火花・空港・搭乗口

文字数 3,504文字

「博奕で博奕の穴塞ぎだしたらもうカタギじゃいられないな。覚悟決めてんのか」
「……覚悟、って」
「渡世人やるって覚悟だよ。やんの? ねえ」

椅子の脚に括り付けられた脚を、言いながら保科が爪先で小突く。押し黙ったまま俯いたタクの前で、大きくついた溜息が、少し離れたところから見ている維の耳にもはっきりと聞こえた。

「まぁ無理だな。50万なんて盆中じゃアクビしてる間に溶ける額だ。この程度でフケようとする奴に渡世務まってたまるか」

保科は維を一瞥すると、タバコちょうだいと言って立ち上がった。
タバコを吸う保科なんて一度も見たことがないし、吸うことさえ知らなかった維が慌ててポケットを探る。振り出したフィルターを唇で器用に受け取った保科の目の前に、ライターを差し出して火を着けようとするが、咲いて散るのは火花だけで一向に火を作れずにいる維の焦りばかりが募ってゆく。……こんな時に限ってガス切れしていた。



「タカさん、火ぃ貸してください」

保科がイライラとした早足で、カウンターに寄りかかったままこっちを見ている男の元へ行く。差し出された炎に首を傾げて貰い火をして、自分の吐いた煙に目を瞬かせた。ずいぶん職務に忠実だねぇと感心しきりの表情で声をかけた男に、ったく、煙いばっかでどこが美味いんだろと文句を言い、その割にはタバコがある程度短くなるまで何度かふかしながら「どうりで器用な手ぇしてると思ったよ」と言って維を見た。隠したつもりもなく単に話題にならなかっただけのことが、なぜか秘密がバレたような気まずさが漂ってくる。小さく縮む思いでいる維を、煙を吹きながら眺めていた保科はやおら立ち上がり、タクの前髪を掴んで首を押し倒して顎を上げさせた。
反り返って天井を向いたタクの口から悲鳴が上がって、がらんどうのフロアに響き渡る。何かの焼ける微かな匂いが漂って、保科が掴んだ前髪ごと、タクの頭をつまんなさそうに放り出した。
ようやく前を向いたタクの顔は、見てるこっちまで眉を顰めそうなほどに痛々しく歪んでいる。左の眉尻は焼け焦げて中途半端なところで途切れ、そこから先は眉毛の代わりに赤々と焼けた皮膚が目尻に向けて筋を描いていた。

「左の眉が途中で切れてる奴見かけたら、俺に知らせろってここらへんのヤクザ者には周知しとく。それから、俺の知ってる賭場の胴元にもだ。それはここら辺だけじゃなくてお前の国元でも有効だから覚悟しとけ。そいでもって次に会った時は眉毛じゃ済まないってことになる。言ってる意味わかるよな?」

歪んだ額で目を瞑ったままのタクが、何度も頷く仕草をして同意している。
あぁもう甘い甘い、手緩いんだよという声がして、カウンターから「タカさん」と呼ばれた男が寄ってくると、タクの襟首を掴んで吊り上げるように持ち上げた。筋肉で盛り上がった腕で椅子ごとまとめて吊り下げられた形になったタクに、「お前、運が良かったな。渡世は諦めて国へ戻れ。二度と関わるな」と告げる。聞こえたかという男の声にまたしても頷いて返答するタクに、男は「口はついてねぇのか」と問いかけながら掴んだ腕を前後に振った。捩れた声でわわわかりましたと言ったタクの返事を聞くと、男はポケットから取り出したニッパーで両足の結束帯を切った。
悪いけど手はもうちょっとそのままにするよと言った保科を先頭にして外へ出ると、ビルの目の前にシルバーのワンボックスが停まっている。運転席には来た時に入り口に立っていた若い男が座っていた。助手席には保科が座り、維は指示されるまま後部座席の奥へ、その次に乗ったタクを挟む形で「タカさん」と3人で乗り込むと、車は静かに動き出した。



運転席の男が窓を開けようとしたのに気づいたタカさんが、保科に向かって慇懃に喫煙の許可を取る。皆さん一服したいでしょ、どうぞ遠慮なさらずと言った保科の声を受けて、3人が3人とも窓を開けて各々タバコを咥えた。維は手を結束されたままのタクにも一本融通してやろうとしたが、自分の眉を焼いたそれと同じ匂いに、怯えたように振り出されたフィルターを固辞する。保科が後部座席に身を乗り出して、それよりこれ貼ってやってよと絆創膏を維に渡した。火傷を覆い隠すようにそれを貼り付けてから自分もタバコに火をつけようとして、またしてもガス切れしてたことを忘れて火花を数度散らす。横で見ていたタカさんが、しっかりしろよ弟分と言って、差し出したライターの蓋を片手で鳴らして火を恵んでくれる。揺らぐ炎の向こうから維に視線を浴びせ、少し低い声色でずいぶん若いの誑し込んだなとぼやき、やけに白い歯を見せながら微笑んだ。

