……」
「何にも聞いてないのか」

側近までが席を外したのだ。あの時部屋にいた3人以外が知らないことを、ここで話せば誰が漏らしたかなんてすぐに割れる。何も知らないことにしておくのが得策だろうと考えた維が、あの、買い物したいんでスーパー寄ってもらえませんかと言って話の腰を折る。曖昧にうなづいて了承した熊田は、維の立場に気付いたのか、まあいいよ、今更俺が気を揉んでも仕方ないと言って、案外あっけなくその話を打ち切った。口調にどこか不穏なものを感じた維が、何かあったんですかと尋ねると、お前が事務所に来られないうちに、ちょっと様子が変わってきてると言った。

「血の気の多い連中が沸き立ってな。保科落とした奴を探しに出歩いてるらしい。チンピラどもが他所と小競り合い起こしてる。お前んとこに瀬尾から連絡来たりしてないか」
「いや、特に何も」
「来ても構うなよ」
「どういうことですか」
「瀬尾は武闘派の幹部たちと付き合いが深い。仇討ちの先鋒になりそうだ」

空が薄暗くなって、雨粒がフロントガラスを叩きはじめた。維はワイパーの動きを少し目で追って、それから仇討ちなんて芝居の話だと思ってましたと言うと、熊田はじゃあもっと簡単に言ってやろうか。仕返しだ。ドラマチックに言うと報復、文学的には復讐ってところだと言った。
他ならぬ瀬尾が先陣切って復讐とは。保科を毛嫌いして聞こえよがしに喧嘩を売ってくるような人がその座にいることが、維としては不可解な気分だった。

「……意外です。あの人保科さんのこと露骨に嫌ってるのに」
「保科がどうこう、ってことじゃねえよ」

あのなぁ。「保科が襲われた」じゃねぇんだ。「松岡組の胴師が襲われた」ってことなんだよ。言ってみりゃ相手のしたことは「盆荒らし」だ。泥塗られて黙ってる松岡じゃねえってとこを目に物見せなきゃなんねえだろうが。お前だって兄貴の腕を知ってるだろうと言われて、ふと維は押し黙った。
維の知っている保科は、詰所で持て余すように新聞を読んだり、公園や広場で真剣将棋をやり合ったり、たまに自分や三矢を相手に指してコテンパンにして、夜になるとふらりと、たまに幹部たちに連れられて何処かへと姿を消す猫だった。保科自身も語っていた、盆だ胴師だという単語が意味するものを、維には想像することすらできない。理解できるのは、どうやら保科が心配していた読みの通りになりつつある、ということだけだ。

あの、『盆荒らし』って何ですかと思いきって尋ねると、熊田は絶句したまま交差点の信号待ちに並んだところでハンドルを叩き、大きく溜息らしいものを吐くと、お前兄貴から何も教わってないのかと声を荒げた。
それから助手席で小さくなった維をまじまじと見つめて、ちょっと俺も疲れたと言ってウインカーを入れて、ロードサイドにあるショッピングモールの駐車場に車を入れた。



午後まだ早い時間の買い物客は少なくて、維はスーパーのカゴにパイナップルの缶詰と桃缶と、チューブに入ったコンデンスミルク、それから黄色い箱のキャラメルを入れてレジに並ぶ。何だそれ甘いもんばっかだなと熊田は呆れているが、レジ打ちをする店員と目を合わせるのがどこか恥ずかしいような買い物も、維はもうすっかり慣れっこになった。缶詰2種はニンジンと一緒にブレンダーに投げ込む相手として、コンデンスミルクは保科が「食欲がない」と言って食べようとしない時の最終兵器としての必需品だ。
事実これさえかければトーストでもオートミールでも、信じ難いことに白粥でも、保科はまんざらでない顔をして残さず食べた。試しにニンジンにも混ぜてみたがこれは口に合わないらしく『俺が何かお前の気に障るようなことをしたか』と言って拒絶したので、どうやら最終兵器とはいえ万能ではないらしい。今のところニンジンの相手は日替わりで、オレンジジュース、桃缶、パイン缶のローテーションで凌いでいる。ダンボールの中にはまだまだニンジンが転がっていて、どうにかこの3種で保科が飽きたと言い出す前に全部消化できることを祈るしかない。キャラメルについては言わずもがなの精神安定剤だ。そう話す維のことを、熊田は「お前は良くやってる、博徒の弟分としては不勉強も甚だしいが、少なくとも身の回りについては文句なしだ」と言い呆れたような表情で誉めた。