「お前だろ? ノリと喧嘩して追い出された弟分って。やっと許してもらったんだから、もうちょっと抜かりなく務めねぇとすぐお払い箱になるぞ。側に付いてたらよく知ってると思うけど、兄貴の気まぐれは有名だからな」

初対面の人間にまで保科の弟分と見做されるほど、自分の素振りや気配から何かが透けて見えているのだろうか。この人に自ら付き従うような気持ちが言動に漏れているのかと思うと、維の中で恥ずかしさと、どこか情けないようなものが入り混じる。隣で固まったように項垂れているタクがついた小さなため息が聞こえて、そんなものひとつに何故だか苛立ち、維はまだ吸えるはずのタバコを窓から投げ捨てた。

いつの間にか乗っていた高速道路の路面が、市街地に近づくにつれて小刻みに継ぎ目を伝えてきた。着いたところは空港で、後部座席の3人まとめて保科に引率されるようにカウンターに向かう。「駅は瀬尾の手下がいるかもしれないからね。それに飛行機なら途中下車とかできないだろ」保科はそう言って大館能代空港行きのチケットを手配すると、着のみ着のままのタクをチェックインゲートまで連れて行き搭乗口に押し込めた。案外大人しく保科の指示に従ったタクは、金属探知機のゲートを潜りながら、見送る保科たちに向かって謝罪なのかお礼なのかわからない小さな会釈を寄越す。「もう戻って来んなよ」と言って上げた片手を小さく振った保科が、タクが見えなくなるとその手を維の肩にかけ、さて、今度はこっちの番かと言った。



「お前、モヤやれるんだってな」

タカさんに礼を言って別れた保科は維を連れてほとんど強引にタクシーに乗せ、自宅へと連れて戻ると部屋にあったキャラメルの箱を、うちにならいくらでもあるぞと言ってテーブルに並べて維をその前に座らせた。やってみせろと言って詰め寄る保科を目の前にして、3つの空箱のうちひとつに一粒のキャラメルを入れ、スタスタと音を立てながら左右を入れ替え、時に一つを手に取って左右に振ってみせる。コトコトと小さな音をたてるこの箱に入ってることを示して見せて、それをさらに他の2つの箱に切り混ぜた。やおら手を止めて3つの箱を並べ、保科にひとつを選ばせる。真ん中の箱を選んだ保科の指がまだテーブルの上にあるうちに、維が箱を開くとそこは空だ。もう一回とねだる保科に、維は取引を要求するみたいに質問する。

「……どうしてタクを逃したんですか。瀬尾さんが追ってるの知ってるのに」
「もう一回やってよ」
「答えてくれたらやります」
「瀬尾に当てつけたつもりはないけどさ」
「バレたら揉めることくらい分かりきってるでしょう」
「維なら黙っててくれるかと思ったんだけど」
「質問の答えになってないです」

保科は渋い顔をして、あいつの親父がね、事務所に来たんだよと言った。

どうやったらカタギにさせて貰えんのかって土下座されてさ、江崎さん困ってたよ。カタギも何も、あいつは組員じゃないし俺らが強制してるわけでもない、単に詰所に出入りしてるだけのチンピラだからね。本人の意志に任せてるだけで、我々はどうにもできませんよって言って帰したけど、しょんぼりしちゃって目も当てられなかったな。だからちょっとだけ進む方角を変えてやったんだよ。あとは勝手に戻っていくだろ。

保科はそれだけ言うと、ほら、早くもう一回やってよとせっついた。
維は全部の箱を開いて出てきたキャラメルを取り出してからもう一度箱に収めて、再び3つを切り混ぜてみせる。維が右に左に動かす箱を視線で追いながら、保科は「お前はどうする」と言った。

「試用期間、もうとっくに終わってるよな」
「本採用にしてくれますか」

止まった維の手の先にある3つの箱が並び、その一番右の箱を保科が指差している。

「……俺じゃダメですか」

維の問いには答えずに、早く開けてと言いながら、トントンと指先で箱を叩く。
滑らせるように開いた箱からは、保科の吐いた小さなため息の他には何も出てはこなかった。

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