スーパーの一角にあるフードコートは人影もまばらで、探すまでもなく確保できた4人席を二人で使う。熊田がカラカラと軽い音を立てて椅子を引き腰を下ろすと、テーブルが紙コップを乗せたままガタついて、コーヒーが小刻みに波を打つ。
ここまでよく尽くしてるのに、お前の兄貴は渡世について何も教えてくれないのかと熊田は渋い顔をしてコーヒーを啜る。どうやら維のことを心底から保科の弟分であると信じ切っているらしい。

「お言葉を返すようですが、俺はあの人の弟分だと自認したことはないですし、あの人もそう思ってますよ」

事実だ。便宜上、3カ月の試用期間つきで兄弟分をやっているだけであって、それも口約束でしかない。尤も契約書を交わすような兄弟分なんて聞いたこともないが、維は保科が自分の家の軒先にふらりと現れて、毛繕いしたり寝そべったりしている猫のような気がしてならない。だからある日ふらりと出て行って、それっきり戻ってこないような気もする。不幸にも自分と保科を繋ぐものはあの両手を覆った白い布であり、それがほどければこの関係性もばらけることになる。
俺はあくまでも緊急事態への対処要員ですよと素っ気ない声を出すと、熊田はそんなことはどうでもいいという顔をして、お前どうしてみんなが泡食ってるのかわかるかと逆に問いかけてきた。



……あのなあ、保科は手本引きの胴師なんだよ。
わかるか? 手本引きっていうのは賭け事の粋、博奕打ちの終着点だ。本場は関西だが、ここら辺でやれるとこがないわけじゃない。その数少ない盆を立てられるのが松岡組の強みで資金源だ。中でも保科は胴師もやれる貴重な人材なんだよ。

古い映画とかで見たことあるだろ。畳敷きの和室の真ん中に、白い布張った畳置いて、その上で数字が書かれた札弄ってる博打、あれが手本引きだ。簡単に言うと胴師が選んだ数字を客が推理して当てる、たったそれだけの遊びだよ。当てられたら客の勝ち、外れたら胴師の勝ちだ。客は金さえあれば誰でもなれる。だが胴師は別だ。指先一つで札を操って、間違うことなく勤めるには熟練の手業が必要になる。それに一度に何人もの客を相手に勝負するんだ。そりゃあ客からすれば胴師と1対1だが、胴師はまとめて10人以上を相手にすんだから。誰にでもできるような、生やさしいもんじゃない。

噂くらいは聞いたことあるだろう、保科は元は北陸の、有名な博徒一家で子分をしていたのが、組が解散になって松岡に転がり込んだ男だ。言ってみれば氏素性が俺達とは違うサラブレッドだよ。幹部連中がチヤホヤするのわかるだろ。保科の器量を見込んで、どこかで盆が立てば連れて行きたがる。あいつを隣に座らせてアドバイスを聞いておけば、巧くすれば大勝できるからな。あまり博打が巧くない人なら尚更、お守り代わりに連れて行く。親父の代打()が務まるのもあいつだけだ。
今や若手で胴師までやれるのは少ないからな。そういう奴を狙われたら、松岡は博打場を続けられなくなる。「盆荒らし」って言うのはな、賭場の開帳を妨害することだ。これをやると殺されても文句は言えない。盆を仕切ってる組が必ず荒らした奴を探し出して報復することになるからな。つまりはそういう理屈だよ。
……瀬尾と保科がどうこうだなんて、幹部にとっちゃ吹けば飛ぶような些事でしかない、ってことさ。



「瀬尾さん、やる気なんですか」
「さあな。でもコトが起きたらまず動くのはあいつだね。兵隊もいっぱい持ってるし」

瀬尾が手下をたくさん持ちたがるのは、殊に暴力に関して言えば頭数がそのまま力量の差になると知っているからだ。何か起きれば三矢も動員されることになるだろう。しばらくの間会わずにいるからか、思い出そうとする三矢の顔が少しぼやけてきている。詰所の様子が気になりはするものの、何はさておき保科のバラけた指がつながらないことには、維の自由は保障されない。はっきり道筋がついていると言えるのは、ただその一点だけだ。

雨は止むことなく、かといって雨脚が強くなるでもなく、人もまばらな駐車場を濡らし続けている。小走りに車へ戻って車内へ転がり込むようにしてドアを閉めると、足元に置いたビニール袋の中で缶詰がゴツゴツとぶつかり合う音をたてた。それを聞いた熊田は維の任務をあらためて意識したらしい。どのみち組織の意志は幹部の決めることだ。とりあえず詰所のことは他の奴らに任せておいたらいいと言われて、維は素直にはいとだけ答える。
道を譲られた車は緩やかに港と市街地を繋ぐ通りへと出て、すっかり濡れた路面を加速していった。



※代打ち……組長の代理として遊技する者。
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